人間として生きている以上、それぞれに癖があります。
ステンドグラスの色彩があって、光は色のある光になります。わたしたち人間というのはステンドグラスのようなもの。
この癖を否定するために生まれたんじゃありません。この癖を味わうために生まれたんです。
大我、光源として生きることは光を透すステンドグラス側を軽視したり、彼・彼女の幸せを無視することではありません。でも彼以外・彼女以外の幸せを無視することでもありません。
ステンドグラスの絶妙な連携を信じるんです。あるがまま、絶妙にある。
反応は勝手に起こり、グラス側よりも光源側が必ずなんとかします。
だからグラスががちゃがちゃ心配しない。
それよりも、思いやりであること。人と人をつなぐ親密さであること。
裁きではなく、更生の一蓮托生であること。
わたしたちは成長しています。
偶然で、デタラメにぶつかっているんじゃありません。
今日をいい一日にしましょう。
この「じれったい」特にかっこいいです。
感情とは何か
感情というのはへそ上4センチにある霊魂の「オーラ」に想念が突入したときの「信号」です。
感情があるということは想念が飛び込んだということであり、その感情は一つ一つが魂の記録に残ります。
前世からの感情が記録されていて、その累積によりこの人生でのシナリオ・台本が描かれています。出来事は魂に記録された感情の累積から
「その想念の解放・消化」のために起こります。
よって感情を無視されてしまうと、魂は一つ一つ想念に覆われていき、元々の大いなる愛の光を感じることができなくなります。
感情に反射的に反応するのではなく、
感情によって存在を示された想念を解放するのが本来の目的です。
この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
HN:
Fiora & nobody