最高の道徳に賭けるか


自らが知るかぎりの最高の道徳に賭けるかどうかかつて問われなかった人はいません。みんな問われていて、途中でそれをどうでもいいと投げ出した人たちもたくさんいたということです。最高の道徳であって、中の上のそれではありません。何かと引き換えにできると判断してしまう人も大勢出ます。私が判定する側・審判の側だったら、神を忘れている(神はおそらくいないと信じている)状態で最高の道徳に最後まで賭けた人には最高評価をつけると思います。神がいるとなんらかの方法で知り得ていて、ペナルティが割に合わないという判断で道徳の線から外れない者は圧倒的に下座です。ドッキリと最高のリアクションを求めている観客と通じるものがあります。n


今日伊勢さんが書かれていた元伊勢籠神社の血族の位置づけは気になりました。私が感じたのは、綾部市役所と舞鶴と元伊勢を三角で結んだくらいの位置が、霊界側で何か異常なものが配置されている”金龍海”の水脈の位置かもしれないということです。古来の血族がここで何かやっていたから霊たちが特別視しているのでしょうか。n0005



タイタニック号の船内


結局ヒトが傷つくのは「ある階層」限定の話


肉体的にはもちろん、精神的にもです。そしてわたしたちの本質的な議論は、ヒトというものが、本当に「ある階層」にのみ押しこめられているような囚人なのかどうかという話です。囚人だと自覚するときのみ、ヒトは傷つき、目の前は暗闇が覆うようになります。その階層の中での苦闘は100億通り試されています。本来は、そういう「筋の映画」ではなかったんです。苦闘するような、もがき苦しむようなものではありませんでした。しかし、自分が「ある階層」にのみ所属する者なのではないかという想像は檻となり、ヒトは自らその中に入って鉄格子を掴むようになりました。「私は出れない」と。n
(20180404)


二つ目の話は「峠」のことを書こうと思います。
峠を決定するのは政治家ではありません。存在すら一般には認識されているとは言えない向こう側です。さらに向こう側の一部しか知らないのかもしれません。私は天津爆発事故のとき、事故そのものだけでなく二重の意味で驚きました。向こう側はパワープレイというか、非常に暴力的な手段も採りうるのかということです。隕石を落とされれば人間は一巻のおわりですし、普通では理解できない死因というか強制退場のさせ方もあると耳にします。火・風・水(ひふみ)の混合による巨大な手で介入することも可能なのかもしれません。そして峠というのは、肉体に与える影響や被害よりもむしろ、一人一人の精神的な変化や、魂、人間性の成長に重きが置かれていると聞きます。向こう側が「峠」と言ってきて、ではこれから何が起こるのか。それは「峠」にふさわしい歩き方ができなかった者は、選別し、「外す」と言われているような気がしてならないわけです。戦力外通告の一歩手前で、胃がきゅっと縮むような緊張感が漂っているかのようです。私はあのiphoneの契約書を何度も読み返しながらフィオラの意図を考えていました。一番言いたかったのは18番だとしても、他にも注目すべき条項はいくつもありました。そしてフィオラはリセットについてこう言いました。「リセットというのはプラグの該当対象への差し直しのことです」。該当対象が何かは言いませんでしたが、私はまるで、私自身というこの人物に差されているプラグが強制的に引っこ抜かれて、リセットされるかのような印象を受けました。あなたと私は常に学んでいるチームメイトです。一緒に答えを出していきましょう。一見やさしい言葉なのに、その裏に非常事態の足音が感じられてなりませんでした。n
(20180404)


あなたの人生に起こることのすべては、たとえそれがどんなにひどいことで、破局やみじめさをもたらすものに見えても、そうなるように導かれてきたのです。あなたが自分の内部に向かい、自分の本質を示してくれる静寂の次元に深く沈潜することを選ぶようになるにはどうすればよいか、それをよく知っているあなたのなかの”大いなる完全性”が、そうし向けたのです。


マハルシ 身体は生命意識を持たず、「私」と言うことはできません。真我は非二元的な純粋意識です。それも「私」と言うことはできません。眠りの中では誰も「私」とは言いません。


それでは自我とは何でしょうか?


人は暗闇にいると、そばに何かがいると想像してしまいます。それは何か黒い物体かもしれません。近寄って見ると幽霊は見えず、ただ木やポストのような物体を見間違えただけだということがわかるのです。近づいて見てみなければ、幽霊は彼を脅かしたでしょう。必要なのは、ただよく見ることだけです。そうすれば、幽霊は消え去ります。幽霊は初めからそこにいなかったのです。自我においても同じことです。それは身体と純粋意識の間に介在する実体のない結び目です。それは実在しません。よく見てみないかぎり、それは問題を与え続けるでしょう。

(対話612)


質問者 人は自由意志を持っているのでしょうか、それとも人生に起こるすべては運命づけられ、あらかじめ決められているのでしょうか?


マハルシ 自由意志は個人性との関連の中にその領域を保っています。個人性が存続するかぎり自由意志は存在するでしょう。すべての聖典はこの事実に基づいたうえで、自由意志を正しい道に導くように助言しているのです。
自由意志や運命は誰にとって問題となるのか? それを見いだし、その中にとどまりなさい。そうすれば、その二つは超越されるでしょう。


もしあなたが自分を身体と見なすなら、それらは常にあなたを支配するでしょう。
もしあなたが自分を身体と見なさなければ、それらがあなたに影響を与えることはなくなります。


眠りの中では、あなたは身体ではありませんでした。
あなたは今、身体なのでしょうか?

(対話426)



クレオパトラの宮殿 エジプト海岸(ヘラクレイオンの海底遺跡 アブキール湾)


あなたはいつも自分の人生で、兄弟の存在を重く考えすぎています。たとえば、自分の問題をすべて兄弟のせいにし、わたしにやったように十字架につけます。かと思えば台座にのせて敬い、わたしにやったように、ひたすらにあがめたてまつるのです。


兄弟をあなたと対等なものだと見るのは、昔からむずかしかったようですね。あなた自身を愛するように隣人を愛しなさい、とわたしが説いたとき、それはいろいろな状況で使える簡潔なルールのつもりでした。ところが残念ながら、自分自身を愛していないと、隣人を愛するという幸運にまで手がまわりません。


自分自身を愛するのを学ぶことと、兄弟を愛するのを学ぶことは、同時進行です。兄弟を愛して自分を憎むことはできませんし、自分自身を愛していて兄弟を憎むこともできません。兄弟に対する感情は、自分自身に対する感情を鏡に映しているにすぎません。


そんなわけですから、兄弟とのかかわりあいは、あなたが自分自身の中のなにを宥さねばならないかを見せてくれるでしょう。あなたが兄弟の出すぎたふるまいを宥すことが、相手が自分を宥すことにつながれば、そのかぎりにおいて、それも意味があります。同じように兄弟があなたのふるまいを宥してくれて、そのおかげであなたが自分を宥すことができたとすれば、それなりの意味があります。


でも他人からの宥しは、あなたがそれを必要だと信じている場合にだけ必要です。たいていの人がそうなのですが、宥してもらわねばと思いこんでいると、償いをすることが重要になります。宥しを乞うことは、その事件に関して、自分の心を変える準備ができていることのあらわれです。これはプロセスの重要な一歩です。


しかしながら、あなたを宥す「力」を兄弟に与えてしまうのは、誤りです。それでは、力をあなたの外においてしまいます。外に力はありえません。兄弟に宥しを乞うのはいいでしょう。しかし、宥してくれなければ自分は永遠に宥されないのだ、と考えてはなりません。じつは宥しとは、つねにあなたに与えられているものなのです。宥しを与えない人は、それを自分に対しても拒んでいるというだけにすぎません。


自分が兄弟を非難していることに気づいたら、自分の非難相手は、ほんとうはその当人ではないということがわかります。非難しているのは、自分が認めていない、自分の恥ずべき部分です。兄弟にどこか欠けたところがあると感じたら、いい気持ちにはならないでしょう。それは自分自身の無価値感をもつのらせるだけです。


正義も救済も、兄弟を攻撃することによっては得られません。実態をよくごらんなさい。あなたが兄弟の手に打ちつける釘はすべて、自分自身をも十字架に打ちつけています。わたしがそのよい例です。すべての攻撃がとだえるまで、わたしはずっと十字架にかかったままでいるでしょう。そのときまでは、あなたもわたしも同じです。どちらも十字架にはりつけられています。


兄弟とのかかわりの中には、シンプルな選択があります。相手を無罪とするか、有罪とするかです。この選択は何度も何度も、毎日、毎時、毎秒やってきます。ひとつの思いで兄弟を幽閉し、べつの思いで釈放します。相手をこう扱おうと決めたやりかたで、あなたはあなた自身を裁くことになります。


兄弟をひきずりおろすことによっては、天国に行けません。しかし兄弟を背負ってつれていこうとしても、やはり天国には行けないのです。あなたがたにはひとり残らず、自分自身の無実を見いだす手だてが与えられているからです。ただ、兄弟のありかたを認め、その旅を祝福しなさい。助けを求められたら、よろこんで助けなさい。しかし、彼が自分でなすべきことを肩代わりしてはいけません。


境界を超えて成長しようと思うなら、まず適切な境界線が必要です。あなたの心の平和や幸福を兄弟の責任にせず、また兄弟の平和や幸福を自分の責任にもしないことです。兄弟はあなたを救うためではなく、自分を救うためにここにいるのですから。


しかしそのいっぽうで、兄弟に浴びせていた不満や愚痴から、当人を解放しなさい。兄弟に対しては、いかなる方法でも愛の出し惜しみをしないでください。彼を幸福からひきもどそうとすることは、攻撃であり、あなた自身を恐怖心と罪悪感の中に閉じこめることにもなります。


兄弟から助けを求められたら、避けてはなりません。相手がのぞむかぎり、そばでともに学ばせてあげなさい。彼のほうで離れてゆく準備ができたら、祝福を祈って送りだすのです。旅に必要な食べ物と水を与えます。恩に着せたり、意志に反してひきとめたりしないように。


兄弟の自由は、あなた自身の自由のシンボルにすぎません。ですから、来るのも去るのも、彼の好きにまかせるのです。来たときは歓待し、去ってゆくときは快く送りだします。それ以上のことは、あなたにはできません。それでじゅうぶんです。見知らぬ人すべてをそんなふうに手厚く扱いなさい。そうすればわたしは、信頼がもどり慈悲心が支配する世界を見せてあげられます。


自分を愛するように隣人を愛しなさい。自分と相手を同じように扱いなさい。彼のために自分を犠牲にしたり、彼に犠牲を払わせたりせず、あなたのできるときに彼を助け、必要なときには感謝して、彼の助けを受けいれなさい。このシンプルでおごそかなやりとりこそ、愛と受容のありかたです。おたがいの信頼と尊重のあらわれです。


これ以上はやりすぎです。これ以下では足りません。



激動東アジア:朝鮮半島で起こり得る5つのシナリオ
米朝会談中断で何が進行しつつあるのか、米国と中国の思惑とは


第2回の米朝首脳会談は、2日目に中断され、今後首脳会談が再開されるか否かは不透明な状況になっている。


まだ両首脳は、協議打ち切りを表明はしていない。しかし、第1回の米朝首脳会談後に高まっていた今後の朝鮮半島情勢についての楽観的な見通しは後退し、緊張が高まっている。


日本として採るべき一般的な対応策を検討した後に、今後の朝鮮半島情勢の見通しについて、5つのシナリオを分析し、日本として対応すべき基本方針を検討する。


米国の総合的ソフトパワー戦略の発動


第2回の米朝首脳会談で米側は、核兵器のみならず、生物・化学兵器とそれらの運搬手段である「あらゆる射程の」弾道ミサイルの全廃も要求した。


また、寧辺(ニョンビョン)以外の地域の非核化も要求したとされている。北朝鮮側の予期した以上に、2回目の首脳会談に臨む米側の姿勢は強硬であった。


金正恩国務委員長の面目は国内外で失われた。


しかし会談中断から約1週間は、ドナルド・トランプ大統領への直接的な非難や会談を「失敗」とする国内報道を抑制するなど、内外で宣伝してきた米朝首脳会談への期待が裏切られたことを取り繕うとの姿勢がみられた。


3月8日に北朝鮮のICBM(大陸間弾道ミサイル)製造工場での活動が報じられるなど、数日後になりようやく北朝鮮側の強硬姿勢への転換を示唆する兆候が出てきた。


このことは、金正恩(キムジョンウン)の会談中断への対応策に、揺らぎがあったことを示している。米側の心理戦の成果とも言えよう。


会談中断直後の3月1日には、金正男(キムジョンナム)の息子の金ハンソルを支持し、金正恩独裁体制の打倒を訴える「千里馬民防衛」と称する団体が「自由朝鮮」に改称し、ソウルで臨時政府を樹立したと報じられている。


さらに同団体は3月21日未明(日本時間)、金日成(キムイルソン)主席と金正日(キムジョンイル)総書記の肖像画が床にたたきつけられる動画をホームページ上で公開した。動画は北朝鮮国内で撮影された可能性がある。


この組織は米韓の情報機関との接点も取り沙汰されており、北朝鮮は神経をとがらせているとみられる(『読売新聞』2019年3月21日)。


今年2月22日には、北朝鮮の在スペイン大使館が暴漢に襲われるという事件も起きている。3月15日付米誌『ワシントン・ポスト』紙は、この事件の背後にも「千里馬民防衛」が関与していると報じている。


また3月11日に発生した駐マレーシア北朝鮮大使館の塀の落書きも自分たちが行ったものだと主張している。


スペイン日刊紙エル・パイスは3月13日付の記事でスペイン国家情報局(CNI)などの消息筋を引用し「侵入者10人中、最低2人の身元が監視カメラの分析で確認され、彼らが米中央情報局(CIA)と関連している」と報じた。


しかし、消息筋は「米情報機関は敏感な時期にこのようなことを行うのは避けただろうし、千里馬民間防衛が特定政府と協力して事件を起こすことはなかった」と話したと、上記の米紙『ワシントン・ポスト』は伝えた(『中央日報日本語版』2019年3月19日)。


これらの兆候は、『ワシントン・ポスト』紙は否定しているものの、米国による総合的なソフトパワー戦略が、金正恩の独裁体制打倒を目標として、発動されたことを示唆している。


明白な証拠はないが、スペイン紙の報道は、スペインの国家情報局が情報源であり、全くの虚偽とは言えない。


「千里馬民防衛」の正体が何であれ、直接の軍事力行使によらない、ソフトパワーを主体とする米国の、金正恩体制打倒の動きは、さらなる経済制裁強化、軍事力による威嚇とともに、今後ますます顕著になっていくものとみられる。


金正恩にとり核兵器などの大量破壊兵器と弾道ミサイルは、米国の武力行使を抑止し、自らの独裁体制と生命の存続を保障する命綱でもある。交渉や経済封鎖、軍事的威嚇だけでは決して手放さないであろう。


しかし、北朝鮮には600万台の携帯端末が普及していると言われ、外部からの情報を一般国民に流すことにより、金正恩独裁体制への不信や不満を助長し、また今回の米朝首脳会談の失敗などを印象付けることで、金正恩の威信と求心力を低下させることもできる。


いずれはソ連のように、体制の内部崩壊に至らせることもできるかもしれない。


米国にとり軍事的選択肢は、北朝鮮の核攻撃、中国の軍事介入などを招く恐れがあり、2日間の戦争で約1100万人の死傷者を日米韓に発生させる可能性もあることから、事実上実行することはできない状況にある。


(詳しくは、ジェフリー・レービス『米国に対する北朝鮮の核攻撃に関する2020年委員会報告(The 2020 Commission Report on the North Korean Nuclear Attacks against the United States)』(WH ALLEN, 2018)参照)


そのような情勢の中で、米国が採ろうとしているのは、総合的なソフトパワーによる金正恩独裁体制の打倒または変質であろう。


このような米国の戦略を前提として、今後の朝鮮半島情勢シナリオとそれに応ずる日本の対応方針はどうなるのであろうか?


日本として採るべき一般的な対応


日本は、自由で開かれた国際貿易体制の中で、繁栄と生存を維持できる海洋貿易立国であり、自由経済と議会制民主主義の体制をとってきた。


そうである以上、例え朝鮮半島がすべて共産化され、あるいは反日となり、統一朝鮮が中国と同盟関係を結んだとしても、中朝の同盟国になる、あるいは中朝寄りの中立国になるという選択は採り得ない。


日本としては、米国と協力し国際社会と連帯して北朝鮮制裁を継続するとともに、独自の抑止力の保持に努めることを安全保障政策の基本方針にしなければならない。


このことは、朝鮮半島、さらには台湾、南シナ海の情勢がどうなろうとも、不変の方針となるであろう。


しかし注意すべきは、北朝鮮が核ミサイル、生物・化学兵器などの大量破壊兵器の保有国であり、かつそれらの放棄に応じず、米国が制裁強化に動けば、北朝鮮による核恫喝、核危機が現実になる可能性もある点である。


また北の核化に対抗して韓国が核化する可能性もある。これらのリスクにも日本は対応しなければならない。


そのために、日本自身も、ミサイル防衛システムの増強という防衛的対応のみではなく、独自の反撃力と即時に発動できる核抑止力を保有しておく必要がある。


中朝露が同盟関係または準同盟関係にあり、米国の戦略核抑止力に対峙した場合、戦略核の応酬において、最大人口の中国と最大国土のロシアに対して米国が優位を保てる保証はない。


そのときには米国の日韓に対する核の傘の信頼性は保てなくなるであろう。


したがって独自の核抑止力を保有し、中朝露の核戦力に対する抑止体制をまず確立しなければならない。


また万一抑止が破綻した場合にも、自ら「核の引き金」を持ち、いかなる大国にも「耐え難い損害を与える能力」を保持することにより、米国に戦略核の報復を保障させることもできる。


このような体制を作ることにより、中露朝と日米韓の間の相互核抑止体制は信頼性と安定性が保証されることになる。


また国民を核、生物・化学兵器による攻撃などの被害から守れる、シェルターの整備と大都会から地方への大規模な避難・疎開計画を立てて訓練もしておかねばならない。これらは、大規模災害対処のうえでも必要な措置である。


平時からの戦いであり、本格的な侵略行動に連携し先制的に全力で行使されるおそれの高いサイバー攻撃などの情報戦に対応する必要もある。


また拉致被害者奪還のために、米国のソフトパワー戦略に連携して、北朝鮮国内向けに積極的なサイバー戦、情報戦を展開する好機とも言える。


そのためには、指揮統制・通信・情報・コンピューター、警戒・監視、偵察(C4ISR)能力を高め、国家レベルの情報機関、サイバー防衛部隊を創り、かつ他国並みのスパイ防止法を整備して情報機関に対するスパイの浸透を防止する必要がある。


実働機関として、自衛隊には国として責任を負う現職の2倍の予備自衛官を広く国民一般の技能者も含めて募り、編成すること、郷土防衛のための実働部隊を知事隷下に創設すること、国家警察・国家消防の整備、海上保安庁や警察の武装と権限の強化、陸海自衛隊への領域警備権限の付与などの措置も早急に行わねばならない。


また半島の混乱に際して予想される、大量に発生する難民に対する対処準備も必要になる。


難民の受け入れに際しての、一時収容施設の開設・運営・警備、武装難民・工作員の流入阻止、検疫、尋問、不審者の収容などの措置も必要になる。


朝鮮半島情勢のシナリオの分析にあたっての前提


以上の一般的な措置に並行して、日本として採るべき朝鮮半島に対する安全保障戦略は、米国がどのような半島政策を採るかにより、大きく変化する。


主導的に朝鮮半島に対する安全保障政策を決めえない日本としては、米国の半島政策に応じて、対応策を考えねばならないであろう。


その場合の前提として、以下の条件が成立するものとする。


●北朝鮮の完全非核化は事実上困難であり、米国が黙認すれば北朝鮮のみならず韓国もいずれ核化する。


●米中間では、核戦争にエスカレートするような本格武力紛争は、台湾海峡、南シナ海でも起こらない。


●ただし、米中いずれかが軍事介入する短期の紛争は起こり得る。その際には、台湾または南シナ海正面の情勢次第では、半島での局地紛争もあり得るが、中国は本格介入しない。


●南北の経済と人口の格差は、本質的には埋まらない。韓国は人口で2倍、GDP(国内総生産)で約30倍以上の優位を維持する。北朝鮮の経済発展は、金正恩体制下では漸進的発展にとどまる。


以上のような前提の下では、米国には次の3つの選択肢がある。


(1)核化した北朝鮮主導の半島統一を黙認する


(2)核化した北朝鮮に対抗して韓国の核化と南北平和共存を認める


(3)韓国を核化させるとともに平和共存下で北朝鮮を平和統合させる


(韓国の北進による北の武力併合は、中国との軍事衝突を招く恐れがあり、米国は認めないとみられる)


いずれの場合も、中国は、積極的な北朝鮮に対する軍事支援や半島への軍事介入は、米国との直接衝突を招く恐れがあり、かつ台湾と南シナ海の方が中国にとりより死活的利益、「核心的利益」であるため、回避するとみられる。


ただし中国は、北朝鮮の大量破壊兵器の安全確保、北の決定的敗北の阻止、北からの難民の流入阻止を重視し、中朝間の軍事同盟関係を維持し、条約義務に基づく限定的派兵や軍事物資の援助による間接的な軍事支援は行うであろう。


他面で、中朝間には、間島などの領土問題、中国側の東北三省内朝鮮民族への民族運動の波及へのおそれ、朝鮮側の中国による北朝鮮国内の鉱山利権などの簒奪に対する反感、歴史的な中国による侵略や抑圧への朝鮮族の歴史的怨念などの対立要因もある。


同じ共産党独裁体制であっても、金日成による延安派の粛清など、金日成以来の対中不信にも根深いものがある。


このため、半島統一を南北いずれが主導しても、中国と統一朝鮮の間に対立や紛争が起きる可能性もある。


これらは、歴史や民族、地政学的要因により生ずる対立であるため、一度生起すると長期化し容易には解決できなくなる可能性もある。


考えられる朝鮮半島情勢
5つの将来シナリオとその脅威度


このような前提の下での朝鮮半島の将来シナリオとしては、以下が考えられる。


(1)米国が北朝鮮主導の半島統一を黙認し、統一朝鮮を反中国家にしようとする場合


(2)米国は北朝鮮主導の半島統一を黙認するが、統一朝鮮が親中反日・反米国家になる場合


(3)米国が韓国の核化を黙認し、南北並立状態となり長期的な南北平和共存が続く場合


(4)米国が韓国の核化を黙認し、韓国が北朝鮮を圧倒し半島を統一、反中国家になる場合


(5)米国が韓国の核化を黙認し、韓国が北朝鮮を圧倒し半島を統一、反日国家になる場合


どのシナリオも、日本の立場からみれば、統一朝鮮が反日国家になる場合と、親日国家になる場合、南北共存が続く場合に分かれる。


また(3)(4)(5)では韓国も核化するため、いずれのシナリオおいても、朝鮮半島の核化は避けられないであろう。


各シナリオの日本への影響と脅威度は以下のようになるとみられる。


(1)では、統一朝鮮は親米かつ親日的になる可能性もあるが、親米、反日になる可能性もある。反日の度合いは、米国の抑制が作用して(2)よりも少ないであろう。


(2)では、統一朝鮮の反日の度合いは最も高まる。中朝の同盟関係は強化され、中の台湾侵攻、南シナ海での紛争に連携し、北の南進と日本へのミサイル攻撃などもあり得る。


(3)現状と大きな変化はないが、核化した韓国の反日姿勢が強まるおそれがある。


(4)親日的な韓国による平和裏の半島統一が成立し、韓国と中国が直接対峙する。日本の安全度は最も高まる。ただし、在韓米軍は半島南部のみの展開か、撤退の可能性もある。


(5)反日的な韓国による半島統一となるが、同時に反中であることは、統一韓国にとり両正面対処となるため、反日親中路線になる。在韓米軍は撤退し、核化した韓国の脅威に日本は直面する。脅威度は(2)の場合と実質的に大きく変わらない。


以上の分析から、最も脅威度の大きいのは(2)または(5)の南北いずれかが半島を統一した後、反日親中国家となり、かつ在韓米軍は撤退するというシナリオになる。


この場合は、在日米軍は増強され、日本自身の防衛力の倍増が必要になる。


日本の独自核保有も米国は黙認する可能性は大きい。統一韓国の膨大な予備戦力に対抗するために徴兵制も必要になるかもしれない。


次いで脅威度の大きいのは、(1)、次いで(3)となる。


最も脅威度の少ないのは(4)である。


(1)の場合は、日米安保体制が維持される限り、米国にとっては信頼度、第一列島線防衛上の価値、同盟国としての国力などから見て、日本を重視するとみられる。


このため、米国は、対中抑止として北主導の統一朝鮮を利用するとしても、日本との同盟は強化するであろう。


日本としては、米国との同盟関係を強化するとともに、孤立感を深める中国と台湾、沖縄、南シナ海方面への脅威への対処をより重視しなければならなくなる。その場合、中国による対日核恫喝のおそれは高まる。


(3)の場合は、日米同盟を強化しつつ、韓国の統一後の軍事力に均衡した防衛力を整備することになる。北朝鮮も韓国も核化するため、日本独自の核保有も北東アジアでの相互核抑止体制の安定化のために必要になるであろう。


日本だけが独自の核抑止力を持たず、米国の核の傘に依存すれば、北朝鮮が核恫喝をかける場合に、韓国よりも日本に恫喝をかける可能性が高まる。日本がそれに屈すれば韓国の防衛は成り立たなくなる。


日本が屈することのないようにしようとすれば、中朝、場合により露を含めた核報復のリスクを犯しつつ、米国は自ら大規模な通常戦力を派遣して日本を守らねばならない。


また韓国が日本に核恫喝をかけた場合に、米国が同じ同盟国の日韓の間で、弱い日本側に立つとは必ずしも言えない。


(4)の場合は、中国が統一韓国と地上国境で直接対峙することになるが、台湾、南西諸島、南シナ海への中国の圧力は緩和されるかもしれない。


逆に、統一韓国に対抗し、中国が台湾併合への圧力を高めるおそれもある。


日本としては、米国との同盟関係を強化しつつ、南西正面を重点とする自国領域の防衛と台湾との連携、南シナ海での共同哨戒などに重点を置くことになる。


この場合も、統一韓国が核兵器を保有する場合は、日本も、中韓の核恫喝を抑止し、北東アジア内の局地的な核抑止体制の安定化するために、独自の核抑止力を保有する必要がある。


結論


生起公算は、現在の文在寅政権の親北政策、米朝会談の成り行きなどから見て、(2)の可能性が最も高い。


ただし、トランプ政権の対北ソフトパワー戦略が奏功した場合は、金正恩体制が崩壊するか変質し、(4)か(5)になる可能性もある。


トランプ政権としては、(4)か(5)の韓国主導の統一ができない場合でも、(1)を狙い、北朝鮮を手なずけようとするかもしれない。それに北が応じれば(1)の可能性もある。


しかし、北朝鮮にとり中国は、エネルギー、食糧の大半を依存し、長大な陸地国境を接しており敵対関係は軍事的にも負担が大きいこと、建国以来の歴史や独裁体制の類似性などから、反中には傾きにくいとみられる。


(1)よりは(2)になる可能性は高い。


このため、脅威度と生起公算を相乗してみれば、日本としては、北主導の反日統一朝鮮の出現という、最も可能性の高いかつ最悪のシナリオ(2)に備えて、現在から防衛態勢を強化しておくことが必要である。


またどのシナリオにおいても、核恫喝を受けた場合に屈することのないように、米国との同盟関係を維持しつつも、北朝鮮あるいは北朝鮮と韓国両国の核化が避けられないとすれば、日本独自の核抑止力を保有しなければならない。

2019.4.2(火) 矢野 義昭



質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らないのです。ですが、ともかくあなたを忘れることができないのです。


マハラジ ある人は忘れ、ある人は忘れない。彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンスと呼ぶかもしれない。


質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。


マハラジ あなたのマインドのなかにだけだ。事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。運命とはあなたの無知を包みこむ言葉の毛布でしかない。チャンスとはもうひとつの言葉だ。


質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?


マハラジ 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。すべてがすべてに影響を与えるのだ。この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉大な力があるのだ。


質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げたということです。しかしそれでも、世界は以前と変わらないままではありませんか。


マハラジ 私の世界は完全に変わったのだ。あなたの世界は同じままだ。なぜなら、あなたが変わっていないからだ。


質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。


質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤにいくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うのです。それは避けられないことなのでしょうか?


マハラジ 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。ほかの誰もあなたを必要とはしてはいないのだ。あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。


質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。


マハラジ そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、そして計り知れない誠実さが必要だ。いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。


質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?


マハラジ 絶対的にそうだ。人生を起こるがまま受け入れなさい。そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。


質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして他者が生きているような人生を受け入れることができるでしょうか?


マハラジ どちらにせよ、あなたは受け入れているのだ。他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とうの昔に利己主義を放棄し、唯一それだけが本当に人を救うことのできる生き方をしていただろう。


質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラムをつくるかもしれません。


マハラジ アーシュラムはつくり出すものではない。それは起こるのだ。川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたにはそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わりあい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為すことは何であれ灰と帰するだろう。グルを模倣して無事にすむことはないのだ。すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。


質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのような害があるというのでしょうか?


マハラジ 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。それは完全に正しい。もし何の功績も言いふらさなければ。


質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てられるかどうかを知ることができるでしょう?


マハラジ あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをもち、生命の流れから分離し、己の意志をもち、己の目的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけであり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなければならない。あなたの価値とは何だろうか?


質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドの中身を見てみなさい。あなたとはあなたが考えていることだ。あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要とするもので忙しいのではないだろうか?
規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、あなたはあなたが信じこんでいるようなものではないと思い起こさせることにある。だが、思い起こすことさえ充分ではない。行為が確信に沿わねばならないのだ。詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金持ちのようになってはならない。


質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?


マハラジ いいや、そうではない。準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくことはない。あなたには手放す勇気が必要なのだ。


質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。


マハラジ なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。完全な得心が欲望と勇気を生みだす。そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考する。明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。確信と行為は不可分なものだ。もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。勇気のないことで自分を非難してはならない。自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?


質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。明晰性だけでは充分ではない。愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であれ、行為するためには愛さなければならない。明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、それが何だというのだろうか?


質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだということがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに行動してはならないのでしょうか?


マハラジ もちろん、そうするがいい。ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。冒険には勇気が必要なのだ。


質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急がせないでください。私を行為へと成熟させてください。


マハラジ 取り組み方全体が間違っている。遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。だが、現在の瞬間は失われた。取り戻すことができないほどに失われたのだ。すべての準備は未来のためにある。あなたは現在のために準備することはできないのだ。


質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでしょう?


マハラジ 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけではない。明晰性は今にある。行為は今にある。準備について考えることが行為を妨害するのだ。そして、行為は実在の試金石なのだ。


質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?


マハラジ 行為なしに生きることはできない。そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。結局、あなたの為すことはすべて、世界が現実のものであり、あなたから独立しているという確信に基づいているのだ。その反対の視野に得心したなら、あなたのふるまいもまったく違ったものとなるはずだ。


質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行動は環境によって形づくられているのです。


マハラジ 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世界の実在性に得心させられているということだ。世界をその源までたどり直してみなさい。すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、あなたは残ることを見いだすだろう。あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。あなたはそれを見いだしただろうか?


質問者 いいえ。


マハラジ では、それ以外の何をするべきだというのだろうか? 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。あなたがすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されないままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはできない。ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではなくなるのだ。だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存しているものすべてを手放すことで試さなければならない。真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。彼の智慧、愛、勇気は完全なものであり、相対的なところはどこにもないのだ。それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練を通して彼自身を証明しなければならないのだ。試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面にある。それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。


質問者 磔(はりつけ)、死、復活。私たちはなじみ深い土台の上に立っているようです! 私は際限なくそれについて読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれをする能力はないと知ったのです。


マハラジ 静かにしなさい。揺らいではならない。そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。それを熱望することはない。マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。静かにすることはとてもやさしいことだ。ただ、進んでそうしようという意志がまれなのだ。あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。野望なしに在りなさい。わずかな欲望もなしに、露わになり、壊れやすく、無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在り、すべてがあなたの物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。


質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはどうすればいいのかが見えないのです。


マハラジ もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっただろう。あらゆる試みを放棄しなさい。ただ在りなさい。努力してはならない。闘ってはならない。すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。それ以外のすべてを払いのけなさい。それで充分だ。


質問者 この払いのけるとは、どのようになされるのでしょうか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと現れてくるのです。


マハラジ 注意を退けなさい。ものごとが去来するにまかせなさい。欲望や思考もまた、ものごとなのだ。それらを無視するがいい。遥かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆われてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を露わにしていくだろう。それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。ただそれだけだ。無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマインドの状態だ。結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。


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