他になにがある?


と問いかけるなら、今この瞬間以外には何もないです。
膨大な現象も、今この瞬間というスクリーンに映し出される他、出現するルートはありません。
「唯一の」出現ルートこそ、わたしたちの今この瞬間です。
これが唯一のスクリーンです。他にスクリーンはありません。


そして、それしかありません。


ところが「私」という概念を持ち出すとこう感じます。


私+持ち運ぶ


私が何かを持ち運べる、そして今現在持ち運んでいる、という感覚です。


実際には彫刻する大きな岩を見て、


私+持ち運ぶ
像を投影しているんです。単なる概念です。


現実に存在しているのはただの大きな岩です。
この今この瞬間という岩の性質をありのままに見つめるならば、


持ち運ぶ必要がまったくない


ことに気づき、荷物を降ろす感覚、肩の荷が下りる感覚が生まれるかもしれません。


これしかないということは、
これ以外を選ぶことができる(かもしれない)という幻想は終わるということです。


今この瞬間に感じているものが何であろうとも、
それを否定したり、それをキャンセルして変化させたりすること、またはそれを希望するマインドは幻想を見ていることになります。


これ、という唯一のスクリーンに対してできることは、
肯定だけです。


この認識は当たり前のことではありません。
人が感情を閉じ込め、我慢し、あるものを隠そうとしたり、「あったことをなかったことにして」生きていこうとする心理的態度は、人が培うある種社会的とも言える防衛反応です。


トイレに行くのを5分間我慢することはできます。
5分というその時間は、「調整」のために存在しています。そして単なる「調整」であることを誰もが忘れていません。


ところが他のこととなると
「調整」ではなく、要求自体を消滅させたかのように「思い込む」ことができるのが人間心理の不思議で厄介なところなんです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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