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飛び石


先日の観照視点の話で書いたように耳鳴りが聞こえる場合は耳鳴りを目の前にすることで非顕現に気づくことができる。耳鳴りは変化しているものであり、変化しているものに気づいているものは不変につながっている。では聞こえない場合はどうするのか。


たとえば触覚を使う。足の裏の感触を含めて、体がどこかに接触していない状態は24時間ない。その触覚はどんな瞬間でも感知できる。触覚に気づいていることに「気づいていない」状態があるだけだ。


呼吸もそう。呼吸していない状態は普通ない。呼吸に気づいていることに「気づいていない」状態があるだけ。
一見無意識のために「呼吸に気づいていない」状態があるように思えるが、そうではない。
気づいていることに無意識(マインドの焦点が合っていない)のため「気づいていない」のだ。


つまり、下地または背景の「光」が常時継続しているにも関わらず、
それにマインドの「焦点」を当てないかぎり、「光(気づいている意識)に気づかない」ということ。


水に潜っているなら、水の感触そのものを利用できる。


ありとあらゆる変化するものにリアルタイムで気づいている存在がいる。
ドの音はレになる。レの音はファになる。
信号は赤から青そして黄になる。


飛び石を渡り歩くように、今この瞬間にあるものと、今この瞬間に起こりつつあるものに「意識の焦点」を接触し続ける。全部を把握する必要はない。一つだけでいい。


一つだけ、接触を保ち続ける。


なにに、接触しているのだろうか?
顕現に意識(マインド)の焦点が接触している。そして、顕現とその変化にリアルタイムで気づいている非顕現を意識することができるようになる。


非顕現自体は見えない、聞こえない、触れない、味わえない、嗅げない、知れない。
あるのだ。非顕現はあるだけだ。


いま、ある。マインドの中にまで浸透し、マインドの外にある。


顕現への接触を維持することが目的ではない。顕現への接触を維持していれば、非顕現を常時意識できる「踏み切りジャンプ台」を用意できたことになる。


虚空はあらゆる顕現そのものでもあるが、顕現の彼方にある。
虚空は非顕現だ。虚空に関して言えることは、すべて否定することでしか指せないということ。


わたしたちが虚空だから、在ることができるが、対象として知ることはできない。
対象として知ることができるのは顕現だけ。
マインドも対象だ。ところが「大いなる光の焦点」は非顕現にも向けられる。
顕現を意識することによって、顕現を「証拠に」非顕現に向けることができる。


それが「(気づいているのは)誰?」だ。
誰?誰?誰?誰?誰?
と高速の巻き舌で問い続けるわけにもいかない。


顕現との意識の接触を保ちながら、常に「することとあること」を同時にする。


それが今この瞬間にとどまること。
「飛び石」はフィオラが私に特に学ばせたかった重要事項の一つと言っていい。



脱臭剤は匂いを吸着します。
静寂とノイズも同じこと。
呼吸の底にあるものに気づきなさい。
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