100点の視点


100点未満の視点が私たちの日常の視点なわけですが、人間には100点の視点はもてません。無理です無理。人間ではなく、真我・空間が100点の視点をいまもっているんです。どんなに完ぺき主義でも、完ぺきな人生などないです。どこかでケチがつくし、環境変化にも耐えられません。理想の人生を生きてみたいと誰もが願いはします。


でも一番のケチは、私たちの予想した理想の人生は、本当の望みではないことです。どこか寂しさが残るんです。寂しい。


寂しさのまったくない視点なんて一生手に入らないよ。そして実在しないんだ。


実のところ、実在します。宇宙人はいないだろう、と思っていたがいた、みたいに、神様はいないだろうと思っていたら、いた。だからこそ霊性の道は廃れないんですね。


そして全ての分野、業界、老若男女問わず、人々の今この瞬間を照らし、この上なく愛し、神様の子供の私たちは歓喜に沸いているんです。


実在を思い出した人は多いんですが、それが日常と統合されている人はその中でも少数です。まさか自分の限られたちっぽけな人生が、直接的に実在と相関関係にあると確信するのは簡単なことではないです。


心臓は自動的に動いていますよね。意思の力で動かしていません。
この「自動的に動く」という感覚が、どこまで日常に広がっているかが、覚醒の段階だと思います。仕事や家事を自動的に起こらしめることができるでしょうか?


ありのままに起こらしめる立ち位置をどこまで徹底しているか。
どこまでくつろいでいられるか。


私と「それ」の綱引きです。


7月29日の記事で、「外的な物事を達成するという目標群を捨てることができますか?」という質問がありました。vs ゴキブリで言うと、今ゴキブリの発見と攻撃を保留することができるかです。


ネズミを忘れ、猫らしさを体験する瞑想です。


どんなに複雑な仕事でも一時脇に置いて。発覚にとどまることができるか。
立ち去らないでいられるか。


100点の視点の実在を忘れず、顕れる答案のすべてに100点を出し続けます。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。



既に経験があるとおもいますが、朝目覚めたあとぼーっとしてることがありますね。
そこからあなたがたのいう現実を認識していく過程をより注意深く観察してください。
昨日の夜まで何をしていたか思い出そうとしていますか。想念を見つけようとしているのですか。なにかを認識しなければならないと思っているあなたの心の底にはなにが巣食っているのですか。観念の鎧で自身を覆う前に、朝一番に何を身につけているのかを観察してください。裸でいけないと誰が言いました?


今日をありがとう。
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Fiora & nobody