マハルシ 「それ」として在りながら、何を知りたいと言うのでしょう? 知る者と知られる者という二人の自己があるのですか?


必要とされるのは、真我を無知から解き放つことだけです。ここで言う無知とは、真我と真我ではないものを同一視することです。

(対話125)


けれどもそこにいたるには、あなたは、自分の意識を内部の”大いなる光”に向けなければなりません。そして、それを何度もくり返すのです。ここで意思の力が役に立ちます。自分の意識を「外界」からはずす努力をつねにして、”大いなる光”が存在する内部に焦点を当て、それが姿を現わすのを待たなければなりません。


あなたはすでに


あなたにはいつも意識があります。朝起きて、「私は生きているのだろうか。私はここにいるのだろうか」と問う人はいません。意識はつねに存在しています──つねに。狂気を目の前にしても、すぐれたセラピストは一つの絶対的真実を知っています。それは、患者の意識がどんなに混乱し、もうろうとしていても、人格の中心の核となるものは、依然として存在しているという事実です。意識が完全に存在しているところが、どこかにあるはずです。患者の内面の統合がなされている場所があり、セラピストは患者をその部分にくり返し連れ戻します。「私」というものを感じる部分がかならずあるのです。「私は気が狂っている。私は絶望している。私はもう何が何だかわからない」というときの「私」が、つねに存在します。



舌打ちする人間の顔を見たことがあるでしょう?
あの怒り方をこちらの担当者がしないというのは誤解です。当初交わしていた約束を守らない方に対して、「あんなに約束してたのに!」と感じるような気持ちです。あなたが逃げていく姿は上空からのカメラでリアルタイムで撮られ、実況中継もされていたことに気づくのです。この場面でも逃げた。次の場面でも逃げた。さらに次、次、次。追跡中です。
粉砕された破片のように、絨毯にこぼしたお菓子のかけらのように、日々心配が尽きないでしょう。ですがそれはすべて解決します。修理できないものはありません。どうか本質を見失わないでください。あなたという生命を生まれさせたのと同じ力が、思っているよりも多くの仲間が、考えているよりもずっと伸びやかに、あなたを見守っています。Fiora


愛というのは単なる想念ではありません。愛とは肉体感覚です。それは肉体のなかにある動きであり、外で何が起きていようとも、すばらしい温かさと安心感を生み出すものです。それぞれの肉体に独自の感覚があり、独自の調和があり、独自の本質が備わっています。地球界で肉体を使って実験しようとあなた方が最初に決めたとき、神の愛の存在を感じるという深い喜びも、ともに肉体で感じようと決めたのです。それには、まず自分の肉体のなかにいなくてはなりません。体のなかにある<いのち>を感じることがいかに大切であるかが理解できるようになると、人はそれを感じる方法を見つけようとします。そのひとつは音楽を利用する方法です。大好きな音楽にしばらく耳を傾けてください。その音楽を体のなかで感じましょう。音楽を聴きながら、どんな感情が沸き起こってくるかに注意を払ってください。誰か他の人のことや、他の出来事が心に浮かんできたら、ただその事実を認めるだけにして、そこに心をとどめないでください。心に何が浮かんできても、とにかく、ただそこに<いて>ください。


だまされないでください。道程を複雑なものにすればするほど、すでに存在する愛を感じられるようになるまでに、長い時間がかかります。深い愛を体験した瞬間は誰でも持っています。相手や自分を批判したり、おたがいのあいだに相違があると思い込んだり、優越感や劣等感を感じたりしはじめると、こうした瞬間はたちまち砕け散ってしまいます。分離意識が現れたときに、愛の感覚は消滅するようです。愛の感覚に何が起きたのでしょうか。


二人のあいだにある、深いレベルでの相似性に気づくわけです。あらゆる魂は一つのものです。あなたはこの瞬間、分離というものが存在しない状態を体験したわけです。人と人との出会いは、可能性に気づく機会をもたらすものです。つまり、<自分のなかに価値を見いだしてくれて、これからの人生をともに過ごそうと思ってくれる、その結果、自分がほんとうに誰なのかを見つけるチャンスを与えてくれる、そんな人がこの世に一人ぐらいいるかもしれない>その可能性が生まれたことに気づく機会なのです。これが最高の恋愛に対する的確な定義です。


ところがある日、いつのまにか自分の心に批判の目が芽生えます。この時点では、まだ何も言葉に出しては言っていません。けれどもこの最初の小さな批判が生まれた瞬間から、一つのパターンが始まり、それ以後ずっと続くのです。もちろん、相手も同じことをしています。こういうわけで、非常に初期の段階に、こうした分離意識が生じます。そしてそのパターンを壊すものが現れないかぎり、それは持続していきます。けれども、新しい恋愛の強烈なエネルギーがあふれ出ているときには、この執拗に批判しつづける小さなエゴの声が途絶えてしまうようです。この点を忘れないでください。なぜなら、そこに希望があるからです。つまり、自分の心に愛がはじめて芽生えたときにどう感じたか、を思い出すことによって、エゴの声を黙らせることができるということです。ところがほとんどの人は、昔の気持ちをふたたび見つけようとするかわりに、そうした気持ちを起こさせてくれる別の相手を探そうとします。


最初の段階で自然にあふれ出てきた情熱というのは、自分のなかに”大いなる光”があるという感覚なのです。その”大いなる光”はつねに存在しています。歴史的にも文化的にも、”大いなる光”に点火する力はほかの人間にあると人々は思ってきました。<恋に落ち>たときに人がするのは、自分のなかにいつもあった愛の炎をともすことにすぎません。人々は、点火するには相手の人間が必要だと思い込んでしまいました。自分の恋愛や結婚をよく検討してみると、相手の人間を愛しているというよりも、愛し愛されるという感覚を自分は愛しているのだということに気づくでしょう。


まず、真理を思い出すことから始めます。
その真理とは”大いなる光”に点火するのは自分だ、ということです。



あなたが今何を体験しているとしても、あなたは神に満たされており、神のなかに存在しているのです。人はつねに何かを体験しているわけで、問題は、至福と幸福と喜びに満たされた体験をしたいのか、それとも分離意識と苦しみと苦痛に満たされた体験をしたいのか、ということです。それだけが問題なのです。なぜなら神はどちらの状態にも完全に豊かに存在しているからです。こちらの状態にいると神から離れるが、あちらの状態にいると神に近いということはありません。ここで私たちがやろうとしていることはつまり、今まで幾世にもわたって苦痛を志向してきた人々の意識が、別の方向に行けるように、それまでの方向からそっとはずしてやることなのです。


旅の本質


あなたが宥(ゆる)しを行なうたびに、あなたは自分の愛する能力にはめてしまった条件づけを、ひとつひとつ溶かしてゆくのです。あなたが宥すたびに、愛はより深くあなたの中で目覚め、その愛を拡大する能力もまた増してゆきます。それが旅の本質です。


非難したいものごとを、進んでよく見てください。それこそ罪悪感を脱ぎ捨てるてっとりばやい道です。
あなたが誤りだと思うものでも人でも、それはあなたが自分自身の誤っていると思っている箇所を見せてくれているだけです。兄弟よ、それはあなたの罪悪感なのです。もっとよく見てください。でなければ、それはあなたの人生をむしばみつづけます。
幻想の思いこみを真実にしないようにしてください。自分の判断・批判を正当化するのをやめてください。そんなことをすると、自分と他人が切り離されているという確信を強めるだけです。


勇気をもってください。いまこそ果敢であってください。あなたを悩ましているのは、あなたの罪悪感にすぎないのを見てください。あなたを悩ませるすべてのものごとを見て、それを深刻に受けとめた自分を宥してください。やましいところのある人だけが、自分の狂った世界の中のものごとを何でも深刻に受けとめます。


あなたの旅の中で宥されねばならぬ人間はたったひとり、それはあなたです。


生命からの分離と、「不完全」と呼ばれる理解は、何かがほかのものよりも偉大であるとみなしたときにのみ生じるものである。だが、生命という現実の中では、何かがほかのものより偉大であったり劣っていたりすることはない。すべてのものはただ在るだけであって、「在ること」という平等性の中にあるのだ。それゆえ、すべてのものは「完全な状態」、もっと適切な言い方をすれば、「在るという状態」、「ただ存在するという状態」にある。何かをその本当の姿である「在ること」という完全性よりも劣っているとみなすのは、態度という集合的な思考だけなのだ。


さて、最大の分離は、あなた方が人間という化身に入ったときに起こった。その時点までは、あなた方は自分をすべてのものから分離させ始めてはいたが、それでもまだ自分が神であること、そして自分の存在が不死であることを知っていたのである。だが、あなた方が自分を化身のレベルまで下げ、細胞物質という現実を体験し始めたとき、空腹や寒さや生存といった肉体的機能にとらわれてしまったのだ。つまりそれは、自分がなった化身を維持するための苦労のことである。こうして、あなたは細胞物質と結びついたわけだが、細胞物質は、それが創造されたときに、それ自体が生存していけるようにプログラムされていた。偉大なる不死の存在と、自らの構造を生き延びさせようとする物質的機構との結婚は、「ただ在る」というあなたの自我の状態を大きく変質させた。これが「知識の木」、すなわち「変質した自我」の誕生である。そして、あなたの変質した自我をさらに強め、自分は神であり、不死であり、すべての生命とひとつであることを「知っている状態」をさらに変質させたのは、この天界での恐れや競争や嫉妬といったさまざまな感情の体験であったが、それらの感情は魂に記録され、細胞構造の中にプログラムされていったのである。


神々が最終的に自分たちを男と女という形に変え、自分たちがほかの創造物よりも賢くなり、ほかの創造物から逃げられるようになることにすべての意識を集中したとき、神々は変質した生の状態に入ってしまった。皮肉だったのは、自分たちを餌食にする動物からは逃げられたとしても、自分たちの意識を支配し始めていた生存に関わるさまざまな態度からは逃げられなかったことだ。生存に関わる態度と死に対する恐怖が、結局は神々の体を衰えさせてしまったのである。というのも、ある存在がどんなものを恐れていようと、その存在は恐れているものそのものになっていくからだ。


残念なことに、「すべての生命と一体である」という理解は、創造物をデザインしていく過程で、「より偉大である」、「すぐれている」といった思考と競争を通してすでに失われ始めていた。


マスターよ、このことを言っておきたい。すべてのものと一体である状態は、本当にわずか一瞬、わずか一息しか離れていないのだ。自分の存在の奥深くで、もはやいかなるものとも自分を切り離したくないと望むとき、あなたはもはや切り離された存在ではなくなる。すべての思考から自分を切り離してきたのは、あなたの態度、制限された考え方、変質したアイデンティティーにほかならない。


マスターよ、自分であるものを愛しなさい。それを愛するのだ。自分が永遠の存在であり、自分は神なのだと知りなさい。ただそれを知るのだ。それを感じ、その思考を抱き容れなさい。多くの時代を通してあなたを守ってきた本能という遺産が、自分は死すべき人間ではなく、まさに不死の存在であり、自分は限られた人間ではなく、まさに限りない神なのだという「知っている状態」に出会ったとき、あなたの魂はこの限りない思考をあなたの化身の全細胞に伝え、それによって細胞は歓喜することだろう。そうなれば、あなたの体は、その中に宿る偉大なる神の無限の思考に喜んでしたがうようになる。そして、これまであなたの体は、本能的な生存のために不安や用心深さを保持してきたのだから、今や体がその細胞の中に無限の神を宿し、体中の物質が「神なる自分」のすべてと整合した状態へと統一されるときがきているのだ。


マハルシ この詩節の真の意義は、アートマンだけをとらえ、そこから道を踏み外さないことです。


問題が起こるのは、自分自身以外のものが存在するときです。「アートマンは唯一存在する一者である」ということを真に理解すれば、他者もなく恐れの原因もなくなるでしょう。


真我に心をとどめ、行為者という感覚なしに、自然に行為しなさい。そうすれば、行為の結果があなたに影響することはないだろう。


「真我の内に在る」ことが『ギーター』の教えの大要であり、精髄なのです。

(対話58)



質問者 私は具合が良くありません。むしろ弱っている感じがします。どうすればいいでしょうか?


マハラジ 誰の調子が悪いのかね? あなたか、それとも身体だろうか?


質問者 もちろん、私の身体です。


マハラジ 昨日、あなたは具合が良かった。何が良いと感じたのだろうか?


質問者 身体です。


マハラジ 身体の具合が良いとき、あなたは喜び、身体の具合が悪いとき、あなたは悲しむ。ある日喜び、つぎの日悲しむのは誰だろうか?


質問者 マインドです。


マハラジ マインドがそれを知る者だ。知る者を知るのは誰だろうか?


質問者 知る者がそれ自身を知っているのではないでしょうか?


マハラジ マインドは断続的なものだ。眠りや気絶や精神錯乱したとき、何度もそれは空白状態となる。そこにはその断続性を継続的に記録する何かがあるはずだ。


質問者 マインドが覚えています。これが継続性を意味します。


マハラジ 記憶はつねに部分的であてにならず、つかの間のものだ。それは「私は在る」という感覚である、意識に浸透した強力なアイデンティティの感覚を説明はしない。その根底にあるものが何なのかを見いだしなさい。


質問者 どんなに深く見入っても、私にはマインドしか見いだせません。あなたの「マインドの彼方」という言葉は手がかりにならないのです。


マハラジ マインドでもって見ているかぎり、それを超えていくことはできない。彼方へと超えていくには、マインドとその内容から目を離さなければならないのだ。


質問者 どの方向を見ろといわれるのでしょうか?


マハラジ すべての方向はマインドのなかにあるのだ! 私はあなたに特定の方向を見るように言っているのではない。ただ、あなたのマインドのなかで起こっていることのすべてから目を離し、「私は在る」という感覚にそれを合わせなさい。「私は在る」は方向ではない。それはすべての方向を否定したものだ。最後には「私は在る」さえも去らなければならない。なぜなら、明白なことをいつまでも主張しつづける必要はないからだ。「私は在る」にマインドを合わせることは、単にマインドをほかのすべてからそむけることなのだ。


質問者 それは私をどこへ導くのでしょうか?


マハラジ マインドがよそごとに気を取られることから目を離されたとき、それは静かになる。もしこの静けさを妨げず、そこにとどまるなら、あなたはそれが見たこともない光と愛にあふれていることを知るだろう。しかも、あなたはそれをあなた自身の本性だとすぐに認識するのだ。ひとたびこの体験を通ったならば、あなたは二度と同じ人ではなくなるだろう。気ままなマインドはその平和を破り、ヴィジョンを消し去ってしまうかもしれない。だが、すべての束縛が破れ、迷いや執着が終わるまで努力を続ければ、それはかならず戻ってくる。そして人生は最高に、今この瞬間に集中したものとなるのだ。


質問者 それがどんな違いをもたらすというのでしょうか?


マハラジ 思考はなくなり、そこには愛の行為だけがあるのだ。


質問者 私がそれに到達したとき、どうやって認識するのでしょうか?


マハラジ そこにはもはや恐れがないのだ。


質問者 神秘と危険に満ちた世界に囲まれて、どうやって恐れなしでいることができるでしょう?


マハラジ あなた自身の小さな身体もまた、神秘と危険に満ちているのだ。それでも、あなたはそれを恐れはしない。あなたがそれをあなた自身のものと見なしているからだ。あなたが知らないのは、この宇宙全体があなたの身体であり、それを恐れる必要はないということだ。あなたは個人的と宇宙的な二つの身体をもっていると言ってもいい。個人的身体は来ては去っていく。宇宙的身体はいつもあなたとともにある。創造全体があなたの宇宙的身体なのだ。あなたは個人的身体的に盲目的になり、宇宙的身体を見ていない。この盲目がひとりでに終わることはない。それは巧みに、熟考した上で取り消さなければならないのだ。すべての幻想が理解され、放棄されたとき、あなたは個人的と宇宙的の間の区別がすべてなくなった、過ちのない、完全な状態に到達するのだ。


質問者 私は個人であり、それゆえ空間と時間に限定されています。私はわずかばかりの空間を占め、ほんの瞬間存在するだけです。


マハラジ それにもかかわらず、あなたは在るのだ。あなたが真の本性の探求へと深く入って行くにしたがって、小さいのはあなたの身体であり、短いのはあなたの記憶であって、広大な生命の大海があなたのものであることを発見するだろう。


質問者 「私」と「宇宙」という言葉自体が相容れないものです。


マハラジ そうではない。同一であるという感覚は普遍的に浸透しているのだ。探求しなさい。そうすれば、あなたはあなた自身であり、かぎりなくそれ以上である宇宙的個人を発見することだろう。とにかく、まず世界はあなたのなかにあり、あなたが世界のなかにいるのではないということを自覚することからはじめなさい。


質問者 どうしてそうありうるのでしょうか? 私は世界のなかの一部分でしかありえません。鏡のような反映による以外に、どうして部分のなかに世界全体が含まれるというのでしょうか?


マハラジ あなたの言うとおりだ。あなたの個人的身体は一部分であり、その中に全体が不思議にも反映されているのだ。しかし、あなたは宇宙的身体もまたもっている。それを知らないとさえ言えないのだ。なぜなら、あなたはつねにそれを見て、体験しているからだ。ただ、それを「世界」と呼び、恐れているだけなのだ。


質問者 私は、私の小さい身体は知っていると感じますが、もうひとつの身体は科学を通してしか知りません。


マハラジ あなたの小さな身体は、あなたの知らない神秘と不思議で満ちている。そこでもまた、科学があなたの唯一のガイドだ。解剖学と天文学がそれらを説明するだろう。


質問者 たとえ、私があなたの基本的な論理としての宇宙的身体の教義を受け入れたとしても、いったいどのようにそれを考査することができ、また、それが私にとって何の役に立つと言うのでしょうか?


マハラジ あなたが両方の身体に宿ることを知ることで、あなたはすべてを所有することになるのだ。宇宙のすべてがあなたの関心事となり、すべての生きるものたちをあなたはもっとも優しく賢明に愛するようになるだろう。あなたと他者との間には利益の衝突がなくなるだろう。すべての搾取は絶対的に消えるだろう。あなたのあらゆる行動は恩恵となり、あらゆる瞬間は祝福となるだろう。


質問者 それはとても私の関心を引きますが、しかし、宇宙的存在を実現するためには、どのようにはじめればいいのでしょうか?


マハラジ あなたには二つの道がある。真我を実現するために、あなたのマインドとハートを捧げること、あるいは私の言葉を信頼して受け入れ、それにしたがって行動することだ。あなたは自己に対して完全に利己的になるか、完全に非利己的になるかのどちらかだ。「完全に」という言葉、それが重要なのだ。至高なるものに到達するためには、あなたは極端にならなければならない。


質問者 小さく限定された私に、どうしてそのような高遠なるものへの大望を抱くことができるでしょう?


マハラジ あなた自身が、そのなかですべてが起こる意識の大洋なのだと認識しなさい。それは難しいことではない。わずかな注意力と自己への緊密な観察で、あなたはどのような出来事も意識の外側で起こっているのではないことを知るだろう。


質問者 世界は私の意識のなかに現れない出来事でいっぱいです。


マハラジ あなたの身体でさえあなたの意識内に現れることのない出来事でいっぱいなのだ。これが、あなたの身体をあなたのものだと宣言することを妨げはしないだろう。あなたはあなたの感覚を通して自分の身体を知るように、世界を正確に知っているのだ。あなたの皮膚から外側の世界と内側の世界を分割し対立させたのは、あなたのマインドだ。これが恐れと、憎しみと、生きることすべての惨めさを生み出したのだ。


質問者 私に理解できないのは、あなたが言われる意識を超えていくということです。言葉は理解できますが、その体験を視覚化できないのです。結局、あなた自身が言われたように、すべての体験は意識のなかにあるのです。


マハラジ あなたの言うとおりだ。意識を超えたところには、いかなる体験もありえない。それでも、そこにはただ在るという体験がある。そこには無意識ではなく、意識を超えた彼方の状態があるのだ。ある人たちはそれを超意識、純粋意識、あるいは至高の意識と呼んでいる。それは主体と客体の関係から自由な、純粋な覚醒なのだ。


質問者 私は神智学を学んできました。そして、あなたの言われることは何ひとつ聞き慣れないことばかりだと気づきました。神智学が顕現のみを扱うことは私も認めます。それは宇宙とそこに住む生きものについて、たいへん詳細に描写します。多くの物質の階層と、それに相応する体験の層があることを、それは認めています。しかし、どうやらそれを超えていくことはないようです。あなたの言われることはすべての体験を超えていきます。もしそれが体験不可能ならば、いったいどうしてそれについて話しあうのでしょうか?


マハラジ 意識は隙間だらけの断続的なものだ。それにもかかわらず、そこには継続するアイデンティティがある。もしこのアイデンティティの感覚が意識を超えた何かでなければ、いったい何によるというのだろう。


質問者 もし私がマインドを超えているならば、どのようにして私を変えていくのでしょうか?


マハラジ 何かを変える必要がどこにあるというのだろう? いずれにせよ、マインドはつねに変化しているのだ。あなたのマインドを冷静に見てみなさい。マインドを平静にするにはこれで充分だ。静かになると、あなたはマインドの彼方へと行くことができる。いつもマインドをせわしなくさせていてはいけない。それをやめ、ただ在りなさい。もしあなたがマインドに休息を与えたなら、それは落ち着き、その純粋さと力強さを回復するだろう。絶え間なく考えることはマインドを衰退させてしまうのだ。


質問者 もし私の真実の存在がつねに私とともに在るなら、どうして私はそれを知らないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、それは非常に微妙なものであり、あなたのマインドは粗雑なものだからだ。あなたのマインドを静め、明瞭にしなさい。そうすれば、あなたはあるがままの自分自身を知るだろう。


質問者 わたし自身を知るためにマインドが必要なのでしょうか?


マハラジ あなたはマインドを超えている。だが、あなたはマインドで知るのだ。知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存するということは明らかだ。あなたの手段を改善しなさい。そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。


質問者 完全に知るためには、完全なマインドが必要です。


マハラジ あなたに必要なのは、静かなマインドだ。ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしかるべく起こるだろう。日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなかに変化を与えるのだ。平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚め、あなたの努力なしに奇跡をもたらすのだ。


質問者 つまり、もっとも偉大な仕事は、仕事をしないことによってなされると言うのでしょうか?


マハラジ まさにそのとおりだ。あなたは悟りを得るように運命づけられているのだということを理解しなさい。あなたの運命に協力しなさい。それに抗ってはいけない。それを妨げてはいけない。それが運命を全うするのを許しなさい。愚かなマインドがつくり出した障害に注意を払うこと、それがあなたのするべきすべてなのだ。


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