塔に幽閉されているとする。


幽閉されている理由は不明。生活に不自由はないが、幽閉されている以上完全な自由ではない。


脱出しようという試みの強い願望は、塔の外に何がみえているか、による。


どうしても脱出したい理由があるか。
幽閉されているという事実だけでは、弱い。


塔の中にも、街があり、人々がいて、人生がある。
塔の外の世界の実在が強く確信できるというのは、目にみえないものを確信できる理由があるということ。


それは車などの目に見えて、手で触れるような物体に溢れ、確固たる社会体制が築かれているこの世の中で、物理的な事実以外の「なにか」の実在を確信できるほどの「個人的経験」があるということを意味する。


それは他人と共有はできない。
誰しもが、自分とその経験を信じるしかない。
理解してもらいたくとも、不可能。理解はされない。
同意を求めても、その同意に意味はない。


いまあるものがここにある。



ちょうど一年前の日記を読んでいます。
塔に幽閉されているとしたら、幽閉と監禁の事実を調査したらよいのではないでしょうか。


その塔がどんなところか「わかっている」というのが思い込みかもしれません。


特に「私」が「わかっている」という二重の構造になっている場合、
「私」が「塔から脱出する」ためにうんぬんかんぬんと言い出すはずです。


変な言い方ですが、すべて一重です。シンプルです。


いま、ここしかありません。ないんです。


カルマ・業というものがあるとして、塔のようなものだとして、それはこの一重の一部なんです。


いまあるものがここにある。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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