長らくの


長らくお待たせいたしました。とか言うときあるけど、みんな「長らく」何かをしている。「長らく」の傾向がある。自分だけが気づいていなくて、みんな気づいているという「長らく」の何かなのだ。偏見と言うのはみな、神に対する偏見だから、神に「私の一方的な権利を」主張している「長らくの」癖が人生を混乱させているのかもしれない。




してはいけないことの急所は何か


それは(相手が誰であれ)協力しなくなること、他人の素晴らしさを見ようとしなくなることだと個人的に強く釘を刺されてきた。半分自分で受け容れることで強力に刺されすぎたため、この釘は一生抜けないだろうと思う。刺したほうも一生抜けないことを要点に刺している。協力しないというのは、根源を突き詰めると「神に協力しない」ということだ。信頼できない人間はいるが、神を信頼できないのかと問われれば話は違ってくる。だから本質の部分が表に(いずれ)出てくる人間であると思うのなら、信頼すべきだ。出てくる前に魂が損壊するような人間は信頼すべきでない。この見分けの知恵は要る。自分の魂(他人の悲しみ)を犠牲にするような人なら、道を歩く過程ですべて崩れていってしまう。大事に至る前には小事の兆候が何度も何度も現れるから、小事こそ見逃してはいけないこともある。ありがとうとごめんなさいが言えないときは危ない。明日謝るチャンスがある、は推測でしょう? とフィオラに言われた。




何でもすると言う場合


エイリアン2でリプリーが子供を取り返しにエイリアンの巣窟に戻るシーンがある。あれは怖い。普通は足が竦んで一歩も動けないと思う。でも子供のほうが(今の自分より無力で)怖い思いをしているからと戻る。実の子ではないし、出会ってまだ間もない。でも助けに行った。誰もがリプリーのようでありたいとは願うが、実際に実行できる人は稀だ。日本に生まれる人は大して怖いことはない。北朝鮮や、中国に生まれる人は覚悟が必要だ。たぶん選ぶときに逡巡し、怖かっただろう。でも選択している。なぜ選択したのかという動機、その視点が日常生活には必要だ。
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Fiora & nobody