フィオラの本
初めて面と向かって出会った時、フィオラは何か茶色い革表紙の文庫本のようなものを読んでいたことは最初に書いたと思います。
あの時以来その本の内容が気になってしまい、見せてくれ、読ませてくれ、人生計画を知る「権利」が私にもある!みたいなことを要望したことがありました。
ある日夢の中で1ページだけ読ませてもらったようなのですが、
この世の本と違い、あの世の本は仕組みが違うらしく、文章を読んでもその文字が消えていかない(忘れていかない)感覚がありました。今でいうマルチメディアな学習のようにリンクを相互参照しながら意味が綺麗に全体像までみえます。その学習には時間の感覚がないため、同時にすべての意味がわかります。ところがこの世界で起床すると高速で忘れてしまい、書きとめるだけでも大変です。
私が読ませてもらったページの内容は「意識のあり方」についてのような内容でした。
変な内容なんですが、「火」と「山」を象徴として意識のあり方を二つに分けてとらえるあり方です。
武田信玄が掲げていたような風林火山の火山とはまた別物なのですが、「火山」です。
通常時は「山」であり、意識のスペース(余裕)を多く空けておくことを、
(これは私の解釈ですが、おそらく気を集めるあり方・日常を推奨しているのだと今では思います)
お酒を陽気に飲むようなイメージで「きゅーっとしちゃう」と書いてありました。
非常時は「火」であり、間(意識のスペース)が存在しないと書いてありました。
意識のあり方はコントロールできる対象ではないので、自然に起こることです。
でも振り返ってみると「山」と「火」は確かに交互に人生にやってくるように思います。
あの世に時がなくても、この世にはあります。
計画された人生のイベントに遭遇することを基準に「通常時」と「イベント体験中」とを分けているのではないでしょうか。
イベントから何を学び、愛するか。
サポーターとも深層心理では連絡をとりながら、私たちは今に向き合っているのだと思います。
今日もありがとうございました。
HN:
Fiora & nobody