初恋強化版 「大いなる愛」(あり方そのものの愛)


ある程度スピリチュアルな体験を思い出していくと人間の「あり方」そのものが「愛」だと気づくようになります。どんなあり方も「愛」です。冷たいアイスみたいな振る舞いでも、愛。


その「無条件の愛」に気づけるのは制限のないワンネスを感じているときです。自我が少しでも境界線を引いている通常の意識状態ではその愛は思い出せません。


言い換えると「空間」の感覚に戻っていないと、あり方の愛は感じることができません。



たとえばナイフをもった犯罪者が今、私を刺そうとしているとしますよね。
このとき、この目の前の犯罪者をこの上なく愛しているのが無条件の愛です。
ナイフによってもたらされるだろう「死」をも怖れていません。この愛の前では死すら一体であり、分離はどこにもないからです。まあナイフを避けるかどうかは脇に置きますけれど。恐怖に満ちている犯罪に恐怖で対応するようなことはありません。


そんな感覚が実在するの!?とカルチャーショックを受ける方は、まだ無条件の愛を「そういうふうに」思い出した経験がないだけです。ですが体験済みです。初恋を思い出してください。初恋の時に燃えていたのは、この大いなる愛の一部です。そしてそれは全員の中にいまあります。


「ナイフOK」というぐらい思い出した経験がある人も、それを維持できる方は稀です。


普通は単なる神秘体験の思い出となり、ふたたび日常に埋没していきます。
自分で自分を疑ったりもするようになります。白昼夢かもしれない…。そうだ!なかったことにしよう!それより今月の家賃が!となります。


無条件の愛ですから、条件があるともう感じられなくなるんですね。
たとえば神様のかたちが「招き猫」だとします。



いま周りを見渡して「招き猫」が見つかりますか?(画面以外で)
見つからない方全員、あなたの周りには「神様」がいませんとなるわけです。


かたちがない。条件がない。
だからいつも共にいます。


この無条件の愛は、消えません。消えようがない、と言ったほうがいいかもしれません。
じゃあどうして!?感じられない!?


(無意識に)条件を見ているからなんです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。



アイススケートをしている人が、すーっと滑っていて、止まってと念じます。
止まれていないのです。慣性がいつも働いていますから、体を止めてもあなたは滑っています。ちょっと動いて、すーっ。止めようとしてるのに、すーっ。慣性の支配下です。
マインドとはそういうものです。
一度あなたの奥底から求めている「いのち」を忘れてください。いのちが「流れている」器に注目します。それはいまあるものです。何も求めず、何も隠さず、器に触れます。どんなに価値のない器に見えても、ただ触れるのです。


今日をありがとう。
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Fiora & nobody