大事なことはプログラムの一行
トンイ~イ・サンのことを語らせてもらいますね。
トンイの息子が英祖
英祖の孫が正祖(イ・サン)トンイのひ孫
ドラマとしてこの2作の流れがおもしろいのは
本当に価値のある「受け継がれるもの」はあるのか、あるならそれは何か、感じることができるような気がしたからです。
英祖は幼少のサンに対して
王が第一にもっていなければならない資質とは何か?
と問い、さんざん考えさせたあげく答えを与えませんでした。
大河「花燃ゆ」の吉田松陰は門下生に
君の志は何か?
と問いました。
この二つの問いは同じものを指しています。
王とは?
志とは?
公です。公を想い、貢献せんとする心です。
人は関係性の中でのみ生きていて、私を定義することは、実際は公の中でしかできません。
そして公とは、
民
であり、民とは
自分を含めすべての人の尊厳を指します。
すべての人である以上、敵対関係にある人も、言うなれば動植物まで含みます。
公のために
民のために
己の全てを尽くし役立てたい
それが志です。
私(わたくし)のために
と転倒した想いは志ではありません。
なぜそれは志ではないのか、は先達が明らかにしてきた叡智です。
愛のない者は一人もいませんが、
愛の発現を邪魔する「怖れ」のない者も一人もいません。
己の怖れよりも
人の尊厳を優先する者であるかどうか
それこそが正しい道であることを最初にガーっと言われる者は幸福です。
坂本龍馬は政(まつりごと)について
アメリカでは、大統領が、最も弱い立場の人の暮らしが立つように考えて政治をやる。徳川幕府は徳川家の繁栄のみを考えて、三万人の人間をおさえてきた。幕府、幕下の諸大名しかり。
と書き残しています。
こんな素朴な視点が、あるべき政治を想う明治維新の原点でした。
身分にかかわらず志のある人々が時代を変えていきました。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody