一神教の例としてユダヤ教、キリスト教、イスラム教がある(これらはアブラハムの宗教である)。
いずれも、旧約聖書を経典とし、同一の神を信じている。ユダヤ教においてはモーセの時代にそれ以前の宗教から新しい体系が作り上げられたとされる。ユダヤ教を元に、イエス・キリストの教えからキリスト教が誕生し、さらにムハンマドによってイスラム教が生じた。
これら3つの宗教は唯一神教ではあるが、神以外にも人間を超えた複数の知的存在があることを認めている。天使が代表例であり、人間以上だが神以下の存在である(ただしイスラム教では、後に創造されたものであるほど優れているという考えがあるため、天使は人間に仕える存在という側面もある)。天使はあるときは普通の人の形をして現われたり、人とは違う形をして現われたりする。しかし「神の働き」は神だけが行うことができ、その他の存在は「神にお願いすること、執り成しができる」だけである。 wiki


アブラハムの宗教において、「旧約聖書の神」は、元から存在している「神」を指す、対象とするための方便だと言えます。これらの宗教が成立する前から「神」はいましたし、これらの宗教によって何かが規定されたりルール化されたこともありません。宗教人が勝手に境界線を描いているだけです。ただ人間の焦点を「神」に向けるために生まれた道具として、現在も30億人に影響を与えています。


歴史的に見てこれら一神教は戦争に大いに利用されてきました。人殺しの方便にまで貶められ、実際の「神」からの評価が届いていたら大失敗、最低行為と言われるはずです。一度組織化された宗教(特に一神教)は、本来の目的である「人と神をつなぐ」ことから外れ、その存在意義さえ怪しくなっています。人類がこれほど危険な状態に陥るまでに、客観的に見てこれらの宗教に何が残せたというのでしょうか。


神は有能です。常にそうでした。でも宗教は違います。常に、違っていたと言われても仕方ないぐらいの結果でした。人類がいま危急の時だとしたら、宗教に頼るべきでしょうか。私にはそうは思えません。
神と神の本来の望みに可能性をつなぎ、「最初から相談し直す」べきだと思います。n


ヒンドゥー教において、シヴァ派では最高神はシヴァ。ヴィシュヌ派ではヴィシュヌです。過去の文献ではブラフマーだとするものもあります。ですからシヴァ派が見るヴィシュヌ神というのは最高神ではないわけです。第二の神、そういう位置づけです。
いま世界中の国において、最高神側か否か選別が行われているとする方もいます。フィオラも私も8月28日以降はそう思っています。シヴァ派もヴィシュヌ派も通過できるのですが、あくまでも最高神を信じているから通過できるのであって、「神を信じていない」場合はカウントされません。幽霊や魔物を信じている方は結構いるんです。でも「神」を信じている方というのは、何らかの宗教に入っている方でも実数が少なくなります。
タイタニックという映画を覚えていますか? あの映画の中でジャックは、危険に敏感でした。船が沈む前に、沈みそうなことを「匂い」で感知していました。船を社会だとすると、大半の人はまだ紅茶を飲んでいます。ジャックのようなせかせかと焦りはじめるタイプは少数です。n


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