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縁をたいせつにするほうがいい。1年や2年という短いスパンではなく、人生の局面局面でなぜかつながる縁の矢印が同じものを指していることがある。自分では絶対にコントロールできない他人の人生や意思まで使ってそれを指し示すとき、上は勘づかせたいことがあるのだ。不思議なものが示す縁を理性で軽んじないほうがいい。


トランプ大統領への支持率低下を見るに、やはり米国人の大多数の本音は北朝鮮問題に巻き込まれたくないというものだとわかる。普通はそうだ。今はトランプ氏だからこそ日本の国益に近い言動が起きているのだろう。だからこそ、米国との軍事同盟は将来的には解消していくべきだと感じた。いざというときに矛にならないのなら最悪のタイミングの裏切りであり、日本は自前で「事前に」それを用意しておかなければ身を守れない。軍事費を抑えるためにも残念ながら核武装の選択肢は残り続ける。ただ北朝鮮と中国を相手にする間は、日米同盟はもってほしい、何としてもだ。


人生の中心はそれぞれ「何か」に収束しているものだ。日本人1億2500万人が老若男女問わずそれぞれの「何か」を体現しており、それは価値観の違いとして現れている。表面上はどんな共通点が見えても「何か」は異なる。これが、後に表に出てくる。地上においても、肉体のサイズと特徴がほとんど変わらなかったため、ほとんどの日本人が似たようなものに見えてしまい、本当は地上でも最初から見えていたのに気づかなかったと後で気づく。家族さえ全員ばらばらだったと気づく。「何か」の違いは、大きな違いなのだ。この「何か」によって、得られる情報が変わる。問題意識が異なるからだ。人に対する態度も変わる。経験に対する表面積が変わる。運命も変わる。人生の中心が「何」に収束しているのか確かめてみるのは無駄じゃない。ある人は「人より優れること」かもしれない。それにより生じる競争意識とストレスから無縁ではいられない。でもそれを自分で自覚しなければ、ストレスが発生している理由がいつまでもわからなかったりするのだ。


霊的にも、学習方法や体系そのものが異なる。A校とB校の学習方針が異なるように、この世に蔓延する学習理論も価値観も差異がある。他校の弱点だけを数え上げてしまうと、貶し合いになってしまうので、ある一定程度の学校からは他校の弱点について口にすることはなくなる。ただ他校で余りにも問題のある体罰や、自殺紛いの騒ぎが発生している場合は、その学校の方針を選ぶかどうかは本人に熟慮すべきかもしれないとは言うこともあるだろう。逆にそれほどの問題が発生していない限りは、学校毎の方針の違いについて感知するのは本人の感覚次第ということになるのだ。砂粒がある。きめ細かさや、粒と粒の間にある輝きは、粒子として見える。こういう粒子を感じ取ることは必須だと思っている。
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