愛をアンブロシア(神の食物)と言って、バーソロミューはこういう比喩にしました。


誰もが胸の中心に一杯の丼に入ったスープを持っていて、イエスやブッダはそれが熱々だったためいつも身体を温めてくれたし、すばらしい香りがしました(愛は物理的に香りがするそうです)。


ふつうの人はそれが冷めているだけですので、火にかければいいんです。
火にかける方法は?どうやって?


愛したい、と心の底から望むことです。


愛されたいを捨てます。
ただ、愛しているで自分を満たします。


わたしは長年この意味がわかりませんでした。
どこか机上の空論のようにも思えました。


愛したい、そして、愛している、で自分を満たすということは
本当の意味での苦しみの終わりです。


アンブロシアであるスープが熱々に戻るとわかりますが、
スープの熱さと裁きは反比例です。


裁く心は、スープを冷まし、愛の発見をいつまでも遅らせます。


世界を、他人を、環境を、この地球を、そして何よりこの自分を、ありのまま認めて、
何も変えようとせずに、
ただ自分だけが「愛している」選択を本当に選ぶのかどうか、
愛の神にじっと見られているんです。


神(すべて)への愛は、神を愛したいという気持ちによってのみ決定されます。
だからわたしたちのやっていることは問いかけなんです。
自分に、「本当に、愛したいですか?」と問いかけているんです。



今日をありがとうございました。
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