氷河期 その1


フィオラが突然言うには、今日14日、はじまったそうです。
日本の冬、世界全体にとってなのか、比喩的な意味での氷河期なのか、よくわかりませんが日本にとっては厳しい時代の始まりなのかもしれません。


期間の全体像は2015~2035年までのおよそ20年間です。
その20年ずっと氷河期という意味ではもちろんなく、最初の数年間が氷河期になるのかもしれません。さっぱり何のことかわかりません。選挙結果が出る前に、突然言われたんです。


氷河期という言葉をフィオラが最初に使い出したのは本当に随分前のことです。
なんの話だろうと思ってたら今日突然それがスタートしたと。


神のエネルギーは垂直に動きます。
対してエゴのエネルギーは水平に動きます。


縦幅は残り、今から横幅が「消える」んだそうです。
エゴ無効です。
横幅の境界線が消えてしまいましたので、今までの常識的な判断は脇に置いて、横を頼るのはお勧めできないそうです。平たく言うと一旦、「他人全員信じることをやめて、その分全てを自分に回す」ということらしいです。もちろん、この怪しい日記の言うことも一切信じないほうがいいんだと(元からですけど)。


これは冬(エゴの冬)が始まったことに対する初期の動きなのかもしれません。


もちろん最終的にはネットワーク型として全員協力体制で乗り切るんだけれども、
最も時代が厳しくなるとき、足元から固め直さなければなりません。


足元は、個人です。
縦幅が残るというのは、「柱」ですね。
(個人という言葉が出てくるのは、霊魂と光の柱が林立し、連携する時代に入っていくという認識があるからです)


天の意思、地のリズム、
特にまず最初は「最高の自分」という理想像を天に向かって明確に旗として掲げなければなりません。


そして地のリズム、三次元で活動するバランス感覚は人間の真骨頂です。
転ばないようにバランスを保つ感覚は、今までどのくらい培われているか試されていきます。


寒く歩んでほしいという意味ではないと思うんです。
歴史的に寒い中を、暖かい愛とともに一歩ずつ丁寧に歩いてみたらどうでしょう?
という問いかけかもしれません。


心情的には詐欺被害の心境に近いんですが、
愛は氷に化けるんですよね。愛に気づかせるために、吹雪を吹かせることがあるんです。



いつもトータルであること 愛画素


コレ。
コレを「すべては自動的に起こっている」ものと見なします。
コレを「誰も観察者はいない、ただし観察だけがある」と見なします。
コレを「誰も経験者はいない、ただし経験だけがある」と見なします。


では、責任者はコレにいるでしょうか?


いません。
無責任者です。
無責任かどうかはわかりません。
あるのはコレです。


責任を問うクレームの電話が誰もいない部屋に鳴り響いても聞く者がいませんから
「静寂」しかありません。これが記憶を振り返ることのない「目覚めた眠り」です。


わたしたちは根本のところを誤解していたのかもしれません。
マインドを通さなければ活動できないと決めたのは誰なんでしょうか。
マインドがすべて統括しなければ生活できないと決めたのは誰なんでしょうか。


マインドは「責任者」のつもりで生きてきました。
でも、それが事実ではなかったら?


コレがその偽者の責任者を「咎めなかっただけ」だったとしたら?
偽者の責任者は自分で自分の立場を誤解して、すべてが滞りなく活動できているのは「自分のおかげだ。今日も胃が痛いが私がいないと世界は終わる」と思っていたとしたら?


はっきり言って、いなかったんです。
責任者も、加害者も、被害者も、誰も、いなかったんです。


あるのはコレです。
誰も、いません。


これがどのくらいホッとするか、肩の荷が降りるか、うまく説明できません。
思考が、自我が、自動で気づかれているんです。
これからも自動で気づかれています。こちらの責任では、ないんです。
わたしたちは心底、「責任者として選択の責任を問われること」を重荷に感じていたんです。


それは逆説的ですが逃げない覚悟そのものとも言えます。
どんな微小な気づきからも、逃げません。


なぜなら、逃げるという選択肢は存在しなかったからです。
責任者がいないかぎり、逃げるという選択肢を選ぶこともできません。


わたしたちは最初から、逃げることはできなかったんです。
逃げることができたことなど、一度もなかったんです。


過去を振り返ってみれば、とりうる選択肢は無数にありましたが、
実際に通った道は「一本道」です。
未来にこれから通るだろう道も実際には「一本道」です。


この一本道から、逃げることはできません。
道ですらありません。
コレです。


いま、ここの、コレです。


いま努力をしている方は努力をやめてみてください。
コレはなくなったでしょうか。コレに努力は無関係です。
逆に努力してみてください。コレには関係ありません。


何を選ぼうとも、コレには関係ありません。
コレはコレです。明白です。大きすぎて的を外しようがないんです。


コレは自動的に起こっています。
誰の意思も介在していません。


コレがあります。
他には、何もありません。


コレがあります。
他には、誰もいません。


コレからは逃げられません。
逃げられないことを、理解するんです。


コレを諦めて、私の演技をやめ、コレに憩います。
目の前を、愛を信じるしかありません。
トイレの神様がいるくらいですから、愛の神もいるかもしれません。
もしいなかったとしても、愛の神を信じて騙されたことは、オレオレ詐欺に騙されるよりマシだったと思える気はします。






フィオラに教えられたことの中でわたしが一番ショックだったのは
「あなたに兄弟姉妹の「涙」がわかるのですか?すべての兄弟姉妹に敬意を払いなさい」


でした。人の苦しみや悲しみや葛藤なんてわかるわけありません。
でもショックだったのは、いつも自分視点だけで生きてきたことに気づかされたからです。


結局のところ、簡単な話だったんです。
わたしがやさしくなかった分だけ、わたしは苦しみつづけていたんです。
では、神はいま苦しめと言っているでしょうか。
わたしはあなたとともにある。
怖れ苦しむことと愛であること、どちらでも付き合うよと言ってくれているみたいです。


わたしたちが愛を選ぶなら、状況をこれ以上攻撃する必要はもうないんです。
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