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流れは計画されたものです。


すべての人の人生の現状は、たった一つの理由によって起こっています。
大いなる愛の光との結びつきを強めるためにわたしたちの魂がそれぞれ完璧な筋書きを描いたことによります。現状は筋書きの途中です。


神様が私をどのくらい愛してくださっているかわからない、と人は悩みます。
その答えは、神様の愛のただなか、大いなる愛の光そのものであるわたしたちを思い出さないかぎりわかりません。


それは「思い出していなくても、誰一人からも絶対に失われないので大丈夫です」


何も問題ありません。事故死しても殺人の被害者となっても大丈夫です。
ただし、自殺と殺人の加害者になるのはダメです。誰がどう言おうとダメです。戦争中でもダメです。


ダメというのは、回復に時間がかかる(霊の場合は精神的に向き合う過程そのものが時間経過となります)からです。
良心に反したことは、自分が長い時間かけて向き合って償っていくことになります。
自分自身と、他人への思いやりに反することは、霊的事情をわかっているなら何が何でも引き止めなければなりません。


戦争中、相手が撃つ前に撃つしかなかったという恐怖の意識は、情状酌量の余地はありません。
誰かによる裁判ではなく、自分自身が怖れと保身を優先し、愛を鑑みなかったことを許せなくなるのです。


自分を含めて人を殺すことはダメです。
殺すぐらいなら、相手の家族のことを考えて、自分が殺される方がまだマシです。
ですから死刑制度もダメです。終身刑止まりにしなければなりません。


殺人に対する報復で国家が殺人をしていてはいつまでも原始的な社会から抜け出せません。


被害者のことは必ず神が、大いなる愛の光が救います。


わたしたちは愛に沿うことだけを試されています。


「坂村真民」の画像検索結果
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
-坂村真民-


わたしたち一人一人の人生の流れはまず大いなる愛の光(何と呼ぶかは置いて)を思い出すところから始まります。


肉体は老化し、必ず訪れる死(死とは移行です)の瞬間まで、
より大きな文脈で生かされていることに「気づく」のが第一目標です。


それは特定の「状態」のことではありません。
いま「在る」という万人の現状のことです。ですから第一目標は達成されています。


この「在る」の上に余計な概念のカバーをかぶせているために、気づきにくくなっているんですね。


わたしたちは、ただともにあることが愛であることを忘れているんです。



修羅を超え、辿り着いた温かさ


このコピーいいですね。
どんな経験も、それが冷たさに変わったらまだ消化できていないのかもしれないと最近思います。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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