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地図を見てる。地図を見てる ’’ことを可能にしている’’ を見てない。馬鹿げてるワ


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失われないものが本物。だから


勝手に「ついてくる」から、「ついてくるかどうか」を心配しているのは無意味だ。それよりも本物を偽物と見なし、偽物を本物と見なすピンぼけぶりが話をややこしくする。ところがこの本物は「ちょー見にくい」のだ。概念と概念の隙間に入ってしまい、存在を見落とされてしまう非概念だから。「在る」のに「認識されない」一番の功労者、すべての母、基盤だ。そしてすべてに実体を与えているため、「すべては実在する」。どんなにくだらないものも実在する。基盤だけがあるのではなく、基盤がすべてを可能にするため、すべてそのまま実在する。世界とのどんな付き合い方も肯定する。勝手に「ついてくる」から探さなくていい。探しに行くと見つからなくなる。ここをさておいて探しに行くなら、ここはなんなのだ? あなただけが唯一の例外の所持者なのかという話になる。準備は出来ているから、今ここに在るから、ただ「味わう」。言葉でそれを今すぐ書け! とみんな命令するけど、言葉を今書くということを可能にしているものをどうやって言葉で書くのだ? と質問返しにあうだけ。誰も禅問答をするつもりなどないのだ。「ちょー見にくい」から誰もが指で指しにくいだけ。意識は常に何かに焦点を当てている。今焦点を「何か」に当てているなら、それではない。「なんでもない」に当てるのだ。「私は在る」に当てるのだ。この瞬間を「可能にしている」それに当てる。ここの説明の上手下手は確かにある。医者が肉体の一部を指すとき、物理的な場所であればそれがどこにあるかという「住所」を示すことができる。では「私が存在しているという、存在の事実を実感している場所」を特定できるだろうか? それが物理的な場所でない場合は? 住所がない場所にどう焦点を当てるのだろうか? 概念に触れないようにどう焦点を当てるのだろうか? 「なんでもないって何だ? それは食えるのか?」と騒ぎ出すマインドを動かさず焦点を当てられるだろうか? ただ純粋な存在としてとどまること、それが吉祥の始まりですとラマナ・マハルシは書いた。何かになりたがっているマインドがどうやって純粋な存在としてとどまるのだ? どうやってと聞くな! これでは堂々巡りだ。ええい忌々しい!


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