現実感覚


みえる範囲だけ見ると人の設計っぽいと先日言いましたが、この世界は大道芸や奇術のように「神をわざと隠してしまっている、騙しの」世界です。それでどんなメリットが生まれるかというと、


「神に対してどういう本音をもっているか、ほんとうはどういう関係を築いているか、神との関係を可視化できる」というメリットが生まれているんです。


騙しなので、「一見すると神がいない」という演劇の舞台で、人は活き活きと自由を得ます。
なんでも本人の思うようにやっていいんです。


世界が美しいと見えるか、世界が醜いと見えるかは、
見ている人が実際は何を見ようとしているかに大きく影響を受けています。


生まれつき「人権を傷つけたり、人権を否定する者」として生まれてきた赤ん坊はいません。迫害をする者たちは人生のどこかの時点でそうなったんです。


それにはきっと「世界観」や「現実感覚」が基礎として息づいているはずです。


子どもの時の私はよく「世界観」という言葉を多用していたのですが、いまは「現実感覚」の方が適当であるとも思います。


よく本当の勝負は自分自身との勝負だと言いますが、
自分との勝負はあらゆる大義や、夢、理想、価値観、霊的本質にも言えることだと思うんです。


大義と自分、しかいない場合。大義は自分との勝負。
夢と自分、しかいない場合。夢は自分との勝負。
理想と自分、しかいない場合。理想は自分との勝負。
価値観と自分、しかいない場合。価値観は自分との勝負。
霊的本質と自分、しかいない場合。霊的本質は自分との勝負。


大義、はもうあるんです。
夢、はもうあるんです。
理想、はもうあるんです。
価値観、はもうあるんです。
霊的本質、はもうあるんです。


関係性を定義しているだけなんです。自分が。
現実感覚によって。n


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