自分裁判、を自覚すること
裁いていていいので、裁きをそのまま放置していていいので、
「ただ自分への裁きの回数と強度と責め言葉を、自覚する」ただそれだけです。
ここでは何も変化しません。
他人への裁き、は概念自体を忘れます。他人を裁いていようがいなかろうが、今は気にしません。
ただ自分への裁きだけをまな板に載せます。
人は痛み始めると、「自分への暴言」をいつのまにか吐くようになっています。
自分が自分に対して言っている言葉を自覚するだけ。
それは自分が自分に対してどのような響きをもっているかを聞くことでもあります。
1階の自分と2階の自分は感じ方も考え方も違います。
どちらの自分も現実で、どちらの自分も大神様に必要な存在だからここにいます。
ダイエットを目標としている時に、人は自分の肉体に対して「言葉」「振動」「響き」を送り続けています。
肉体だってその返事を返しているのに「言う(命令する)だけで、聴かない(フィードバック受取拒否)」人もたくさんいます。
「言うだけで、聴かない」姿勢は、自分という存在の肉体意外にも無意識にやってしまっています。むしろ被害は肉体以外のほうが大きいです。
裁きです。自分への裁きを自覚することは、自分の総体的な「響き」を自覚する最初の、そして最大の一歩です。n
HN:
Fiora & nobody