踊るシヴァ神を想う
有名な像ですが、最初にこのかたちをつくった人が誰であれ、世界の裏側がくっきり見えていたんだなと思います。
踊るシヴァ神を想うたびに、精神世界の伝統も科学にまったく劣らないものだと感じます。
コズミックダンス。粒子のシャワー。
生涯をかけて一途にそれを目指した多くの先達がいたからこそ、今の時代のわたしたちがスピリチュアルと気軽に言えているんですよね。
このまったき流れのなかで、どうしてわれわれは過程ではなく物という考えをいだくようになったのだろうか?連続する出来事に目を閉ざすことによってである。それは、変化の流れを部分化して物とよぶ不自然な態度である。物の真実を知れば、絶えることのない変化の産物を永遠でリアルなもののごとくに崇拝することの愚かさに気づくであろう。生とは物でも、物の状態でもない。絶えることのない運動、変化である。
ラダクリシュナン
HN:
Fiora & nobody