vs ゴキブリ


7月の頃の日記を読んでいて、分割のことを斑と呼んでいたのを思い出しました。


たとえば自分には「限界がある」と考えていたり、そういう自己像を持っている以上、分離、分割は基本の信念です。この信念が終わらないと、統合的な意識状態は戻ってこないことになります。


人間であると限界があるのは当たり前のことで、空間には限界がありません。
たとえば私たちがゴキブリと戦っているとき、隠れたゴキブリをどうやって見つけますか。


視覚でしょうか。聴覚でしょうか。第六感でしょうか?


このとき、人間としての自我は、ゴキブリを発見して新聞紙で一撃を加えることを目的に動いています。見つけられるかもしれませんし、見つけられないかもしれません。


このとき、真我としての空間は、すべての行為をもう既に完了させて静止しています。ゴキブリは既に逃げ切ったし、既に新聞紙で叩かれています。派生するあらゆる可能性を潜在させたままに、静止しています。これが空間です。


空間に戻るためには、自我の目的意識を停止しなければなりません。自我のざわめきが止まる=空間の感覚に戻ることです。ということはゴキブリを発見できるかできないか、叩けるか叩けないかを「保留して」「自分らしさを表現することだけを待つ」ように動きを止めます。



なにを言いたかったのかわからなくなりましたが、あとがつかえているので次に進みます。
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Fiora & nobody