今年もありがとう。
ベッキーについて
わたしたちは互いに愛すべきなのです。
そんなことをしてはいけません。こうすべきです。
ちがうって言ってるでしょ!?こうだって?こう!こうすべき!
最高裁には従うべき!開けたら閉めるべき!トイレの水は流すべき!!
ベキベキベキ!ベキベキベキ!
このベッキーを取り囲んでいるのは「自由」です。
そしてベキベキ言ってるのは「ベッキー」だけです。
(ベッキーは指向性をもつ思考そのものとも言えます)
「自由」に重心があるか「ベッキー」に重心があるかで違うんです。
愛というのはベッキーの愛ではなくて
ベッキーがいなくなったあとに「残っている差別のない愛」のことです。
自由は愛です。
ベッキーは自由のなかのベッキーです。
でも。
ベッキーはとても重要で、必要です。
ベッキーは必要だからいるのであって、不要だったら最初から生み出されていません。
自由を忘れ、単独で存在していると思い込んでいるベッキーが(便宜上)問題なのであって、
自由と連携してのベッキーは何の問題もありません。
自由、愛、ベッキーです。
愛をむずかしく考える必要はありません。
愛は在ること。全員がいま、これです。
全員がいま、愛です。わたしたちはすでにそうであるものを求めて迷子になったんです。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody