ネレウス
 お前たちの美しい獲物を大いに楽しみ
 若者らを自分の夫だと 夢みるがよい。
 だが ただゼウスだけが与えうるものを
 私が贈ることはできない。
 お前たちを 揺らしてあやす 波の動きは
 ひとときの恋する心を 夢み終えたら
 若者たちを安全に陸地へと 送り届けてやりなさい。


(中略)


タレス
 よきかな! よきかな! 何度でもくりかえそう!
 花の開くような喜びが 胸に拡がる
 身体が 美にして真なるものに 充たされる……
 万物は 水より生じたのだ!!
 万物は 水により生き続けているのだ!
 大海よ お前の永遠の力を 我らのために惜しむことなかれ。
 お前が雲を空へ送り
 山清水を また谷川を豊かに潤し
 うねる流れを 右へと転じ左へと導き
 ついには大河をいっぱいに漲らせることがないならば
 山脈(やまなみ)とて何になろう 平野とて 世界とて 何に役立とう?
 お前こそが 大海よ 新しき生命を保つものなのだ。


(中略)


ホムンクルス
 この魅惑的な水の世界で
 私が照らし出すものはみな
 わが身を忘れるほどに美しい。


『ファウスト』第二幕「古典的ヴァルプルギスの夜」



ファウスト
 ああ 哲学は言わでものこと
 医学に加えて法律学
 無駄なことには神学までも
 胸を焦がして 学びぬいたが
 今ここにいる この阿呆は
 昔と同じ阿呆のままだ!
 狐疑逡巡など俺は知らぬ
 地獄も悪魔も恐れはせぬ。
 が その代償は喜びなしの人生だ。
 このままじゃ犬だってもう生きるのは
 ご免こうむる!
 と 思えばこそ俺は
 魔術に精を出すことにしたのだ
 …………


メフィスト
 それならためらうことはない。
 さあ契約だ。
 この地上にある限りの日々
 私の魔術の数々を
 楽しませて差上げます
 人間がまだ見ぬものを見るのです。
 あなたには目的も制約もつけません。
 盗み食いも自由なら
 逃げるついでの駄賃も手当たり次第
 気に入るものはみんな頂き。
 だから抜け目なく
 おやりになることですな!



これ以上の美少女がいたら教えて欲しい。マジで。と銘打たれた美しい猫(ちょっと感動した)


さとりってなんなの!?
と言われたらきっとこう答える。死ぬほど怖い状況なのにリラックスしてる(ように見える)人がさとりに近い。本当に近いか、勘違いか、どっちかわからないが、近い。


人は、リラックスできない状況にだいたい追い込まれていく。理由や条件はもっともらしくあるが、シンプルに言うと肉体が傷つくのが怖いか、究極の死が怖い。


さとりとは、この瞬間の本当の姿、実在に気づいていること、つながりを取り戻していること、そしてわかりやすく言えば、人間が体験するリラックスの中で最高のリラックス状態にあることだ。なぜ、そんなにリラックスしているのかは言葉では説明できない。一滴の水が己を守ろうと必死に戦っていたが、大海の自分を思い出し、戦う必要がなかったことをこれ以上はないほど明確に思い出す。一滴の水は卑小かもしれないが、大海の自分にとってはそんなことはもうどうでもいい。大海には死などなく、不完全さなどどこにもないと感覚できる。


体験して(自分が本来どっち側だったのか)思い出すしかない。今までは体験していなかったが、ある時点から体験が始まると思うのも不正解で、いままでもこれからもずっと体験していたことを思い出す、「ひとつ」と感覚しないと思い出したことにならない。それは息を吸う、息を吐くという「動作」をする前の「ありのままの流れのなかの」自分に等しいから、最初から体験していない人など誰もいない。「打ち消し」の声が誰しもそれに気づくより大きかったということ。言葉の小ささから沈黙の偉大さに戻る。


さとりからどれだけ離れているかもシンプルで、リラックスしていない瞬間がどれだけあるかということだ。いまリラックスできていないなら、なんらかの思考に巻き込まれている可能性が非常に高い。それは変更するのではなく、その緊張と意識的に(無意識的にではなく)共にいることでしかほどけない。緊張している求道者と、リラックスしている南国リゾートのビーチに寝そべる人は、リゾートにいる人の方がさとりに近い。


リラックスしている人は、この瞬間を愛しているのだ。彼や彼女の目からは敵も悪も消失している。日常の世界観において、自分や誰かを責める気持ちが残っている場合は、愛は感じられない。許す?許さない?と人は毎秒質問されている。
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