新しい自己観が重要です。
(フィオラより。この自己観は自我が転換し、大いなる愛としての自己?感覚が顕れる段階まで含みます)



テルマエ・ロマエを見ていると気づきますが、主人公ルシウスの思考のナレーションがいかに現実そのものと食い違っているか、周囲の意図と、ルシウスの思考が組み立てる世界観は、相容れません。


ルシウスにとっては、「思考」が世界です。
なぜならそれらの「思考」と解釈を丸呑みしているからです。


「平たい顔族」が実際に何を意図していようと、ルシウスには通じません。
ルシウスが泳ぎ、成果を上げようとしているのは「ルシウスの思考の世界」だからです。


これらの思考は実際に色とりどりの感情にも塗れています。
シャンプーハットを見て極大の敗北感に塗れます。


なぜシャンプーハットが敗北なのか、ルシウスにしかわかりません。


一人一人が思考の世界に生きる限り、個室感満載の奇妙な世界が続いていきます。


ある人の中では世界には警報が鳴り響いていて
ある人には牧歌的です。みな歌って踊ります。


ルシウスが「どこに」生きているかを自覚しないかぎり、そこから抜け出すこともできません。
わたしたちにとって他人はみんな、平たい顔族です。


平たい顔族の意図、気持ちそういうことは推し量っていません。
生きているのは本人の「反応」の世界なんです。
誰がルシウスを笑えるでしょうか。


今日をありがとうございました。
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Fiora & nobody