わたしは師にならい「魂の成長に苦労はいらない」という一派です。
愛、思いやり、感謝、調和、自然な喜び、気づき、ともに歩むのはこれらであって戦争ではないし、深刻にうずくまったりすることではないと思っています。
一日一日に目的があります。
それを信じて生きるのは幸いではないでしょうか。
よく言われることですが、真我というのがほんとうのわたしを意味しているなら
「じぶん探し」が必要でしょうか。
じぶん探しは不要です。だってここにいるからです。
でも。
じぶん探しが必要だと思い込んでいる場合は、その思い込みを落とす作業は必要になります。
それが真我実現です。単に、じぶん探しが必要という思い込みを落とすこと。
シンプルかつ地味です。
ここまでが理解1(無知)です。
さらに、
その真我がまさに魔法のようなことまで可能にするトンデモない代物だったらどうでしょうか。
宇宙の大きさを考えていただければわかりますが、創造の規模は理性の追いつく次元ではありません。
理解2(神)です。
理解2が争点なんです。
ホントか、ウソか、何をどこまで可能にするのか、
わたしたち人間というのは一人一人が理解2、
神との関係のみを定義しながら生きているとも言えますよね。
正解は人の数だけあります。
わたしと神の関係だけがあります。
今日をありがとうございました。
HN:
Fiora & nobody