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神への愛は、神を愛したいとおもう気持ちによって決定される。


神は愛です。
ですから神を愛したいとは、愛を愛したいとおもう気持ちによって決定されます。
人は気づいていなくても、神はいつもみんなを愛してくれています。


神から人への愛は肉体をまとった誕生の時点でよくわからなくなるんですよね。


そして人にとっては最も怖いこと、神(愛)と分離してしまったのではないのか?という怖れがはじまります。


神(愛)は怒っているのではないか?わたしを受け入れてくださらないのではないか?
そういう怖れが蔓延してしまいました。


すべて思い込みです。
神(愛)ほど怖れなくていい相手はいません。
神(愛)ほど帰還を待ち望んでくれている相手はいません。
神(愛)ほど無条件の相手はいません。


すべての怖れは(たとえばゾンビが怖いとか)対象を怖れているように見えますがそうではないんです。
神との分離だけを極限まで怖れているんです。死もそう。


ですから探求というのは
その怖れが必要ないものかどうか確かめるということなんです。


足の小指をガンとテーブルに打ちつけて
痛みと怒りで飛び上がったとしますよね。


その痛みとその怒りは
神と分離したんじゃないかという怖れから来ているんです。
外面的などんな痛みも、どんな怒りも、神と分離したんじゃないかという傷、
原初の傷へとわたしたちを連れていきます。


わたしたちは経済問題や健康や人間関係に悩んでいるように見えて実際、
神(愛)との分離だけを悩んでいるんです。


ですから
分離か神(愛)かを確かめることだけが人生と言えるのではないでしょうか。


どうやって確かめるかなんですが、
怖れの底まで見ればいいんです。


単純ですが、だからこそみんな死ぬほど嫌がるんです。
それをはいそうですかと簡単にできる人なんていません。


だからなんでしょうか。
この大事な時期に、


・神(単なる愛ではなく愛そのものの創造主のこと)のために今日を生きる!という覚悟で生きてる人たち


と、それ以外の人たちは振動域が違うような気がするんです。
このそれ以外には、色んな意味が含まれます。


ですからわたしも、決して大上段な意味ではありませんが
・神(愛)のために今日を生きる。神を愛する、愛を愛するために生きる。
を一歩一歩できる範囲でやっていこうと感じるようになりました。


今日をありがとうございました。
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