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レベル2を起こさない(ダメ!意識外出)


(この記事は一部を修正します。他所様へのリンクはご迷惑をおかけしてはまずいので外そうと思います)
思考や感情を「対象」として認識できる視点に留まること(レベル3に落ちないこと)はよく強調されるが、「見ようとすること」に代表されるような意識外出を起こさないことの重要性はあまり認識されていない。


見ることは2種類ある。
一つは、レベル2における見ること。
もう一つは、レベル4(意識意識)の見ること。


肉眼はどちらでも光を受信するものの、その際に意識の焦点がどこに留まっているか。


肉体の皮膚を境にして「(肉体の)内側」に意識の焦点が向かっている状態を維持していること。これが外側に向かっていると「同一視が外れていない、ありのまま観照していない」のかもしれない。


レベル3(思考・感情)は巻き込まれていることに自覚症状が出にくいので、落とし穴にはまる場合がとても多い。思考が「見えない」。自分を許せないパターン化した思考の癖が特に「見えない」。


マハラジが唯一薦める「私は在る」という「存在の確実性」にマインドの焦点を合わせ続けるというのも、同じことだと思う。


マントラとか呪文もいらず、いま絶対に揺ぎない「存在の確実性」に気づき続けている。


これは「できる!」という感覚が自分の中に生まれない限り、机上の空論は意味がない。



質問者 私は遠い国からやって来ました。ある内的体験をしたのですが、あなたの言葉をうかがいたいのです。


マハラジ  もちろん。あなたはあなた自身を知っているだろうか?


質問者 私はこの身体ではなく、マインドでもありません。


マハラジ  何をもってあなたはそう言うのだろうか?


質問者 私が身体だとは感じないのです。私はあらゆるところに在るように感じられるのです。マインドに関しては、私はマインドのスイッチを入れたり切ったりすることができ、それが私をマインドではないと感じさせるのです。


マハラジ  あなたが自分自身を世界のあらゆるところに感じるとき、あなたは世界から分離しているのだろうか、それともあなたが世界なのだろうか?


質問者 その両方です。ときどき、私はマインドでも身体でもなく、すべてを見るひとつの目だと感じます。私がより深くそのなかに入っていくと、私自身が見るものすべてとなり、世界と私はひとつになります。


マハラジ  よろしい。欲望はどうだろう?あなたには欲望があるだろうか?


質問者 はい。それは短い間訪れ、表面的なものです。


マハラジ  では、それをどうするのかね?


質問者 私に何ができるというのでしょう?それは来ては去っていくものです。私はそれを見るだけです。ときおり、私は身体とマインドが携わって、それを満たすのを見ます。


マハラジ  誰の欲望が満たされるのだろう?


質問者 それは私の住む世界の一部です。樹や雲がそこにあるように。


マハラジ  それは何か不完全さの証拠ではないだろうか?


質問者 いいえ。欲望はただ欲望なのです。そして私はただ私のままです。どうして欲望の出現と消滅が私に影響を与えられるでしょう?もちろん、それはマインドの形態と内容に影響しますが。


マハラジ  よろしい。あなたの仕事は何かね?


質問者 保護観察官です。


マハラジ  それはどういったものだね?


質問者 少年犯罪者が保護観察期間の終えると、ある特別監察官が彼らの行動を見守り、職業訓練や仕事の世話をするのです。


マハラジ  あなたは働かなければならないのかね?


質問者 誰が働くのでしょうか?仕事はただ起こるのです。


マハラジ  仕事をする必要があるのかね?


質問者 彼らは私を必要としているのかもしれません。彼らの運命が、私にこの仕事をさせるのです。生はひとつです。


マハラジ  あなたはどうやって現在の状態に行き着いたのだろうか?


質問者 シュリー・ラマナ・マハルシの教えが私を導いてくれたのです。そしてダグラス・ハーディングという人が、どのように「私は誰か?」に働きかけるかを教え、助けてくれたのです。


マハラジ  それは突然だったのだろうか、あるいは段階的だったのだろうか?


質問者 それはまったく突然でした。何かまったく忘れ去ってしまったことが、記憶に戻ってきたように。あるいは突然のひらめきの理解のようでした。「何とシンプルだろう」と私は言ったのです。「何とシンプルだろう。私は、私が考えていたものではなかった!私は知覚されるものでも、知覚する者でもない。私はただ知覚することなのだ」と。


マハラジ  知覚することでさえない。だが、それらすべてを可能にするものだ。


質問者 愛とは何でしょうか?


マハラジ  区別と分離の感覚が不在なときを愛と呼ぶがいい。


質問者 なぜ男と女の愛がそれほど強調されるのでしょうか?


マハラジ  なぜなら、幸福の要素がそのなかに顕著だからだ。


質問者 すべての愛がそうではないのでしょうか?


マハラジ  かならずしもそうではない。愛は苦痛の原因となる。そのとき、あなたはそれを慈悲と呼ぶのだ。


質問者 幸福とは何でしょうか?


マハラジ  内側と外側の調和が幸福だ。一方、外側との自己同一化が不幸の原因となる。


質問者 自己同一化はどのようにして起こるのでしょうか?


マハラジ  自我はその本性として、それ自身だけを知っている。それは経験に欠けるために何であれ知覚したものを自己だと受け取ってしまうのだ。痛めつけられて、それは注意すること(ヴィヴェーカ)を学び、独りで生きるようになる(ヴァイラーギャ)。正しい行為(ウパラーティ)が自然のものとなったとき、内なる強烈な衝動(ムクシュトヴァ)がその源を探し求めるように駆りたてる。身体のロウソクに火がともされたとき、すべては明らかに輝きだす(アートマプラカーシュ)。


質問者 苦しみの真の原因とは何でしょうか?


マハラジ  かぎりあるもの(ヴィヤクティートヴァ)との自己同一化だ。感覚のようなものは、いくら強烈であっても苦しみの原因にはならない。マインドが誤った観念にうろたえて、「私はこれだ、私はあれだ」と考えることにふけるようになる。それが失うことを恐れ、得ることを熱望し、挫折したとき苦しむのだ。


質問者 私の友人は、毎晩毎晩恐ろしい夢を見たものでした。眠りにつくことが彼を恐れさせたのです。何ひとつ、彼を助けることはできませんでした。


マハラジ  サットサン、真理との交わりが彼の助けとなる。


質問者 人生そのものが悪夢なのです。


マハラジ  サットサンは身体的、精神的、すべての病気にとって至上の治癒法だ。


質問者 たいてい、そのような交友を見いだすことはできません。


マハラジ  内面を探しなさい。あなたの自己があなたの最良の友だ。


質問者 なぜ人生はこうも矛盾ばかりなのでしょうか?


マハラジ  それが精神的な自尊心を打ち破るのを助けるからだ。私たちはいかに弱く、無力であるかを悟らなければならない。自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、私たちは悲しくも苦境にいるのだ。ただ、完全な自己否定のなかにのみ、私たちの真我を発見するチャンスがある。


質問者 なぜそれほどまで自己否定が強調されるのでしょうか?


マハラジ  真我の実現におけるかぎり、真我が見いだされる前に、偽りの自己は捨て去らなければならない。


質問者 あなたが偽りと呼ぶ自己こそ、私にとっては痛ましいほど本物なのです。それが私の知る唯一の自己です。あなたのいわゆる真我は単なる概念、言葉の言い回し、マインドの産物、魅力的な幻にすぎません。私の自己は美しいものではありません。それは認めます。しかし、それは私自身のものであり、唯一の自己です。あなたは、私はもうひとつの自己だ、あるいは自己をもっていると言います。あなたにはそれが見えますか?それはあなたにとって現実のものでしょうか?それともあなたは自分が見ないものを私に信じろと言うのでしょうか?


マハラジ  急いで結論に飛びついてはならない。具体的なものが本物であり、想像されたことが偽物である必要はない。感覚をもとにし、記憶によって形づくられた知覚は、知覚する人を暗に示唆している。あなたはその知覚する人の本性をけっして調べようとしてこなかった。充分な注意をもって、愛情ある心遣いとともにそれを調べてみるがいい。あなた自身のちっぽけな自己イメージに没頭するばかりに、夢にも見なかったような存在の高みと深遠さを発見することだろう。


質問者 私自身を調べるには正しい心もちでなければならないでしょう。


マハラジ  真剣に、集中し、誠実に関心をもたなければならない。あなたはあなた自身に対する善意に満ちていなければならない。


質問者 私はまったく利己的です。


マハラジ  いいや、あなたは違う。あなたはずっと奇妙な、有害で偽物の神々に仕えてきたために、あなた自身を破壊してきたのだ。まったく利己的になるがいい。あなた自身によかれと願いなさい。あなたにとって良いことをしなさい。あなたと幸福の間に立ちはだかるものすべてを破壊しなさい。すべてで在りなさい。幸福でありなさい。楽しくありなさい。幸福よりも偉大なものはない。


質問者 なぜそれほど愛の中に苦しみがあるのでしょうか?


マハラジ  すべての苦しみは欲望から生まれる。真の愛はけっして挫折しない。どうして統合の感覚が挫折をもたらすことができるだろうか?表現のための欲望は挫折しうる。そのような欲望はマインドのものだ。精神的なものすべてにとって、挫折は避けられない。


質問者 愛のなかでセックスはどう位置づけられるのでしょうか?


マハラジ  愛は存在の状態だ。セックスはエネルギーだ。愛は賢く、セックスは盲目だ。ひとたび愛とセックスの本質が理解されたならば、混乱や葛藤はなくなるだろう。


質問者 愛のないセックスがあまりにも多いのです。


マハラジ  愛なしにはすべてが悪だ。生命自体、愛がなければ有害となる。


質問者 何が私を愛させるのでしょうか?


マハラジ  あなたが恐れないとき、あなたは愛そのものなのだ。


* 訳注 ダグラス・E・ハーディング Douglas E. Harding(1909-)
英国東部サフォーク州生まれ。霊的教師、哲学者。主な訳書に『真贋を得る』(図書出版)、『今ここに、死と不死を見る』『顔があるもの顔がないもの』(以上、マホロバアート)などがある。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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