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人は究極的には一人で「島」にいる


友達もいなければ本もなく、何もない


水中の光の揺らぎのようにわずかなサインを見逃さず


自分が自分と沈黙の中にいる


苦しいのは内側に入れというサインなんです


誰かさんのおっしゃるとおり浅いところから何とかしようとしないで


潜りの新記録を狙うつもりで沈潜するのが最も賢いのではないでしょうか


それと瞑想のこと


よく瞑想は必要ない、いつも瞑想状態だからという人がいるけれど
(確かにデフォルトは瞑想状態ですが)


光の存在との交流のタイミングは意識的な表明を行う瞑想しかないので
(日中に2分で呼び出すなどは上級者なら可能かもしれないが、一緒に顕在意識の働きの中で会話するのはむずかしいと感じます)
(逆に故人はこちらが望んでいなくても現れる可能性がある)


瞑想を日課にしている熟練者のアンテナは重要だと思います。




万能薬である「この自分を無条件に許すこと」というのは、この自分、という自己像がどんなものであれ、許していることが発展の道に、許していないことが苦難の道につながるということです。


以前にも書きましたが、
自分を許していない人は、
「他者と環境批判に無意識にすり替えてしまう特徴」があるので、
他人を許していないつもりで、「実は自分を許していない」という影を抱えています。


抱えている以上苦しいですから、向き合わなければなりません。
他人のことは思いっきり許さなくていいんです。キライな人のことも許すのはやめてしまいます。
そのまま、許さなくていいです。


ですからその分、何よりも、
自分のことだけを許す必要があるんです。


この自分を、許すんです。


誰かをキライだったり、憎んだり、嫉妬したり、悔しがったりしているこの自分を許すんです。


どうしてこれを万能薬と光の存在たちが呼ぶのか。
わたしはこれを徹底的にフィオラに背中を蹴られながら教わりました。


この自分を許すことができるまでは、
「わたしの兄弟姉妹(フィオラから見て)に話しかけるな」


と言われていました。


理由は簡単です。この自分を許さない私だけは、他人を傷つけようとするからです。
肉体的に、精神的に、感情的に、無意識にでも、
どんなに些細でも、他人を傷つけようとします。


肉体的に、は普通あまりないですよね。
でも精神的に、感情的に、無意識に傷つけようとすることは、
日常的に起こります。


いつも100%この自分を許しているヤツこそ、
人生を生きる基本をわかっているヤツだそうです。


神の設計図は崇高な美ではありません。
「この自分」です。地元のこの人。これが神の設計図です。


愛ってなに?
わたしの胸にはぴくりとも暖かさは感じられないという焦りはみんなに共通のものです。


わたしもまったくわかりませんでした。何十年も。
愛ってなに?


愛が初めて感じられるようになったのは
この自分を許そうとしてからのことです。
なぜなら愛とは、この自分のことだからです。


愛とは、この自分を駆り立てるのをやめることなんです。


思い出してください。
他者と環境批判をしたくなったら
思いっきり他者を批判していいです、
思いっきり環境を批判していいです、
いいですから
この自分を許せないと感じている患部を見つけ、自分だけは許してください。


愛の姿とは、この自分です。


今日をありがとうございました。
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