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ハロー!ブーメラン(フィオラ)


今わたしたちが手にしているブーメラン、
今手元に持っているブーメラン、


それは
「かつてわたしが投げた」と認めている
「かつてわたしが投げた」と認めていない


どちらかになります。


また、「かつてわたしが」の部分が
顕在意識の私のみが関わった、と思っている
顕在意識に顕れていない私も関わっている、と思っている


どちらかになります。


ブーメランの手触り、存在の感覚、その目的、視野、支援者、などを


信頼しているか(受け手として)
(そして創造する主体としての自己の)責任を取り戻しているか(投げ手として)


この信頼と責任の二つの側面のバランスも問われています。


強調される点は


自分が平和じゃない人がどんな平和に貢献できるのか、
自分を愛していない人がどんな愛に貢献できるのか、
自分が自由、自分が平等、つねに起点の自分はどんな人間なのか。


人に無神経な台詞を投げる前に、自己責任を貫き、
人間としての痛みの経験を通じて兄弟姉妹を思いやること、日常生活でそれが完全に実行されていること、


この当たり前のことがぐらついている者にそれ以上の地平はないということです。


人生は、この当たり前のこと、個人的、感情的なことが基本です。


あなたは今日を受けた
あなたは今日を与えた


受け手としてのあなたはどうだったのか
投げ手としてのあなたはどうだったのか


愛を受けた一日
愛を与えた一日


正直に、あなたにその認識はありますか?


あなたはこの人生を、ここまでの人生のすべてを
愛として、受け取ることはできているでしょうか?


もしそれができているのなら、


愛として、与える新しい舞台に立つことも可能です。


もしできていないのなら、


あなたが手にしているブーメランにかける想いは、
愛と怖れを混濁させたものになり、投げ手としても同じ質の循環にとどまります。


今日が、ここまでの人生のすべてが、
顕れている意識と顕れていない意識すべての愛の結晶として
受け取ることが本当にできるか、ただ自分ひとりに問いかけてみてください。


「猫 画像」の画像検索結果
春分の日まで3日間、やはり特別なタイミングを迎えたように感じます。
上には書かなかったんですが、


かつて生前に、今この世界とは違う世界で(あの世で)、
人生を計画した意識があったこと、そのとき支援した者たちがいたこと、
それはこの人生の中で、特別なタイミングが来ることをすべて知っていた意識です。


この意識が、顕在意識とは別に自分の中に眠っている(隠れている)ことを
顕在意識は「信じることはなかなかできない」んです。


自分がまだ思い出していない、見たことのない自分の存在をあっさり信じるほど顕在意識は謙虚ではありません。


ですから、顕在意識が信じることは無理ですから、
この世の人生のシナリオのすべてを計画した裏の意識を引きずり出すことです。


またはすごくベタなんですが、守護霊やガイドのエネルギーに
先入観ゼロ、まっさらな状態からの導きを「否定できないほどの天文学的確率」で顕してくれるように頼むことです。
言語じゃなくてもいいので、表現方法にこだわらなければ、愕然とするような物理現象が起こります。


この世の表層を支配しているのは、科学や物理法則です。
ですが根源を支配しているのは、意識であり無条件の愛です。
マスコミも一部の学者も評価が遅れているだけです。いずれ常識になるはずです。


日々は愛に沿うかどうか、
愛にOKと言ってもらえるような生き方、活かし方をしているのか、
それだけが基本になります。


それとは真逆の方法、意識で人々を閉じ込めようとする意識(暴力など)からは
視線を逸らし、愛に集中することで集合意識の光のプールに貢献することが大事ではないでしょうか。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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