日本が継承してきた徳や美や財産はありますが同時に


新規対応を要求されていることも膨大です。継承されてきたものを失えば、新規対応も失敗しますので、継承は失敗できません。ですが、継承だけでいいという態度でもほぼ間違いなく失敗します。新規(神気)のビジョンは情熱です。行き当たりばったりでは多民族が融合したりはしません。日本の独自性の継承は地球への独自貢献につながりますが、(継承とは別の)新規のビジョンがわずかでも欠けていればそれは結実しないかもしれません。どちらが添え木でどちらが接着剤なのかわかりません。韓国のパククネ政権の弾劾から現ムンジェイン政権への移行を思い出してみると、「なんでもいいから、いまよりはマシだから、新しい時代(政権)へ!」ではすべてのエネルギーは空回りして、責任転嫁ばかりが世に溢れ、期待はすぐに失望に変わります。お隣の国を笑う人は、日本もいま同じことを要求されているということを忘れているかもしれません。n0121






アシカと令和よりもこのお姉さんに目が…





今日はまじめに書きます。いつもより特にまじめにという意味です。フィオラが「言った」言葉の中で、私が決定的に重要視していること、タイミングは、第一位が2016年2月5日の京都府綾部市上野町への遷都が行われたという謎のサイレンです。そして今日ここに書きます2018年3月2日の峠です。私はフィオラが峠力(とうげりょく)と言ったとき、峠力(とうげぢから)じゃなくて? と内心でツッコミました。このブログにわざわざ訪れ、読んでくださっている方のためにもはっきり書いておきたいのは、このフィオラと私が言っている変な背後の存在の話がすべて私の精神分裂病とか妄想だったとしても、このわけのわからないフィオラさんは2年前に「遷都」を口にし、先月「峠」を口にしたということです。言ったことに間違いありません。そして、これらは私の創作ではありません。「峠」は今までの言葉とは意味が異なり、落下したら死ぬほどの状況にあることを知らせていると思っています。「綾部市上野町」と「峠」のことで「出口王仁三郎氏」に寄せているようなことは一切ありません。フィオラがそう発言していて、私は初めてこの出口さんという方が、ほんとうのことを言っていたのかもしれないと思うようになりました。新興宗教に一切興味はありませんでした。今も全然ないですけれども。こんな背後霊みたいな人の言うことでいちいち憂慮するなんて馬鹿げて見えますよね。でもここで書きますが、私にはフィオラの言ったことで書いてないことが色々ありまして、そのうちの一つが、2017年5月23日のアリアナ・グランデさんのコンサートで起こった自爆テロ事件の時のフィオラの言動でした。日本時間2017年5月23日の早朝、「爆発の起こる3時間前」にフィオラは「マンチェスター、マンチェスター、マンチェスター」と3回繰り返しました。事件の後私は色々考えこみました。そのフィオラがとうとう「峠」と発言しました。私が今日語っているのは、単なる事実です。何の意味もない偶然の連鎖でも、事実をこの時点で書いておくことが重要だと一瞬感じて今日はこう書きました。n
(20180403)


マハルシ あなたの心が落ち着きを失ってさ迷い出すからです。





疲れるのは心であってあなたではないのです。





新しい状態を得ようとする必要などありません。あなたが抱いている想念を今棄て去りなさい。
あなたは想念から自由だからです。


想念から自由になりなさい。何もとらえてはいけません。それらがあなたをとらえているわけではないのです。


質問者 マハルシは「想念を心から剥ぎ取るべきだ」と言われました。


マハルシ それ自体が想念なのです。
あなたに必要なことは、ただあなたの限定を剥ぎ取るだけです。


質問者 しかしそれが最も困難なことなのです。


マハルシ これもまた想念です。そしてそれが障害なのです。

(対話472)


マハルシ あなたは存在します。それは事実です。ディヤーナはあなたによって、あなたに対して、あなたの内で為されます。それはあなたの在る場で続いていかなければならないのです。それはあなたの外側ではできません。それゆえ、あなたがディヤーナの中心なのです。それがハートです。


ハートとは概念でもなければ瞑想のための対象でもありません。それは瞑想の座なのです。

(対話403)



激動東アジア:朝鮮半島で起こり得る5つのシナリオ
米朝会談中断で何が進行しつつあるのか、米国と中国の思惑とは


第2回の米朝首脳会談は、2日目に中断され、今後首脳会談が再開されるか否かは不透明な状況になっている。


まだ両首脳は、協議打ち切りを表明はしていない。しかし、第1回の米朝首脳会談後に高まっていた今後の朝鮮半島情勢についての楽観的な見通しは後退し、緊張が高まっている。


日本として採るべき一般的な対応策を検討した後に、今後の朝鮮半島情勢の見通しについて、5つのシナリオを分析し、日本として対応すべき基本方針を検討する。


米国の総合的ソフトパワー戦略の発動


第2回の米朝首脳会談で米側は、核兵器のみならず、生物・化学兵器とそれらの運搬手段である「あらゆる射程の」弾道ミサイルの全廃も要求した。


また、寧辺(ニョンビョン)以外の地域の非核化も要求したとされている。北朝鮮側の予期した以上に、2回目の首脳会談に臨む米側の姿勢は強硬であった。


金正恩国務委員長の面目は国内外で失われた。


しかし会談中断から約1週間は、ドナルド・トランプ大統領への直接的な非難や会談を「失敗」とする国内報道を抑制するなど、内外で宣伝してきた米朝首脳会談への期待が裏切られたことを取り繕うとの姿勢がみられた。


3月8日に北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)製造工場での活動が報じられるなど、数日後になりようやく北朝鮮側の強硬姿勢への転換を示唆する兆候が出てきた。


このことは、金正恩(キムジョンウン)の会談中断への対応策に、揺らぎがあったことを示している。米側の心理戦の成果とも言えよう。


会談中断直後の3月1日には、金正男(キムジョンナム)の息子の金ハンソルを支持し、金正恩独裁体制の打倒を訴える「千里馬民防衛」と称する団体が「自由朝鮮」に改称し、ソウルで臨時政府を樹立したと報じられている。


さらに同団体は3月21日未明(日本時間)、金日成(キムイルソン)主席と金正日(キムジョンイル)総書記の肖像画が床にたたきつけられる動画をホームページ上で公開した。動画は北朝鮮国内で撮影された可能性がある。


この組織は米韓の情報機関との接点も取り沙汰されており、北朝鮮は神経をとがらせているとみられる(『読売新聞』2019年3月21日)。


今年2月22日には、北朝鮮の在スペイン大使館が暴漢に襲われるという事件も起きている。3月15日付米誌『ワシントン・ポスト』紙は、この事件の背後にも「千里馬民防衛」が関与していると報じている。


また3月11日に発生した駐マレーシア北朝鮮大使館の塀の落書きも自分たちが行ったものだと主張している。


スペイン日刊紙エル・パイスは3月13日付の記事でスペイン国家情報局(CNI)などの消息筋を引用し「侵入者10人中、最低2人の身元が監視カメラの分析で確認され、彼らが米中央情報局(CIA)と関連している」と報じた。


しかし、消息筋は「米情報機関は敏感な時期にこのようなことを行うのは避けただろうし、千里馬民間防衛が特定政府と協力して事件を起こすことはなかった」と話したと、上記の米紙『ワシントン・ポスト』は伝えた(『中央日報日本語版』2019年3月19日)。


これらの兆候は、『ワシントン・ポスト』紙は否定しているものの、米国による総合的なソフトパワー戦略が、金正恩の独裁体制打倒を目標として、発動されたことを示唆している。


明白な証拠はないが、スペイン紙の報道は、スペインの国家情報局が情報源であり、全くの虚偽とは言えない。


「千里馬民防衛」の正体が何であれ、直接の軍事力行使によらない、ソフトパワーを主体とする米国の、金正恩体制打倒の動きは、さらなる経済制裁強化、軍事力による威嚇とともに、今後ますます顕著になっていくものとみられる。


金正恩にとり核兵器などの大量破壊兵器と弾道ミサイルは、米国の武力行使を抑止し、自らの独裁体制と生命の存続を保障する命綱でもある。交渉や経済封鎖、軍事的威嚇だけでは決して手放さないであろう。


しかし、北朝鮮には600万台の携帯端末が普及していると言われ、外部からの情報を一般国民に流すことにより、金正恩独裁体制への不信や不満を助長し、また今回の米朝首脳会談の失敗などを印象付けることで、金正恩の威信と求心力を低下させることもできる。


いずれはソ連のように、体制の内部崩壊に至らせることもできるかもしれない。


米国にとり軍事的選択肢は、北朝鮮の核攻撃、中国の軍事介入などを招く恐れがあり、2日間の戦争で約1100万人の死傷者を日米韓に発生させる可能性もあることから、事実上実行することはできない状況にある。


(詳しくは、ジェフリー・レービス『米国に対する北朝鮮の核攻撃に関する2020年委員会報告(The 2020 Commission Report on the North Korean Nuclear Attacks against the United States)』(WH ALLEN, 2018)参照)


そのような情勢の中で、米国が採ろうとしているのは、総合的なソフトパワーによる金正恩独裁体制の打倒または変質であろう。


このような米国の戦略を前提として、今後の朝鮮半島情勢シナリオとそれに応ずる日本の対応方針はどうなるのであろうか?


日本として採るべき一般的な対応


日本は、自由で開かれた国際貿易体制の中で、繁栄と生存を維持できる海洋貿易立国であり、自由経済と議会制民主主義の体制をとってきた。


そうである以上、例え朝鮮半島がすべて共産化され、あるいは反日となり、統一朝鮮が中国と同盟関係を結んだとしても、中朝の同盟国になる、あるいは中朝寄りの中立国になるという選択は採り得ない。


日本としては、米国と協力し国際社会と連帯して北朝鮮制裁を継続するとともに、独自の抑止力の保持に努めることを安全保障政策の基本方針にしなければならない。


このことは、朝鮮半島、さらには台湾、南シナ海の情勢がどうなろうとも、不変の方針となるであろう。


しかし注意すべきは、北朝鮮が核ミサイル、生物・化学兵器などの大量破壊兵器の保有国であり、かつそれらの放棄に応じず、米国が制裁強化に動けば、北朝鮮による核恫喝、核危機が現実になる可能性もある点である。


また北の核化に対抗して韓国が核化する可能性もある。これらのリスクにも日本は対応しなければならない。


そのために、日本自身も、ミサイル防衛システムの増強という防衛的対応のみではなく、独自の反撃力と即時に発動できる核抑止力を保有しておく必要がある。


中朝露が同盟関係または準同盟関係にあり、米国の戦略核抑止力に対峙した場合、戦略核の応酬において、最大人口の中国と最大国土のロシアに対して米国が優位を保てる保証はない。


そのときには米国の日韓に対する核の傘の信頼性は保てなくなるであろう。


したがって独自の核抑止力を保有し、中朝露の核戦力に対する抑止体制をまず確立しなければならない。


また万一抑止が破綻した場合にも、自ら「核の引き金」を持ち、いかなる大国にも「耐え難い損害を与える能力」を保持することにより、米国に戦略核の報復を保障させることもできる。


このような体制を作ることにより、中露朝と日米韓の間の相互核抑止体制は信頼性と安定性が保証されることになる。


また国民を核、生物・化学兵器による攻撃などの被害から守れる、シェルターの整備と大都会から地方への大規模な避難・疎開計画を立てて訓練もしておかねばならない。これらは、大規模災害対処のうえでも必要な措置である。


平時からの戦いであり、本格的な侵略行動に連携し先制的に全力で行使されるおそれの高いサイバー攻撃などの情報戦に対応する必要もある。


また拉致被害者奪還のために、米国のソフトパワー戦略に連携して、北朝鮮国内向けに積極的なサイバー戦、情報戦を展開する好機とも言える。


そのためには、指揮統制・通信・情報・コンピューター、警戒・監視、偵察(C4ISR)能力を高め、国家レベルの情報機関、サイバー防衛部隊を創り、かつ他国並みのスパイ防止法を整備して情報機関に対するスパイの浸透を防止する必要がある。


実働機関として、自衛隊には国として責任を負う現職の2倍の予備自衛官を広く国民一般の技能者も含めて募り、編成すること、郷土防衛のための実働部隊を知事隷下に創設すること、国家警察・国家消防の整備、海上保安庁や警察の武装と権限の強化、陸海自衛隊への領域警備権限の付与などの措置も早急に行わねばならない。


また半島の混乱に際して予想される、大量に発生する難民に対する対処準備も必要になる。


難民の受け入れに際しての、一時収容施設の開設・運営・警備、武装難民・工作員の流入阻止、検疫、尋問、不審者の収容などの措置も必要になる。


朝鮮半島情勢のシナリオの分析にあたっての前提


以上の一般的な措置に並行して、日本として採るべき朝鮮半島に対する安全保障戦略は、米国がどのような半島政策を採るかにより、大きく変化する。


主導的に朝鮮半島に対する安全保障政策を決めえない日本としては、米国の半島政策に応じて、対応策を考えねばならないであろう。


その場合の前提として、以下の条件が成立するものとする。


●北朝鮮の完全非核化は事実上困難であり、米国が黙認すれば北朝鮮のみならず韓国もいずれ核化する。


●米中間では、核戦争にエスカレートするような本格武力紛争は、台湾海峡、南シナ海でも起こらない。


●ただし、米中いずれかが軍事介入する短期の紛争は起こり得る。その際には、台湾または南シナ海正面の情勢次第では、半島での局地紛争もあり得るが、中国は本格介入しない。


●南北の経済と人口の格差は、本質的には埋まらない。韓国は人口で2倍、GDP(国内総生産)で約30倍以上の優位を維持する。北朝鮮の経済発展は、金正恩体制下では漸進的発展にとどまる。


以上のような前提の下では、米国には次の3つの選択肢がある。


(1)核化した北朝鮮主導の半島統一を黙認する


(2)核化した北朝鮮に対抗して韓国の核化と南北平和共存を認める


(3)韓国を核化させるとともに平和共存下で北朝鮮を平和統合させる


(韓国の北進による北の武力併合は、中国との軍事衝突を招く恐れがあり、米国は認めないとみられる)


いずれの場合も、中国は、積極的な北朝鮮に対する軍事支援や半島への軍事介入は、米国との直接衝突を招く恐れがあり、かつ台湾と南シナ海の方が中国にとりより死活的利益、「核心的利益」であるため、回避するとみられる。


ただし中国は、北朝鮮の大量破壊兵器の安全確保、北の決定的敗北の阻止、北からの難民の流入阻止を重視し、中朝間の軍事同盟関係を維持し、条約義務に基づく限定的派兵や軍事物資の援助による間接的な軍事支援は行うであろう。


他面で、中朝間には、間島などの領土問題、中国側の東北三省内朝鮮民族への民族運動の波及へのおそれ、朝鮮側の中国による北朝鮮国内の鉱山利権などの簒奪に対する反感、歴史的な中国による侵略や抑圧への朝鮮族の歴史的怨念などの対立要因もある。


同じ共産党独裁体制であっても、金日成による延安派の粛清など、金日成以来の対中不信にも根深いものがある。


このため、半島統一を南北いずれが主導しても、中国と統一朝鮮の間に対立や紛争が起きる可能性もある。


これらは、歴史や民族、地政学的要因により生ずる対立であるため、一度生起すると長期化し容易には解決できなくなる可能性もある。


考えられる朝鮮半島情勢
5つの将来シナリオとその脅威度


このような前提の下での朝鮮半島の将来シナリオとしては、以下が考えられる。


(1)米国が北朝鮮主導の半島統一を黙認し、統一朝鮮を反中国家にしようとする場合


(2)米国は北朝鮮主導の半島統一を黙認するが、統一朝鮮が親中反日・反米国家になる場合


(3)米国が韓国の核化を黙認し、南北並立状態となり長期的な南北平和共存が続く場合


(4)米国が韓国の核化を黙認し、韓国が北朝鮮を圧倒し半島を統一、反中国家になる場合


(5)米国が韓国の核化を黙認し、韓国が北朝鮮を圧倒し半島を統一、反日国家になる場合


どのシナリオも、日本の立場からみれば、統一朝鮮が反日国家になる場合と、親日国家になる場合、南北共存が続く場合に分かれる。


また(3)(4)(5)では韓国も核化するため、いずれのシナリオおいても、朝鮮半島の核化は避けられないであろう。


各シナリオの日本への影響と脅威度は以下のようになるとみられる。


(1)では、統一朝鮮は親米かつ親日的になる可能性もあるが、親米、反日になる可能性もある。反日の度合いは、米国の抑制が作用して(2)よりも少ないであろう。


(2)では、統一朝鮮の反日の度合いは最も高まる。中朝の同盟関係は強化され、中の台湾侵攻、南シナ海での紛争に連携し、北の南進と日本へのミサイル攻撃などもあり得る。


(3)現状と大きな変化はないが、核化した韓国の反日姿勢が強まるおそれがある。


(4)親日的な韓国による平和裏の半島統一が成立し、韓国と中国が直接対峙する。日本の安全度は最も高まる。ただし、在韓米軍は半島南部のみの展開か、撤退の可能性もある。


(5)反日的な韓国による半島統一となるが、同時に反中であることは、統一韓国にとり両正面対処となるため、反日親中路線になる。在韓米軍は撤退し、核化した韓国の脅威に日本は直面する。脅威度は(2)の場合と実質的に大きく変わらない。


以上の分析から、最も脅威度の大きいのは(2)または(5)の南北いずれかが半島を統一した後、反日親中国家となり、かつ在韓米軍は撤退するというシナリオになる。


この場合は、在日米軍は増強され、日本自身の防衛力の倍増が必要になる。


日本の独自核保有も米国は黙認する可能性は大きい。統一韓国の膨大な予備戦力に対抗するために徴兵制も必要になるかもしれない。


次いで脅威度の大きいのは、(1)、次いで(3)となる。


最も脅威度の少ないのは(4)である。


(1)の場合は、日米安保体制が維持される限り、米国にとっては信頼度、第一列島線防衛上の価値、同盟国としての国力などから見て、日本を重視するとみられる。


このため、米国は、対中抑止として北主導の統一朝鮮を利用するとしても、日本との同盟は強化するであろう。


日本としては、米国との同盟関係を強化するとともに、孤立感を深める中国と台湾、沖縄、南シナ海方面への脅威への対処をより重視しなければならなくなる。その場合、中国による対日核恫喝のおそれは高まる。


(3)の場合は、日米同盟を強化しつつ、韓国の統一後の軍事力に均衡した防衛力を整備することになる。北朝鮮も韓国も核化するため、日本独自の核保有も北東アジアでの相互核抑止体制の安定化のために必要になるであろう。


日本だけが独自の核抑止力を持たず、米国の核の傘に依存すれば、北朝鮮が核恫喝をかける場合に、韓国よりも日本に恫喝をかける可能性が高まる。日本がそれに屈すれば韓国の防衛は成り立たなくなる。


日本が屈することのないようにしようとすれば、中朝、場合により露を含めた核報復のリスクを犯しつつ、米国は自ら大規模な通常戦力を派遣して日本を守らねばならない。


また韓国が日本に核恫喝をかけた場合に、米国が同じ同盟国の日韓の間で、弱い日本側に立つとは必ずしも言えない。


(4)の場合は、中国が統一韓国と地上国境で直接対峙することになるが、台湾、南西諸島、南シナ海への中国の圧力は緩和されるかもしれない。


逆に、統一韓国に対抗し、中国が台湾併合への圧力を高めるおそれもある。


日本としては、米国との同盟関係を強化しつつ、南西正面を重点とする自国領域の防衛と台湾との連携、南シナ海での共同哨戒などに重点を置くことになる。


この場合も、統一韓国が核兵器を保有する場合は、日本も、中韓の核恫喝を抑止し、北東アジア内の局地的な核抑止体制の安定化するために、独自の核抑止力を保有する必要がある。


結論


生起公算は、現在の文在寅政権の親北政策、米朝会談の成り行きなどから見て、(2)の可能性が最も高い。


ただし、トランプ政権の対北ソフトパワー戦略が奏功した場合は、金正恩体制が崩壊するか変質し、(4)か(5)になる可能性もある。


トランプ政権としては、(4)か(5)の韓国主導の統一ができない場合でも、(1)を狙い、北朝鮮を手なずけようとするかもしれない。それに北が応じれば(1)の可能性もある。


しかし、北朝鮮にとり中国は、エネルギー、食糧の大半を依存し、長大な陸地国境を接しており敵対関係は軍事的にも負担が大きいこと、建国以来の歴史や独裁体制の類似性などから、反中には傾きにくいとみられる。


(1)よりは(2)になる可能性は高い。


このため、脅威度と生起公算を相乗してみれば、日本としては、北主導の反日統一朝鮮の出現という、最も可能性の高いかつ最悪のシナリオ(2)に備えて、現在から防衛態勢を強化しておくことが必要である。


またどのシナリオにおいても、核恫喝を受けた場合に屈することのないように、米国との同盟関係を維持しつつも、北朝鮮あるいは北朝鮮と韓国両国の核化が避けられないとすれば、日本独自の核抑止力を保有しなければならない。

2019.4.2(火) 矢野 義昭



質問者 私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮らしています。私たちにはラダ・ソアミ教* のグルがいます。そして、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連れてこられたことをたいへん幸運に感じています。今まで多くの聖者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えることを嬉しく思っています。


(*訳注 ラダ・ソアミ教 開祖シヴァ・ダヤール・サーヒブによって一八六一年に創設された宗派。シーク教徒とヒンドゥー教徒が主な信奉者。第三の目を通して内なる光と音の流れに意識を向けることが彼らの主要な修練。またサットサンを重視している)


マハラジ あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。だが、神性(スワルーパ)を意識した完全に真我実現した人を見いだすことは困難なのだ。聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。それでも、それが彼らを完全にすることはない。それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えただけなのだ。すべての努力はより多くの努力へと導く。何であれ構築されたものは、維持されなければならない。何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。何であれ失われるものは自己のものではないのだ。そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役に立つというのだろう? 私の世界では、何も強要されることはない。すべてはひとりでに起こるのだ。すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され、一時的なものだ。私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。私の立場はその彼方に在る。私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を得た人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。彼らは人びとを最低の未達成者から最高の達成者までに分類し、階級のなかに類別してしまう。私にとっては皆が同等だ。現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受けることはない。この同等の感覚が欠けているならば、それはつまり、実在には触れられていなかったということだ。
単なる知識では充分ではない。知る者が知られなければならないのだ。学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのか? それは間違いなく誤用されてしまうだろう。知る者が知られなければ平和はありえないのだ。


質問者 人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?


マハラジ 私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何であるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの真我を見いだしなさい」と。私は彼に服従した。なぜなら彼を信頼したからだ。私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を見つめることに費やした。そして、何という変化をもたらしたことか! それもこんなに早く! 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。だが、それは何の違いももたらさなかった。私は彼が私に言ったことを、たゆまず覚えつづけていたのだ。その成果は、私とともにここにある。


質問者 それは何なのですか?


マハラジ 私は真の私自身を知っているのだ。私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。私はそれらすべてを超えているのだ。


質問者 あなたはただの無なのでしょうか?


マハラジ ばかなことを言ってはいけない。もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。これがあなたにすべてを伝えるだろう。


質問者 それは何も私に伝えていません。


マハラジ なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。自分自身の体験をもたなければならないのだ。あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。私はものではなく、あなたもまたものではない。私たちは物質でもなくエネルギーでもない。身体でもなくマインドでもない。ひとたびあなたが自己の存在の一瞥を得るなら、私を理解するのは難しくないと知るだろう。
私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたというだけで信じてしまうのだ。同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などについて話を聞いてきた。一度もその真偽を確かめることなしに。真実への道は、虚偽の破壊を通っていくものだ。偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなければならない。そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている神が現れる。このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類の体系がはじまるのだ。すべては自らがつくり出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保護し、支持するためのものだ。あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさい。そうすれば恐れは去り、すべての苦しみは終わるのだ。
マインドが発明したものは、マインドが破壊する。だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。マインドの力が及ばないそれをつかまえなさい。私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともにある。はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今ではそれも自然なものとなった。グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって、自発的にそれによって生きるようになったそのときが、真我の実現の戸口に立ったときなのだ。ある意味では、それは信頼による解放だ。だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、盲信なのだ。信頼は盲目的なものではない。それは試みようとする意志なのだ。


質問者 すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょうか?


マハラジ 観照の態度もまた信頼なのだ。それは自分自身への信頼だ。あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見ることだ。観照に努力はいらない。あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。それ以上何も必要ないのだ。ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。もし観照の状態のなかで、「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは直ちにやってくる。ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。ひとたび内側に向きを変えたなら、あなたは主体を超えたあなた自身を見いだすだろう。あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。主体と客体はともにあなたのなかに存在するが、あなたはそのどちらでもないのだ。


質問者 あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実在ではないという意味なのでしょうか?


マハラジ あなたが実在─非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるのは気づきだけだ。だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」という言葉は適用しない。なぜなら、そのなかではすべてが実在だからだ。それゆえ、そのように名づけられる必要もない。それは実在の源そのものだ。それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。


質問者 しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?


マハラジ 宇宙のマインド(チダーカーシュ)がすべてを創造し、破壊する。至高なるもの(パラマーカーシュ)が、何であれ存在のなかに現れたものに実体を与えるのだ。それを宇宙的な愛と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言えるだろう。それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。


質問者 なぜ、望むべきものなのでしょうか?


マハラジ いけないかね? 創造されたすべてを互いに反応しあうようにさせ、人びとを結びつける強力に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくるというのだろうか? 欲望を避けてはならない。ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。


質問者 至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?


マハラジ 計り知れない平和とかぎりない愛だ。何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべてあなたから現れたのだと自覚しなさい。あなた自身がその源なのだ。世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使いのようなものなのだ。


質問者 どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?


マハラジ すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ。すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべてのエネルギーを大いなる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの招きなのだ。身体的、精神的なものがあなたに自由を与えてくれることはない。ひとたび束縛はあなたがつくり出しているということを理解し、自分を拘束する鎖を鋳造することをやめれば、あなたは自由なのだ。


質問者 どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?


マハラジ グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。それはそうそう起こることではない。


質問者 それは運命に定められているのでしょうか?


マハラジ それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。それが起こったとき、あなたにはどうしてそれが起こったのかを言うことはできない。そして、それをカルマや恩寵、または神の意志と呼ぶことは、単にあなたの無知を覆い隠すだけだ。


質問者 クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。


マハラジ 誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。ある意味では、彼は正しい。ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼していないのだ。彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。そのような弟子たちにとってはグルをもたないほうが、そして導きを得るために、ただ内面を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。生きたグルを見いだすことは稀な機会であり、大いなる責任でもある。これらのことを軽く扱ってはならないのだ。あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそれを与えてくれると想像している。わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。あなたが騙しているのは、ほかでもないあなた自身なのだ。


質問者 あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。そして彼を信頼し、そのとおりに行動したのです。何があなたにこの信頼を与えたのでしょうか?


マハラジ 私はただ、道理を聞き分けただけだ。彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?


質問者 あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われました。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あなたの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?


マハラジ あなたの不信は問題ではないのだ。私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。


質問者 ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考えることができるのでしょうか?


マハラジ もちろんだ。生命の川は流れている。その水のいくらかはここにある。だが、たいへんな量の水がすでに目的地に到着しているのだ。あなたは現在しか見ていない。私は遥か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何になることができるのかを見ているのだ。私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ。


質問者 どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができるようになるのでしょう?


マハラジ もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。あなた自身にいかなる名前も形も与えてはならない。実在は闇と沈黙のなかで見いだされるのだ。


質問者 私が身体ではないという確信をもって考えなくてはならないのでしょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょうか?


マハラジ あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。そうすれば、確信はやってくるだろう。単なる言葉が何の役に立つというのだろう? マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為が、あなたを実在の核心そのものに連れていくだろう。


質問者 確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?


マハラジ 愛があなたに勇気を与えるだろう。もしも誰か本当に称賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あなたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだろう。


質問者 称賛するべき人を称賛するということを、誰もが知っているわけではありません。ほとんどの人びとはまったく感受性に欠けているのです。


マハラジ 生命が彼らに真価を認めさせるようにするだろう。積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。称賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にしたがうことだろう。他の者たちが称賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現した人の役目だ。その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。


質問者 私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?


マハラジ そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。ただ理解だけがそれをもたらすのだ。ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだという真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだすだろう。快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。至福を通してだけでは、あなた自身を知ることはできない。あなたの本性そのものが至福だからだ。悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならないのだ。


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