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大和。大いなる和というのは「ならず者」と仲良くしましょうという意味ではない


同時に、憲法9条に日本人が同意していたのは、今軽々しく言われているような理由ではない。押し付けられたのは最初だけで、70年大切にしたのは日本人の総意であり、戦争行為の負の側面を忘るまじという自戒と決意だった。


米国が日本の矛の側面を肩代わりするという話は利害関係の一致により成立してきた。日本の防衛費が完全自主防衛よりだいぶ安くなったかどうかは脇に置いて、いま、日本が勝手に米国とトランプ大統領を裏切ることは信義に反する。現実的にも無謀だ。


国防は最優先事項だ。トランプ大統領は固定で、彼を裏切るわけにはいかない。でも、そのパートナーとなるべきは安倍氏ではなかったと思う。




不死なんだけど


意識そのものは不死なんだけれど、その上の肉体の形状が変化するように、魂の形状も変化するらしい。物理的な攻撃による変化ではなく、自分の良心からいかにかけ離れたかによって「損壊」するというのだから自壊だ。


これには思うことがあって、ガン細胞が宿主と共に自滅するように、悪も結局「自滅」なんだなということだ。私は神様や上の方はおせっかいを飛び越えた「救済策」を用意してくださっているのかと思っていたが、究極の不死は保証しても、その上の形状変化は「自滅を選択した者は本人の自由意思を尊重し、自滅させる」という許可を与えているらしいことに、今回驚いた。


考えてみればその方が納得だ。自由なフィールドを与え、光の存在に選ばせる。神界の意向に沿うということは全体のために全身全霊で働くことなので、この向きに逆行する者には、「やった分だけの反応」が全体から帰ってくる。私はここに「恣意的な介入」があるのかと思っていたが、それはなかったらしい。あくまで自分の選択ということだ。


これはある意味怖いやり方だ。「助けて」と言えば、望んだ分量、望んだ方向性で助けを派遣するが、「助けないで」と言えば、そのとおりにする、せざるを得ないということだ。「私は一人だ」と言っているなら、「あなたは一人だ」という現実を還すのだ。そこからの学びや選択は、「ご自分で、ご自由に、どうぞ」ということらしい。このルールを知らないで突っ走ることは怖い。


この核戦争の脅威について、フィオラは「死ぬこと」そのものを危険だとは考えていない。危険だと考えているのは「あなたは何段? 何階?」という霊と光の階層についてのものだけだった。階層とは、昇ったか? 昇ってないのか? 昇るというのは、本当に神と神界の意向に沿う意識に近づいたか? 彼らに与えられた苦難に心の底から感謝できているか? 嘘はなし。取り繕った表面や建前が通じることはないからね? に近いと感じている。
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