第一原理
私の思い出せる「記憶の中の残像にすぎない」第一原理は無だ。
それは今全身を覆い尽くしている。
無が「何もない」ことだと想像したのは、人間であって、無は結局、死と同じカテゴリーで想像にすぎない。
今生きている全員が、死を体験した瞬間はない。
ある、しか体験していない。
生きている状態しか体験していない。
生きている人間の言う「死」はただの想像にすぎない。
姿見に全身を映して、ああ、老いたなと思うことはあっても、
その瞬間の「ある」事実の源に変化を見ることはできない。
変化したのは肉体であり、映像だ。
人が死んだときにも、何が現実かは判明する。
人間はよく「どう生きるべきか」と尋ねるのだけれども
どう生きるべき、という方向を神様が指定したのなら、自由などどこにもない。
わたしたち以外に神様がいるのなら、統合などどこにもない。
好きなように生きればいい。
変わらずある変わりつづける瞬間(いま)を愛しているのか、ときどき自分に問う。
愛が条件にすり替わった時、愛せなくて苦しんでいる自分に気づく。
私の思い出せる「記憶の中の残像にすぎない」第一原理は無だ。
それは今全身を覆い尽くしている。
無が「何もない」ことだと想像したのは、人間であって、無は結局、死と同じカテゴリーで想像にすぎない。
今生きている全員が、死を体験した瞬間はない。
ある、しか体験していない。
生きている状態しか体験していない。
生きている人間の言う「死」はただの想像にすぎない。
姿見に全身を映して、ああ、老いたなと思うことはあっても、
その瞬間の「ある」事実の源に変化を見ることはできない。
変化したのは肉体であり、映像だ。
人が死んだときにも、何が現実かは判明する。
人間はよく「どう生きるべきか」と尋ねるのだけれども
どう生きるべき、という方向を神様が指定したのなら、自由などどこにもない。
わたしたち以外に神様がいるのなら、統合などどこにもない。
好きなように生きればいい。
変わらずある変わりつづける瞬間(いま)を愛しているのか、ときどき自分に問う。
愛が条件にすり替わった時、愛せなくて苦しんでいる自分に気づく。
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Fiora & nobody