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ぺ天使


雑談です。
あのですね、皆さん「天使」って単語をご存知ですよね。

天使は全ての善なる行いをして、おそらく美人(または赤ん坊)

で、微笑みを浮かべていて、背中から白い羽が生えていて、慈愛の心でどんな窮地にいる人にも優しく語りかけるイメージです。少なくとも私はそう思ってました。


私の質に合わせたんでしょうけれどそれにしたって
フィオラは平たく意訳すれば

「アンタ殺すわ。遺書書きなさい」


「あぁ!?天使ィィ?背後霊?花の精霊ィ?
お花畑かコラ。死神だコラ」


私は本当に泣きました。びびりですから仕方ないです。
その時点で霊能者に除霊を頼みに行ってた可能性だってあるんです。
私が正座してガタガタ震えてる横で、霊能者が「オンバサラなんとか悪霊退散!!」
フィオラはげらげら笑いながら
「なにこの人たちマジうけるんですけど~きゃ~やめて~♪♪
祓われる~o(>▽<o)(o>▽<)o♪♪」とか言ってたに違いないんです。


実際はね、霊能者というのはすごい人たちのことでしょうし、一流の方たちは愛に満ちているんだろうと思います。低振動波の被害にあった方たちは洒落にならないようなものなんでしょうから、こういう書き方はかなり不謹慎なんです。ごめんなさい。


でもね、なかなか悪ふざけは過ぎるんです。
予告された命日に、私は本当の素の顔で、車が通り過ぎるのを見送り、首を傾げながら家に帰り、日記で皆さんに謝罪しました。本当に合わせる顔がなかった。


私は死ぬんじゃないのか。どういうことなのか。
予告日の10日ほど前にフィオラは実際の交通事故を私に見せています。
家の10m横ですよ。夜中に雷が落ちたような音がして、ガソリンが漏れてて横転した車内に人が取り残されている状況をつくりました。フィオラがやったことではないかもしれない。ですが、計画がもつ現実の力を見せつけました(この事故で死者は出てません)。


つまり「交通事故」というのは、神が書いた天上の「台本」どおりに起きていることを私に理解させる目的があったんだと思っています。私は死を覚悟しました。


そして予告日を通過し、フィオラが私に言ったことは


「あなたは陰(オン=集まり)によって救われるでしょう」


「この塔(タロットの塔・正位置=最悪の象徴)を(死神・逆位置と共に)一階まで降りなさい」


交通事故のフラッシュバックからイタリア語の真性異言に始まり、自宅に突っ込ませるような交通事故、私的には天文学的確率を見せられて、私はフィオラを否定できなくなりました。でもね、疑念って本人の中からもなかなか消えないんです。というのは「見なかったことにしよう」というやり方でエゴがフィオラのことを忘れようとして、霊的実践回避の言い訳をしようとするからなんです。呆れるでしょう?でも人間のエゴってそんなもんです。


もし今、こういう意識存在に触れている方がいらっしゃいましたら、
「彼らは目的のためには、なんでもやる」
ということを心の隅に置いておいていただきたいんです。


一見、とんでもない悪や、神を恨むような残酷な仕打ちに見えることでもです。
すべてが愛というのは、優しい意味に聞こえるでしょうが、人間の目からは、そうはとても思えないものまで含むということなんです。


もちろん今日書いたようなフィオラの性格はデフォルメであって、本当は私に無条件の愛を教えたのもフィオラだし、日本刀を振り回すことも愛なんです。愛の日本刀です。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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