自我が理解できると考えていることが邪魔なんです。
理解できるということは「対象化」しているということですよね。
そうしたら「二つ」あることになるじゃないですか。


対象化するほうとされるほうです。


さらに
対象化するほうとされるほうを同時にみてるやついません?


ラマナはこう言ってました。
スプラナ(輝き・振動)から主体と客体出ちゃうんだよね。


だからこのトリックに巻き込まれないために
スプラナを映画のスクリーンみたいなものと捉えてほしいんだよね。


主体と客体は映像でしょ?
スクリーンはどこ?


理解は必要?
スクリーンに理解は追いつく?必要?理解が触れられる場所?


理解は不要です。


理解できたりできなかったりという映像が
必ず映し出される不動の場所が
ありませんか?


あるというのは「在る」ことでしかわかりません。


だって対象化できないから。
スクリーンは、「本当のあなた」であって「いつものあなた」ではないんです。


日常を生きている習慣は
いつものあなたですよね。


なんで思考に気づく場所とかいう誘導があるかわかります?
なんで思考を潜ませることへの厳格な拒絶とかいう誘導なんでしょう?


俺っち頭いいもんねのアイツと
俺っちに対象として理解された思考


この二つは既に映像なんです。


スクリーンにとっては
俺っちは見えてます。
俺っちが掴もうとする想念の流れ、思考も見えてます。
両方の動きが逐一見えてます。


では今この瞬間
スクリーンとは何?


3文字ではないです。
答えは文字でも言葉でもないです。
理解したら手遅れです。


今この瞬間
スクリーンとは何です?


これでパッと伝わる人もいるでしょうし、
伝達の成功率は低いので伝わらない可能性も高いです。
全員が最初から持っているのに近すぎて見過ごされてしまいます。


ケン・ウィルバーの「立ち去り続けてしまう」です。
どこから立ち去る?なぜ立ち去る?
どこへ向かって立ち去る?→「私」に立ち去り、「思考とその反応である感情、思考によって構築された世界という抽象観念」に立ち去ります。
立ち去ることによって一つだけ見過ごされてしまうものがあります。それは何ですか?


私は誰?


この質問を今までとは違ったように聞けたら成功です。
質問を「理解なし」で、聞いている、誰?


今日をありがとうございました。
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