塗り替えたい過去があっても
過去にこだわっていること自体はそんなに問題じゃないと思う。なによりきついのは、それが今の否定になっていることがきつい。
私たちが神をみつけるとしたら、それは開かれた今にしかない。
言葉ではなくて、本当に私たちにはそれしかない。
今を愛していないのに、対処療法を求めたって無駄だろう。今を愛していないことに気づくこと。怖れや不安を感じていることに気づくこと。気づけるのだから、気づける。
自分で自分の故障に気づけないなら、直しようがない。
それは故障でも、正義の故障だ。不可抗力だ。
でも気づける力が最初からあるのなら、不可抗力とは言えない。
気づきたくないだけなら、ただの選択だもの。
だから、他人に対しても有効な「言い訳」というのはなかなか見つかるもんじゃない。
決して見つからないのかどうかはわからないけど、そんなに言い訳にこだわるのもなんかね。
あなたはいまどこにいるの?
ぼくはいまここにいる。
HN:
Fiora & nobody