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【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する


ですから、非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがままのもの】を【あるがままに】認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。自分自身がある一定の条件と状況のもとに置かれていることを知ることが、すでに自己解放の過程にあるということです。これに反して、自分が置かれている条件や、内なる葛藤を自覚していない人間は、自分とは別の人間になろうとして、その結果、それが習慣になってしまうのです。そういうわけですから、ここで次のことを銘記しておきましょう。私たちは【あるがままのものをあるがままに】考察し、それに偏向を与えたり、解釈を加えたりせずに、実際にある通りのものを観察し、認識したいのだということを。【あるがままのもの】を認識し追及していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。というのは、【あるがままのもの】は絶え間なく活動し、絶えず変化し続けているからなのです。そしてもし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、【あるがままのもの】の素早い動きを追わなくなってしまいます。【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察してみると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆくには、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです。ですから精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。また干からびた精神や心は、【あるがままのもの】を素早く敏捷に追っていくことができません。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムルティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】
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