過去とオサラバ。


過去を引きずらない姿勢は厳密には「一個」しかありません。
いまにいる。しかも私でいない。
存在していること自体という確実性にとどまることです。


私は過去です。
過去が存在できないのは、言葉で表現することのできない場所です。



永遠というものは、形のレベルでは見いだせません。あらゆる形はその本質上、本来、形なきものである宇宙をゆがめてしまっています。すべてを包含し、受容し、すべてを愛するものは、形の中に閉じこめられたりしません。愛はその対象を選んだり、愛があらわれる瞬間を選んだりしません。愛はすべてのものに対し、つねに及んでいます。愛は条件をもたないものです。つまり「形をもたない」ものです。


あなたの愛の経験は、あなたの解釈欲求やコントロール欲求の程度に応じて縮小されます。愛に条件をつければ、あなたの経験するものは愛ではなく、その条件になります。あなたは形に出あうのみで、中身には出あいません。


愛は開いたハートを通じてのみ、表現されます。ハートを開くということはテクニックによるのではなく、概念的な定義の範囲を超えてあふれでる意欲によるものです。ひとつひとつの形が変化するにつれ、ハートは変化してゆくその中身に対し、恐れなく開かれます。なにかを理解しようと思うなら、形をつきぬけて、そのむこうにある創造的な意図に目を向けねばなりません。


人の表現の背後にある意図に同調すれば、その表現が当人にとってどういう意味があるのかが、もっとよく見えてきます。


兄弟の真の姿をありのままに見るためには、自分が相手にはりつけている判断のむこうに抜け出なければなりません。


いま現在のどんな形でも使えるものを使いなさいというのは、柔軟で受容的になってほしいということです。意図のレベルへ入っていってください、ということです。


これが、わたしのさしあげられる最上のアドバイスです。期待をもたずに、結果にしがみつくことなく、いま現在の瞬間にいること。真実を見つけたいなら、自分の中を見てください。自分自身の意図を見るのです。そうすれば、ほかの人の意図を見誤ることはなくなります。


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質問者 あなたにはもはや欲望や恐れはないのでしょうか?


マハラジ  私の運命は素朴な庶民として、わずかばかりの教育を受けた質素な商人となるよう生まれることだった。私の人生は、ごくありふれた欲望や恐れをもった平凡なものだった。私の師への信頼と、彼の言葉への服従を通して、私は真の実在を悟ったのだ。そして人間の性癖に関しては、その運命が尽き果てるまではそれ自身が面倒を見るのに任せておいたのだ。ときには古い習慣から、感情的あるいは心理的な反応も起こるが、それらは直ちに気づかれ、捨て去られる。結局は、人として在るという重荷があるかぎり、その性癖や習慣にさらされるものだ。


質問者 あなたは死を恐れてはいないのですか?


マハラジ  私はすでに死んでいる。


質問者 どういう意味においてですか?


マハラジ  私は二重に死んでいる。身体だけではなく、マインドもまた死んでいる。


質問者 でも、とても死んでいるようには見えません!


マハラジ  それはあなたがそう言うだけだ!あなたは私より私の状態をよく知っているようだね!


質問者 すみません。ただ私には理解できないのです。あなたは身体もマインドもない状態だと言いますが、私の目には、あなたはとても生き生きと現前しています。


マハラジ  途方もなく複雑な働きが頭脳と身体のなかでつねに行われているが、あなたはそれを意識しているだろうか?いいや、まったくしていない。それでも外部から見れば、すべては知性的に、目的をもって行われているように見える。人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、スムーズに流れているということを認めるがいい。


質問者 それは正常なことなのでしょうか?


マハラジ  正常とは何だろう?欲望と恐怖に取りつかれ、争いと闘いに明け暮れ、無意味で喜びもないあなたの生が正常だというのだろうか?身体を過敏に意識することが正常だろうか?健康な身体、健康なマインドは、その所有者にはほとんど気づかれずにいるものだ。苦痛や苦しみを通して、それらは注意と洞察を呼び起こす。同じことを生活全体に拡張させればいいのだ。人は何が起ころうと、それを気づきの焦点に合わせなくても、正しく機能し、充分うまく対応できるものなのだ。自己抑制が自然と身につけば、気づきは存在と行為のより深い層に焦点を移行する。


質問者 それではロボットになってしまいませんか?


マハラジ  繰り返され、習慣づけられたものが自動化されることに、何の害があるだろう?どちらにしてもそれは自動的なのだ。だが、それが混沌とし、苦痛と苦悩の原因となったとき、注意を呼び起こす。清らかな、秩序ある生を送ることの目的全体は、悲しみを背負い、混沌状態の奴隷となることから解き放たれるためにあるのだ。


質問者 あなたはどうやらコンピュータ化された人生がお好きのようですね。


マハラジ  問題から自由となった人生のどこが間違っているというのかね?人格とは単なる実在の反映にすぎない。反映がその源に自然と一致するのは当然のことではないだろうか?個人にはそれ自身の意図が必要だろうか?実在の表現である生が導くだろう。ひとたび個人は単に実在の影にすぎず、実在そのものではないと認識したならば、あなたはいら立つことも、心配することもやめるだろう。あなたは内面から導かれることに同意し、そして生は未知への旅立ちとなるのだ。



今日をありがとうございました。
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