あなたの聖性は、完全に人間らしくあること、自分や他人の欠乏や欲求を完全に受けいれる態勢になることのなかにあります。


昔は想像もしてなかった。コントロールを諦めて、ありのままをありのまま受け取る態度の中に大きな大きな度量があること、柔軟性と奇跡があること。


納得は理屈から生まれるんだと思ってた。割り切れないなら抵抗し続けなければならないのだと感じていた。だって私はちっぽけなのだから。与えられたわずかな条件をなんとしてでも守らなければと思った。



嫌がらない


嫌がるということは受け取ることに抵抗していることで、嫌がらないなら抵抗はしていないということです。雪山で遭難して、嫌がっているなら、物理的な事実以外のことでマインドが嫌がっています。


肉体上のピンチはピンチなんですが、ピンチである事実と嫌がる感覚は本質的に関係がありません。
嫌がっているなら、主体は擬態している自我です。


どんなに面倒くさい話が目の前に広がっていようと、嫌がっているなら偽者の「感覚」です。
その偽者の感覚が本物だと思っているから、つらくなります。


いま、嫌がっているだろうか?


結構大事な点だと思います。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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