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希望の党に一瞬感じた希望や、立憲民主党に一瞬感じた光や、


その残像や残り香ではなくて、光源のほうに、新しい日本のイデアがあると思う。政治家に対する期待と裏切り、国民の失望や怒り、そういう澱みばかりではないと思う。安倍氏とか、霞が関が日本の中枢なのではない。一見そう見えるだけだ。日本の中枢は実は、日本人が心の底から求めている「光源」と日本国民のその「待望」のほうにある。誠実であってほしい、毅然としていてほしい、未来があると信じさせてほしい、一瞬それを感じた人がいたなら、その人はその光源を一瞬だけ体現したのだ。北朝鮮や中国のような国家と同列に並びようがない次の時代をリードする高潔で暖かい国をわたしたちは育むことができる。今回の小池氏の失敗のように光源から、国民の待望から、一瞬目を背けた、気が逸れただけでそのチャンスは遠のくのだ。時代がより暗くなっていく観測がいくらあったとしても、光源はいま実在している。新しい日本は既にある。こちらへの産まれ方がわかっていないだけだと思う。


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拠って立つ処(ところ)


人という字は人と人が支え合ってというような金八先生の台詞じみた「拠りかかり方」もあると思う。たとえばご飯を食べるのも、全員が農家や畜産業をしているわけではないので、彼らの仕事と献身の恩恵に与かっている。畜産をしている人が怪我したときに頼れるのは薬剤師や医者や看護師だ。ああ私はいざという時にこの人たちに頼れる、というような意識がある。困ったときには交番に行けばいいし、移動したければタクシーも電車もプロがいる。だが、拠って立つ意識には真逆の方向があって、頼るのではなくて、「背負う」意識だ。神は一人一人にそれぞれ最前線に立つ能力を与えているので、自分以外の全員を、その人ならではの背負い方というか、個性あるカバーの仕方をすることができる。全体が内包している欠点を塞ぐように覆うように今の自分を道具として使うことができる。それがけっこう個人の幸せの定義に近いのではないかと思う。


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日本人は階層に分かれる


格差社会というのはもちろんほんとうのことなんだけれども、格差社会は二重の意味で現実になる。いまから日本という国が巻き込まれる事態の中で、日本人がみな同じような態度を採ることはない。政治的な意見も異なり、難民に対する態度、日常生活での暴言、すべての点において階層が分かれていく。今までも分かれていたけれど、これからも分かれる。そしてそれは、道端に捨てたガムの色や形状まで「記録」されている。現代のあらゆる記録デバイスが到底追いつかないほど鮮明に記録されているので、言い訳はできない。警察や周囲にバレなきゃいいという考えは、精神世界では幼稚園児が抱くと言えるほどの極めて誤った概念だったことがはっきりする。激動の時代はリアクションからその人の本質を撮るのに最高の機会なのだ。神はすべての状況を最高の目的のために利用する。だから人もすべての状況を神に捧げるために利用すればよい。そういう自覚がないと「撮影」されていることを見失ってしまうと思う。


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