あっと驚くカラクリ(天国とは何か)


目の前にボタンがあると想像してもらえますか?
ボタンには危険と書かれています。


そのボタンを押すと天国に行けます。
でもこれは無条件に行けるわけではありませんよね。
「ボタンを押したら」という1つの条件が付いています。


この世とあの世を貫通するカラクリは、
天国へのボタンは存在しないということです。


ここが天国なんです。


ですから移動の必要も、条件を満たす必要もありません。


無条件です。天国ですから。


これが、よく言われるところの「神の無条件の愛」です。


このカラクリが見抜けるまでは大変です。
条件があると思い込んでいるからです。


ボタンも一つではなくて、複数のボタンをある一定のリズムで打つ必要があり、秘密のコード(それを打つと他の人よりも優れた存在となり優越感に浸ることができる、という内容)の噂や都市伝説が溢れています。


秘密のコードのセミナーは多数あり、結構お高い金額だったりします。


これらのすべては「ホントウ」です。
ごく稀に詐欺師の運営しているものがあるのかもしれませんが、大部分はホントウに効果のあるものばかりです。


なぜそうなるのかというと、
真我というのは「すべてをホントウにする」側面があるからです。


真我がスクリーンなら、映る映像は一時的ですし、皆過ぎ去ります。
ですが、「スクリーン上に映っているものは皆ホントウ」です。
実在性を分け与えられているため、実在なんです。


ですが真実の道しるべは常に
「無条件」を伝えるもの
「一人一人の尊厳や完全性」を伝えるもの
「ここが天国」であることを伝えるものです。


無条件ですから「道しるべ」でもなく、
「道」でもありません。


「自由」です。
それは魂の成長のための試練の肯定、前向きな肯定も含まれています。



なぜすべてが愛なのか疑問に思うと思うんです。


たとえば痛みは?たとえば苦しみは?
たとえば雪山で凍死することは?ガンになって死の恐怖にさいなまれることは?
これらのどこが「愛」なんだ?


とみんながふつうに感じます。


これらは「わざと」なんです。だから愛なんです。


偶然ボウフラが沸いて、偶然痛めつけられ、偶然苦しんでいるなら、愛ではありません。


愛の神の実在を知るということは、
愛の神以外のものが存在するのかどうかも知るということです。


愛の神以外のものなど存在しません。
すべて愛の神です。だからこそ、凍死もガンも死の恐怖も虫歯も失恋の泥沼も愛の神なんです。


はあ?


というリアクションが発生したら、はあ?も愛の神です。


それでは
広域指定暴力団や、イスラム国やボコ・ハラム、各国の一番悪い連中も愛の神なのでしょうか?


そうです。
愛の神です。ただし、自由意思の悪用はきっちり返ります。
それも愛だからです。愛とは何かを学ぶこと自体が愛なわけです。
(地球という星においては二極性の中で大いなる愛を体現する・調和するあり方とはいかなるものかを肉体をまとって学ぶ)
たとえそれが一時的に地獄と呼ばれようと愛です。
これは人類そのものに言えます。


もし人類が、今までに繰り広げたすべての自由意思の悪用の業によって滅ぶ場合、それは自業自得です。人類が滅んでも愛の神は滅ばないので大丈夫です。


大丈夫です、というのは愛の神視点であって、
人類視点では、全然大丈夫じゃないです。


ですから自業自得なのだから、業ではなく愛を選ぶようどの局面でも試されています。
人類が滅びるとしたらそれは危機を回避できるに足るまで愛を選ばなかったからです。


愛を選ぶとは大上段な話ではありません。
隣人を愛することですらありません。
愛を選ぶとは、自分を愛することです。


自分の感情を、自分の感覚を、自分のいまの姿を愛することです。


人類の滅亡を防ぐことが
自分を愛するという最も身近なことだというのは本当でしょうか。


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