最適化は組織でも人でもなく大いなる愛の光が起こす
どんなに力を持つように見える企業でも、政府でも、個人でも、たとえわずかでも資源の配分を決めることはできません。そういった最適化は神の領分です。
これを誤解していることによって、無駄な労力と心配が生じます。
組織内での貢献ではなく、大いなる愛の光そのものへの貢献を意識します。
人事部とは違って、光の人事はわずかな間違いもありません。
モノが足りない、カネが足りないという解釈があっても、
光が足りないことはありません。足りないという解釈は、足りないものを見ている直接の証拠です。
最適化の責任「者?」が大いなる愛の光なら
愛の御心に適うか、己を律する義務を負っているのはわたしたちです。
それは遊び心を失うような深刻さでもありません。
成長にはいくらでもやり直しのチャンスが与えられます、ですが成長を意識的に早める自由も与えられています。
(あの世では。この世ではやり直しのチャンスは貴重であり、特に今、あと数日間は超貴重と思ったほうがよいかもしれません)
愛するという選択肢に抵抗する場合のみ、
強烈なアッパーがやってきます。
宿命の裏側には愛があることを思い出した人たちは、いまこの時期何を感じているのかなと思います。
愛の要求に応えることができている「自信がない」ということかもしれません。
「私(のみ)の利益で行動するパターン」は今後ないな、と感じる方であれば全員大丈夫なのではないでしょうか。
大雑把に正しければいいなら、もうどうやっても、
公に役立ちたいという方向にしか考えが向かない方は何の問題もないと思います。
逆に、怖れが主導している場合のみ、自分を取り巻く状況を操作したくなるんですよね。
人のことは「見くびりたくなる」ものなんです。
いま大切なことは足元で、今日声をかける人たちに、どんな想いで声をかけるかが、どんな世界に住むかということなのかもしれません。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody