今夜は最初に私が書きます。


以前トゥルーコーリングというドラマを見た時もすごく惹きこまれました。



ストーリー
主人公のトゥルー・デイビーズは、大学を卒業し、病院の研修生になるはずが、モルグ(=死体安置所)で働くことになってしまった。初日の深夜勤務中、トゥルーはモルグから自分の名を呼ぶ声を聞く。声のするクリプト(=遺体ロッカー)を開け、そこに収容されたばかりのレベッカという若い女性の遺体を見つめていると、突如その目が開き、トゥルーに向かって「助けて」と救いを求めた。その瞬間、時間が逆転し、気がつくとレベッカが殺害される当日の朝に戻っていた。トゥルーは24時間以内に事件を解決し、助けを求める人のために尽力することとなる。


トゥルー・コーリングも昨日のアウェイクも視聴率が芳しくなくて1シーズンで打ち切りになっているドラマなんですが、個人的に気に入るドラマは「異世界」が絡んでいます。


アウェイクの精神科医が言ってたことにぎくりとしました。
宗教における死後世界の信仰も、(マイケルの症状と)同じ問題点がある。


「生きる意味を幻想のなかに構築している」


そうかもしれないんですよね。人は何が幻想で、何が真実かを見極めることはなかなかできません。目の前の人の言っていることが「ウソ」か「ホント」かすらわかりません。


たとえば政策とか、環境問題とか、大きな話も、仕事で直面している自分自身の小さな話も、何がベストかを判定できる情報や知識をまず持ち合わせていません。


いつだって情報不足です。情報不足だからといって手加減してくれる人も、決断を待ってくれる人もいません。
頼れる異世界があるのなら、頼りたい。頼れない異世界でも、あると信じたい。


異世界も、あるのかないのか、判定する情報が足りません。
わからない。


わかろうとわかるまいと、そこに意味づけしようとしまいと、いまあるものがあり、体験は続いています。それが地獄に思えたり、天国に思えたりする。



あなたに昔話をしましょう。


あなたがまだ幼い頃、砂場で白砂を使ってお城を建てようとしていたことがありました。
さらさらと崩れてしまう砂に退屈したお友達が去ろうとすると、あなたは呼びとめ、その白砂をカップに入れて水を注ぎました。


「みて!コーヒーができたよ!」と飲んで見せました。


あなたの記憶にあるのは、泥のコーヒーです。
コーヒーだと主張して飲んだ心理は「いまどこにあるのでしょう」


人は無意識です。
心の動きがあまりに素早く、自身が誰なのか忘れてしまうのです。


くりかえします。
どこにも出向く必要はありません。


今日をありがとう。
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Fiora & nobody