[feeling good]と[feeling bad]はどちらも関係ありません。基盤というのは双方を、そしてどんなものも可能にするもののことです。それを「照らし出す(表す)」という特徴から「光」と呼ばれます。闇さえも照らし出すので、光闇を超越するものとして「光」です。
feeling good にのみこだわる立場というのは、人間的ですが弱く柔軟性に欠けます。愛とはfeeling good のことではありません。n0334






キリスト教20億人、イスラム教16億人、ヒンドゥー教9億人、仏教4億人、これらは富士山の登山ルートの違いのように考えています。山頂に共通の創造主(=神)がいて、どのルートにも光と影、伝説を支えた偉大な先輩たちがいます。あまりに知られていない登山道すぎて馬鹿にされるルートも無数にあります。最も有名な登山道の一つ、キリスト教の「愛の教え」では、実践が難しいよと誰もが唸る教えがあります。「(撃ち合いの最中に)彼を祝福してほしい」はその具体例として際立っていて、一瞬耳を疑いました。n0035






信念のある親というのはいますが、この若い夫婦は半端ではないです。希望はないと説明する医者に対して見解を引っくり返すために必要な条件を逆に尋ね、その成就をほぼ疑っていません。n





 
極限の痛みが発生している時、その現場にいる見えないサポーターの判断によっては肉体から瞬間的に引き抜いてくれることがありうるのだと思いました。見えないサポーターがついていない人はいません。ですから誰もにありえます。痛みのコントロールを諦める必要はありません。
ただ引き抜かれると肉体のコントロールも失うわけで、この生を諦めるつもりがないのであれば安易にお願いすることはできません。他者の極限の痛みを案じる時、救済措置は誰もに用意されているというニュースはありがたいです。でも条件らしきものが2つあるような気がします。1つは神を信じていること。2つ目がその場で救済措置を受け容れるという「許可」を出すことです。許可がなければ動かせないという指摘はフィオラからも受けたことがあります。n
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Fiora & nobody