宇宙は人一人に対し一つの可能性しか与えないほど非能率的ではありません。


偉大な知恵に満ちたこの宇宙において、特定の学習ないしカルマを完了させ、知恵を学ぼうと望む魂は実に多く、あなたのニーズに合致し、そして実際にあなたと出会える相手もたくさんいます。宇宙は人一人に対し一つの可能性しか与えないほど非能率的ではありません。しかしどのような場合でも、あなたが人生のこの時期における適切なパートナーに出会った時には、それと認めることができるものです。我々の視点からみれば、ある意味では、この時点においてこの惑星上に転生しているあらゆる人々があなたの『ソウルメイト』なのですが、あなたが人生にある大きな目的ないし使命を持って生まれてきている場合、特定の相手をパートナーとして持っている可能性は高いでしょう。そのようなパートナーの人生の使命は、あなたのそれと完全に編みあわされているのです。その意味で、二人はソウルメイトであるといえましょう。ソウルメイトは、エネルギーの振動やエネルギー交換のレベルや結びつきの深さや高い理想がぴったり合うという点から、たがいを認めあいます。またこの瞬間に、またこの先において、自分の本当の姿はどのようなもので、どこへ向かっているのかという点にも、それは反映されます。ひとたびレッスンを学びカルマを終えると、二人の関係はとりあえず静止状態に入るかもしれませんが、しかし人間関係には終りということはないのです。結ばれたきずなは永遠に残るからです。あるいは、その後もともに新しいレッスンを学ぶため、この人生を通していっしょに歩むことを選択する場合もあるでしょう。そうするかどうかはまったく各自の自由です。我々の視点からみれば、別れというものは存在しないのです。
(中略)
人間関係は物質世界を越えて存続し、一方が物質世界を去っても続きます。たがいが物質世界にいた時とあまりかわらないのです。これは神との関係についてもあてはまり、人間の恋愛関係は神聖なるものとの結びつきに最も近いでしょう。恋愛においては神聖なるものを相手の個人性の内に経験するからで、神との関係がどれほど甘美なものになりうるかという、いわばプロローグなのです。神との関係においては神と一つになる前にさまざまな一体化を経験することになりますが、人間どうしの恋愛はその最初のステップなのです。


マハルシ すべてのヴァーサナー(心の潜在的傾向)が根絶されないままに得られた体験は確固としたものではありません。ヴァーサナーを消滅させるためには努力をしなければなりません。

(対話172)


質問者 どうすれば自我の束縛を弱めることができるでしょうか?


マハルシ 新たなヴァーサナーを加えないことによってです。

(対話173)


引用はじめ





さて、私に伝えられた神界情報とは、2013年は伊勢神宮の式年遷宮が行われたわけですが、この式年遷宮をもって全ての区切りとして、豊受様が伊勢外宮を去られて綾部に帰られることになったです。10月5日に外宮で遷御の儀。6日には遷宮の全神事が終了しましたが、それらを全て終えて帰綾される。豊受様は伊勢外宮のお役があるので、自分は「綾部」に帰りたいと思っておられても、外宮のお役を辞してでないと帰れないがあったのかも知れません。また伏見稲荷山の伏見稲荷大社は創設には「秦」氏が関わっているのですが、この「秦」氏は綾部に居たところの秦氏一族が京都に下って河勝などに名を変えたと地元の考古学者の説もあります。元々綾部の名は「漢部」で、漢の帰化人である絹織りの技術者達が集まっていた場所の意味であり、由良川沿いは 昔は一面の桑畑でした。では、その帰綾される場所はどこかとなりましたら、元々居られた本宮山と言うことになるのでしょう。しかし、そこは大本教の敷地であり、私が子供の頃には自由に入れたのですが、今は聖地として入山をさせないようにしています。豊受様が伊勢から帰綾される理由は、最後の審判後に現出するみろくの世において「綾部が神の聖都」となる一連の神の仕組みに関してのことだという神示です。すなわち、審判後に復活する人々の生活に備えて 豊受様は綾部に戻り、そのみろく神業に従事されると言うことです。
私は以前に大本教が告げた綾部は「神の聖都」の霊的映像を見たのですが、その時にあれ? と感じたのは、北と南が入れ替わっている。すると、これは180度違っている以上、最後の審判による岩戸(一八十)開け以後の映像であると判断しました。みろく世の光景です。





引用おわり



2008年弾道ミサイル発射実験からDTRA(米国防脅威削減局、大量破壊兵器による攻撃を受けた後も“国家を存続させる”ことを目的とする国防総省の中でも最重要とされる部局)の脅威判断を受けた米国防総省は、京都府北部、日本海に面した経ヶ岬に、北朝鮮の弾道ミサイルに対応するレーダーを配備するように日本政府に強力に要請した。2013年2月、日米政府が経ヶ岬に近畿・関西で初の米軍基地を新設し、Xバンドレーダーを配備すると発表した。現在、北朝鮮が弾道ミサイルで米本土を攻撃するコースとなる真下で、レベルを高めたレーダーが稼働している。


DTRAの脅威評価を参考にして日本政府機関は、さらに独自のシミュレーションを行った。その結果、もし10キロトンクラス(広島と同等)の核兵器が、東京都千代田区の首相官邸エリアで炸裂すれば、直径約200メートルの火球がその中にある官邸と、内閣総理大臣や官房長官を含む政治スタッフをすべて一瞬にして焼き尽くす。500メートル圏内の国会議事堂や議員会館はもちろん、1キロ範囲の霞ヶ関の警視庁、外務省、財務省など中央官庁ビル群はすべて壊滅し、そこにいる70%の人々が核爆発の熱線により即死もしくは即日死。さらに残り、全体の20%の人たちも2カ月以内に死亡する。この国会・官庁エリアの“昼間人口”は約14万人と推計され、ほぼすべての人間の生命が数カ月後には絶たれると推定される。また、23区全体では、2カ月以内に、急性放射線障害での死者数は5万人以上にものぼる。首都圏は関東平野ゆえ遮るものがほとんどない。そのため被害エリアは広大で、入院が必要な負傷者は、10万人を超えると見積もっている。さらに、DTRAはこれら「被害見積もり」と共に、ある重要な提言も日本に送ってきた。「CBRNE(シーバーン)」(化学、生物、放射性物質、核攻撃と、大規模な爆発力を持つ爆弾によるテロ)に対する事態対処医療(タクティカル・メディスン)を急いで確立すべき、という緊急提言だった。現在、欧米の情報機関、治安機関、そして軍では、前述の「事態対処医療」という、これまでは聞き慣れないフレーズが頻繁に飛び交っている(事態対処医療=クライム・メディスンと表記される場合もある)。事態対処医療とは、核攻撃を含むCBRNEや、大規模災害が発生した場合、医療スタッフや救助部隊(消防、警察)がどう対処すればいいか、その実践的な医療オペレーションを指す。



人の魂は【輪廻】を通して【目には目を、歯には歯を】で、幸せな一生もあれば不幸せな一生もある
2018.10.17 Wednesday - 08:40 - by ○○公園


私の元には自分はこれだけ精神的に苦しんでいる。その自分の精神的な苦しみを取ってくれるのが神ではないか。そうした訴えをして来られて、私はにはどうすることも出来ませんと返すと、「罵詈雑言」を浴びせて来られる方があります。


ある悪党が私に言いましたが、神は苦しんでいる者を助けるのが神であり、それ以外のことはするな。そうした概念の方が多いのかも知れません。そこにあるのは、自分の苦しみだけを神と呼ばれる存在に訴えるです。


人々が考える神とは、いったいどういう存在か?


人々が持つ神の概念は、自分の苦しみ取る存在?


霊的世界は「精神世界」とも呼ばれ、霊的世界と精神世界は「紙一重」であり、うかつに霊的世界に足を踏み入れると自己の精神が狂わされるがあります。


スピリチュアルでは神は光だと吹聴されますが、全ての魂は「光の玉」でもあり、その肉体により強い「光の玉」を受けるだけの力が無ければ、より強い光を受けきれずに精神はズタズタにされて発狂などにも行きます。悪霊もまた「光の玉」ではあるのです。


そうした心の病とか精神の病は、神や霊能者で簡単に解決など出来ません。人と交わる娑婆世界を離れて田舎などに引き込み自然とか動物等にふれ合って自分の心を癒やすとか、心療内科や精神科の医師の手助けがないと、娑婆世界で人と人と交わっての治癒は難しいとなります。


私がこれまで出会った方の中には自分が霊から救世主だと言われ、誰がそうしたことを言ったのですかと問うと、猫人霊がそう言ったなどがありました。蛇霊や狐霊は知られていますが狸霊とか猫霊なども、貴方が救世主ですなどと言って来ます。確かに霊的なものがその人に関わったのですが、結果的には精神が破壊されてしまわれたなどがありました。そうした霊による幻聴とか幻視とかが起きて来るのです。そして、被害妄想にも発展するなのです。


私は人間であって神ではありませんし、別に霊能力者でもありません。私がその人に答えられるとしたならば、貴方の現在の苦しみは貴方の過去世の生き方に何等かの【原因】があったのであり、【カルマ(業)】の吹き出しですとしか言いようがないのです。


自己の【精神】が確立しているならば、霊が自分に何を言おうが、それが【道理の筋】に合っていなければ、おまえの言っていることはおかしいと、そんな霊の言葉などに聞く耳など無いと言えます。


私は霊が自分は〇〇大神とか名乗って来れば、その言うことをまず聞きますが、その内容がおかしいと思えばその【証拠】を要求します。時には、その霊に対して【一喝】します。そうすると、ほとんど逃げ去ります。本物ではないからです。


私は子供の頃に自分に臨んで来た旧約聖書の神と称する声が言ったことを、頭から信じているのではありません。その真偽を確かめているだけです。そこに【言葉の仕組み】を創った存在があることを知っただけです。


その学びの過程において霊界が起こす【奇跡】の数々を見て来ました。だからと言って、「奇跡」の現出でそれを創造神等と言っているのではありません。人には【魂】があり、その「魂」論に沿って話しているだけです。


大本教神諭予告、


【この神は心の立替、心の建て直しの神である】


イスラム法では、【目には目を、歯には歯を】


自分が行った行為は、同じ物が【自分に返って来るのが神の法】と説いてはいますが、それが魂の「輪廻転生」を通じて次の世に自分に現れて来るとは説いていません。しかし、仏教においては曹洞宗などに見られる【三時(過去・現在・未来)】の教えに、自分がこの世で為した現在の「カルマ」は未来に、過去の「カルマ」は現在の自分に現れると説いてはいます。


ただ、【カルマ】とはその人が為した行為そのものが、必ずしもそのままで現れるではありません。その形を変えて出て来る場合が多いのです。


個々の人が輪廻の中で積んできた【カルマ】。国家とか民族とか社会が積んで来た集団の【カルマ】も存在して来ます。自分だけが幸せであれば良いと言うものではありません。


私が2番目の師匠の元で修業していた当時、一人の女性と知り合いました。その女性は苦難の道を歩いておられました。その原因となったのは、50ccバイクに乗っていて一人の男性を轢き死なせたことから交通刑務所に入ったことと、自分を育てくれた親の膨大な借金問題等からです。もう両親は首つり自殺する寸前まで追い込まれておられたのです。当時の私はその女性と結婚してもいいと思っておりましたが、その借金額は私にはどうすることも出来ません。


ところが私の2番目の師匠が私にを言って来たのです。【おまえは女性と付き合っているな。その女性とは結婚してはいけない。この女性は前世において強姦されて殺されている。そのことを今の肉体は知らないが魂は知っていて、前世で自分を強姦して殺した男の魂をたまたま見つけたことで、今生でその時の仕返しをバイクを使ってしたでした。】です。その女性は私と結婚するには相応しくないと言って来たのです。


つまり、「目には目を、歯には歯を」をしたなのです。で、この交通事故そのものは過去世の精算であり、過去にその女性を殺した側も今回は自分が殺されたことで過去に殺した【カルマ】が消えたです。この女性の今生での交通事故による人を殺した罪は、その時点で「恨みのカルマ」は解消されました。霊界でその罪が問われることは二度とありません。


そして、この女性は私が出した言葉は、自分はこれまで多くの霊能者に助けてくださいと相談に行きました。どの神も助けるから大金を出せ。大金を出せないのであれば、その若い肉体を差し出せです。皆、蛇や狐の神。本当の神様など居ないと思っていました。だが、貴方の言葉に本当の神様が居ると解ったと言われます。私は驚いて、【私が言った言葉のどこに神様が居る?】と聞いたのです。すると、その女性は私が言った言葉そのもではなくて、私が出している言葉たる【音波】に本当の神を見たと言われたのです。


それは私が発した【言霊】に本当の神を見ただったのですが、当時の私はこの人は何を言っているのだろうと思っていました。その後に、私が見たのは【言霊の正体】でした。それは【蛇や狐の神】ではなかったのです。宇宙創造に関わった神達です。


私の言霊に本当の神を見た最初の女性で、この女性にはある事柄と引き換えに親が自殺するかも知れない途方もない親の借金、現在では2億円程度の借金が一気に片付いたのです。その女性は私に自分はどうなってもいいから親を助けたいと言ったので、これからのその方人生の犠牲と引き換えに、別の【代償】を出して親の親の借金を払ったなのです。それも「目には目を、歯には歯を」なのです。その手助けをしたのは、私の背後に居る神霊団だったと言えます。


その女性は私が出す言葉(音波)に神を見た。その神様の為に働きたいと言ったことに、私の背後神霊団が働いたのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいました。その声は【そなたが本当は誰なのか。どの神にも解らないようなしておく。そなたも知らない。されど、そなたの背後にこの私が居ることが解った者は、この神が救う】。その女性は私の背後に居る神の存在が解ったからと言えます。その女性はその親の借金の代償の払いをする為に、私の前から去っていかれたなのです。


仏教でこの世に起きることに偶然性はなく、全て必然性と説くことの事例と言えます。全ての事柄に【因】があるなのです。


ただ、カルマとは全てが悪い【業】ではなくて、良い【業】もあり、過去世で自分が積んだ徳分(良いカルマ)は、この世で【幸福】と言う形で返って来るのです。どうしてあの人は幸せなのだろう?。過去世における【徳】があったりするのです。


この世は魂の修業場なので、地獄に落とされていた魂も、天国から更なる上の天国を目指す魂も、天国も地獄も定かにならないような魂も、そうした魂に教えをする為にお釈迦様とかイエスとか弘法大師の様な高級霊たる存在の魂も降りて来るなのです。


この世で何の悪行もせずに「幸福」な人は、過去世の徳分が出ている


この地球は【魂の刑務所】ともされますが、【天人の苗床】とも言われるように両面があります。それは「魂の修学の場、更生(甦)」の場なので、過去世に罪悪を犯して来た魂。悪からさらなる善を学ぶ為に来ている魂など様々であり、一概論で語ることなどは出来ないのです。


更に、魂の修学の場として高い世界から降りた魂には【試練・苦難】の波が押し寄せて来ます。この世の試練とか苦難は魂を磨かせる一環でもあるからです。特に神代と呼ばれた時代に悪を積んだ神的な魂には、恐ろしいほどの苦難が来ます。それに堪えることが元の天人の世界に戻る道筋でもあるからです。


キリスト教やイスラム教では一部の霊能力がある宗教家以外は「輪廻転生」などは言いません。仏教には「輪廻転生」の教えがあるとしても、某宗派は仏教でありながら公然と人は死ねば土に還るだけで死後の世界(霊界)など無いと公言しています。そしてこの宗派の信徒は、霊的なことを語る人達に対してオカルトだと攻撃しています。


キリスト教であれイスラム教であれ、霊的な世界を語る司祭達は何も見えない他の司祭達から阻害されたり迫害の攻撃を受けるであり、宗教を信仰したからと言って「天国門」が開くとはならないのです。


万物を創造した神の姿は見えないとしても、【正負の原則】たる「目には目、歯には歯を」たる【カルマ】がバランスを取っているのです。


天国とは、自分がこの世で何を為したかで行く階層が決まる


私の最初の師匠は豊受姫のお代でしたが、こんなことを私に言っていました。人の世の苦難はどんなに長くてもたかだか「50年程度」であり、その苦難を耐えて神様(この世に出ている神霊達)に成ったならば、500年程度は神社の神様で居られる。どちらが得かと言えば、神社に祭られる神様と成った方が得だです。


日本の仏教界においては、日本の神社に鎮まる神霊と言えども【輪廻転生】は避けきれないで、永遠の仏陀ではなくて高い神霊だけには【大菩薩】の称号を贈って来たわけです。神社で神様と呼ばれていても「輪廻転生」からは完全に逃げ切れてはいないなのです。


が、輪廻転生があるからこそ、私達の魂は何万年何十万年と在るのです


私が説いているのは、間もなく【輪廻転生】が終わるなのです


霊界は同じ「想念」の者ばかり集まって暮らす社会なので、多様な世界が存在し天国や地獄も構成されて行くのですが、その世界で自分だけが向上するのは難しい。言うなれば【ドングリの背比べ】状態で、この世に降りて来ることで異論な違いを知ることによって魂が向上する。それが【天人の苗床】と言われる由縁。


輪廻転生が終わると、その時の段階で霊界での地位が固定されるので、早くから【宣伝】がなされているのです。


自分の人生は不幸せだと、【神を恨んだり人を恨んだり】する人生とは、どれほど後ろ向きかとなるのです。今回はたまたま不幸せな人生が訪れたとして、人は恨んだり神を恨んだりする前に、全ての落ち度は自分の過去世に原因があったと、意識を【転換】することが大切だと言えます。


たまたま今生が不幸せだったからと言って、それで霊界に帰れば「地獄」ではないのです。各自の魂の【向上過程】においては、そうした人生もあるのです。特に最終過程ほど【苦難】の道があるのです。【卒業試験ほど難関】と言えます。


霊界の【目には目を、歯には歯を】は「正負の原則」のこと


悪しきことで得た幸福は、次の世で「不幸せ」となる


長い「輪廻転生」の旅においては、恵まれた「良い人生」の時もあれば、何でこんなひどい目に会うのか?。何もかも恨みたいような人生もあるのです。


大本教の出口なお開祖は神界での規則違反に問われて、大本教開祖となった最終の人生は屑拾いで生計を立てていた人生が一番ましな人生であったと言われるように、自分の過去の人生に何かがあって今の人生になっているのであって、人を恨んだり神を恨んだりする筋合いものではないのです。


どの霊能者でも【自殺だけは絶対にするな】と言うのは、たまたま「どん底人生」の時が来たからと言って、過去の良い人生の時に他に対する【徳】の放出をしなかったからであり、【カルマの解消】だと認識出来ていれば、それに堪えて打ち勝つことも出来るのです。


自分の【カルマ】を精算を終えた時、元の神の世界にと戻る


その道は決して楽な道ではない


神の存在を信じるとは、信じることでその苦難の道が少しは和らぐ


神は自分の苦難を取る「御利益神」と思うと、間違った道を進む



質問者 私たちは女性二人で、イギリスからインドを訪ねてきました。私たちはヨーガに関してほとんど知らず、ここに来たのも、インドにおいて霊的な師はたいへん重要な役割を果たしていると聞いたからです。


マハラジ ようこそ。あなた方はここで何も新しいことを見いだしはしないだろう。私たちのしている仕事は時を超えているのだ。一万年前も同じだったし、一万年後もまた同じだろう。いくつもの世紀が変わりつづけるだろうが、苦しみと苦しみの終焉という人類の問題は変わらないのだ。


質問者 先日、七人の若い外国人たちが数日の宿泊のために宿を求めてやって来ました。彼らはボンベイで講話をしている彼らのグルに会いに来たのです。私も彼に会いました。たいへん風貌の良い若い男性で、実際とても有能な人のようでした。しかし、彼には平和と沈黙の雰囲気が漂っていました。彼の教えはカルマ・ヨーガ、帰依、グルに仕えることなどを強調した、伝統的なものです。『ギーター』のように、非利己的な仕事が解放をもたらすと彼は言うのです。彼は野心的な計画をたくさんもち、多くの国々で瞑想のセンターをはじめる信奉者たちを訓練しています。どうやら、彼は彼らに権威だけでなく、彼の名のもとに仕事をする力も与えているようです。


マハラジ  そうだ。力の譲渡といったものは存在するのだ。


質問者 彼らと一緒にいたとき、私は不可視になったような奇妙な感覚をもちました。帰依者たちは彼ら自身をグルに明け渡すことで、私までもグルに明け渡したのです! 何であれ私が彼らのためにしたことは、彼らのグルが私を通してしたことであって、私はただの道具としか見なされませんでした。私は単に右か左に回された蛇口でしかなかったのです。そこにはどんな個人的な関係性もありませんでした。彼らは少しだけ、私を彼らの信仰に帰依させようと試みましたが、わずかに抵抗を感じるなり、私に注意を払うのをやめました。彼らどうしでさえ、それほど理解しあっているようには見えませんでした。彼らを繋いでいるのはグルへの興味だけなのです。私にとっては、それは冷たく、ほとんど非人間的でさえありました。自己を神の手にある道具と見なすことはひとつの考えです。しかし、「すべては神である」ゆえに注意や思いやりをすべて否定することは、残酷さにも近い無関心に導くでしょう。結局すべての戦争は「神の名」のもとに行われたのです。人類の全歴史は「聖なる戦争」の連続です。人は戦争のさなかほど非個人的になることはないのです!


マハラジ 強要したり、抵抗したりすることは、存在しようとする意志に含まれるのだ。存在しようとする意志を取り除いてみなさい。何が残るだろうか? 存在と非存在は、時間と空間のなかの何かに関係している。今とここ、そのときとそこ。これもまたマインドのなかにある。マインドは類推のゲームをしているのだ。それはつねに不確実で、不安に悩まされ、落ち着きがない。あなたはある神かグルの単なる道具として扱われたことに憤慨し、個人として扱われるべきだと主張している。なぜなら、あなたは自分の存在に確信がなく、個人として在ることの安楽と安心を手放したくないからだ。あなたは、これがあなただと信じているものではないかもしれない。だが、それはあなたに継続性を与えてくれる。あなたの未来は現在のなかに流れ込み、精神的衝撃もないまま過去となる。個人的存在を否定されることがこわい。だが、あなたはそれに直面し、人生全体とのあなたのアイデンティティを見いださなければならないのだ。そうすれば、誰が誰に使われたのかという問題はなくなるだろう。


質問者 私が注意を払われたのは、彼らの信仰に帰依させようと試みたときだけでした。私が抵抗したとき、彼らは私に興味を失ったのです。


マハラジ 人は改宗や偶然から弟子になったりはしない。普通、そこには何生をも通して保たれてきた昔からのつながりがあり、愛と信頼として花開くのだ。それがなければ弟子としての地位はありえない。


質問者 何があなたに教師となるように決心させたのでしょうか?


マハラジ  私はそう呼ばれることによってそうなったのだ。誰が誰に教えるというのだろう? 私であるもの、それがあなたであり、あなたであるもの、それが私なのだ。私たちすべてに共通なのは、「私は在る」という感覚であり、「私は在る」を超えた彼方に、かぎりない光と愛があるのだ。私たちがそれを見ないのは、どこかほかを見ているからだ。私は空を指し示すことができるだけだ。星を見るのはあなたの仕事だ。ある人は星を見るまでにより時間がかかる。ある人はより早い。それらは彼らの視野の明瞭さと探求への真剣さにかかっているのだ。その二つは彼ら自身のものでなければならない。私はただ、励ますことができるだけだ。


質問者 弟子となったとき、何をするべきなのでしょうか?


マハラジ 各々の教師たちは、彼らのグルの教えや、彼ら自身が真我を実現した方法と専門用語を用いて教える。その枠組のなかで弟子の個性に適したように調整されるのだ。弟子は思想と探求における完全な自由を与えられ、心ゆくまで質問するように奨励される。彼はグルの地位と能力に関して絶対的な確信をもっていなければならない。さもなければ、彼の信頼は絶対的ではないだろうし、彼の行為も完全なものではないだろう。あなたのなかの絶対性が、あなたを超えた絶対性へと連れていくのだ。絶対的真実、愛、無欲は、真我の実現への決定要因だ。それらは誠実さによって到達されるのだ。


質問者 弟子になるには家庭や所有物を放棄しなければならないと私は理解しています。


マハラジ それはグルによって異なる。何人かの師は成熟した弟子たちに苦行者や隠遁者となるように求める。何人かは家族生活と義務を奨励する。彼らのほとんどが典型的家族生活は禁欲生活よりも困難であり、より成熟しよりバランスのとれた人格に適していると考えている。初期の段階では、禁欲生活の戒律が適切だと言えよう。それゆえ、ヒンドゥの文化では二十五歳までの弟子たちは清貧、貞潔、服従のなかで、僧のように生きることを求められる。それが結婚生活の苦難と誘惑に立ち向かうに十分な人格を磨く機会を与えるのだ。


質問者 この部屋にいる人びとは、いったい誰なのでしょう? 彼らはあなたの弟子なのでしょうか?


マハラジ 彼らに尋ねるがいい。人は言語のレベルで弟子となるわけではない。自分の存在の深い沈黙のなかで弟子となるのだ。選択によって弟子になることはできない。それは自己意志というよりも、運命の問題なのだ。誰が師なのかはさほど問題ではない。彼らは皆、あなたにとっての最善を願っている。弟子の正直さと誠実さ。それが重要なのだ。正しい弟子は、つねに正しい師を見いだすだろう。


質問者 有能な、愛すべき師のもとで真我の探求に見を捧げた人生に祝福を感じますし、その美しさを見ることができます。不幸にも、私たちはイギリスに戻らなければならないのです。


マハラジ  距離は問題ではない。もしあなたの欲望が強く真実ならば、それを満たしていくことがあなたの人生を形づくるだろう。種子をまき、後は時節の到来にまかせなさい。


質問者 霊的な人生における進歩のしるしとは何でしょうか?


マハラジ すべての不安からの自由。安心と喜びの感覚、内面での深い平和と外面でのあふれるエネルギーだ。


質問者 どうやってそれを得るのでしょうか?


マハラジ 私はそれらすべてをグルの聖なる臨在のもとに見いだしたのだ。私自身は何もしなかった。師は私に静かにしなさいと言い、そして、私はできるかぎりそうしたのだ。


質問者 あなたの臨在は、あなたの師と同じほど強力なものなのでしょうか?


マハラジ どうして私に知ることができるだろう? 私にとっては彼の臨在が唯一の臨在なのだ。もしあなたが私とともに在るのなら、あなたは彼の臨在のなかに在るのだ。


質問者 どのグルも、彼自身のグルを私に差し向けます。その出発地点はどこにあるのでしょうか?


マハラジ  宇宙のなかには悟り、そして解放のために働いている力があるのだ。私たちはそれをサダー・シヴァと呼んでいる。彼はすべての人のハートのなかにつねに存在している。それが統合の要因だ。統合が解放し、解放が統合するのだ。究極的には、私のものやあなたのものは何も無い。すべてが私たちのものなのだ。あなた自身とひとつでありなさい。そうすればあなたはすべてとひとつになり、宇宙全体が我が家となるだろう。


質問者 単に「私は在る」にとどまることによって、これらすべての栄光がやってくると言われるのでしょうか?


マハラジ  複雑なことではなく、シンプルなことが確実なのだ。しかし、人びとはシンプルなこと、簡単でつねに手に入るものを信頼しない。私が言うことを素直に試みてみたらどうだろうか? それは一見、小さく、無意味に見えるかもしれない。だが、それは巨大な樹に成長していく種子のようなものなのだ。あなた自身に機会を与えなさい!


質問者 ここにたくさんの人びとが座っていますが、彼らは何のためにここにやってきたのでしょうか?


マハラジ 彼ら自身に出会うためだ。家庭は彼らにとってあまりにも世俗的なのだ。ここでは何も彼らを妨げない。日々の苦悩を去り、彼ら自身の本質に触れる機会を得ることができるからだ。


質問者 気づきの訓練とはどのようなものでしょうか?


マハラジ 訓練の必要はない。気づきはつねにあなたとともにある。あなたが外面に対して与える注意を、内面に向けるだけだ。何も新しく、特別な周囲の気づきが必要なわけではない。


質問者 あなたは個人的に人びとを助けることもあるのでしょうか?


マハラジ  人びとは彼らの問題を討論するためにやってくる。彼らは何らかの救いを引き出しているようだ。


質問者 人びととの会話はいつも公のものでしょうか、それともあなたは個人的に話すこともあるのでしょうか?


マハラジ それは彼らの望みによる。個人的には、私は公的や私的という区別をもっていない。


質問者 あなたにはいつも会えるのでしょうか、それともあなたはほかの仕事をもっているのでしょうか?


マハラジ あなたはいつも私に会うことができる。ただ、朝と夕方がもっとも都合の良い時間だ。


質問者 霊的な師より高い位の仕事はないと私は理解しています。


マハラジ あなたの動機がもっとも重要なのだ。


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