ドンドンノー ドンドンドン ベリグーベリグー


この爆撃機は鉄でできていて、物質的には確固たるものに見えるが、裏に「欲」がある。紙幣の裏には「信頼」があるように。その欲は支配欲かもしれないし、奪い取ることの欲かもしれない。さらにその欲は人民の欲ではないかもしれない。中国は現状独裁国家なので、これを命じた意思決定者はその独裁者の1グループか、1人だ。そしてその1グループか、1人の欲が本人の欲とは限らない。欲の裏にはそういったことに共鳴する階層がある。中国軍機の裏の裏に、出所不明で共鳴した強い「欲」がある可能性があり、70年維持できた平和は急転直下、血と混沌に沈むことがありうるということ。そのとき問われることは、いまも問われているかもしれないということ。戦争が近づいているなら、物理的には徹底的に「彼(か)を知る」こと。ただ、その混沌を生きる心構えは、腹の底から、胸の奥から、存在の中心に、よくよく聞くこと。



8月24日午前、中国空軍のH-6 爆撃機6機が東シナ海から沖縄本島・宮古島間の公海上を通過して日本列島に沿う形で紀伊半島沖まで飛行した後、反転して同じ経路で東シナ海へ戻った。このルートを中国軍機が飛行したのは今回が初めて。



こちらにはこちらの生活があるように、向こうにも向こうの生活がある。大事なのはこちらの生活で重要なことでも向こうの生活で重要なことでもない。こちらの生活でも向こうの生活でも重要なことだ。それを的確に定義した言葉が「神との関係」であると感じている。私と神との関係とは言っていない。ただ単に神との関係だ。私=神との関係、である可能性があるのだ。神とは何か、は見失うことが多い。向こうの常識でも上すぎて見当たらないとか、そんな上の人のことは交流がないからわからないとか言う。だが、現状=神との関係、が「もしも正しい」としたら、人生の意味というのはまったく様変わりするのだ。そのとき、「私」というのが何なのか、どういうものなのか、誰も上に乗っけてない一隻のボートのように、この定義が漂流し続けていく様を見届ける役割になる。他人との関係、とは言ってない。私との関係とも言わない。
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Fiora & nobody