スターハート本日の記事「プログラム外し」いいですね。のるかそるか、は金爆が歌って踊っていたのが印象にありましたので新鮮でした。n1242


光と同時に貌(かお)を明らかにする旅


発見は双方向に働いています。ニーチェの善悪の彼岸の有名なこの一節。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
同じことが大神様にも言えます。こちらが見ているなら、むこうも見ているのです。n0004


校長先生が言ってたでしょう! あきらめるなって!
すれ違った小学生たちが仲間内で叫んでいました。なんだか嬉しくなりました。いま次の世代に引き継ぎが行われているんですよね。本当に頼りになるのは、自分で見いだし、自分で育んだ、扱いに慣れ、自由自在にできるようになったもの、”純我流”のものだけだと思っています。それでも、料理の前提となる材料を提供する役割は大人たちにほぼ全ての責がありますね。n
(20180406)


トランプ旋風
「トランプ政権は、今後40年間に起こるはずだった現象をわずか1年で実現してみせた。」(4月5日ニューズウィーク日本版 グレン・カール氏)は米国の影響力低下と否定的な意味でこれを書いていましたが、プラスかマイナスかは脇に置いて、彼は時を早めたという指摘にハッとしました。これが事実であれば日本は米国が早めた40年分の環境変化に対応を余儀なくされていることになります。できるかできないかの問題ではなく、やらなければ取り残され、最悪攻め込まれてしまいます。この発酵の時を早める触媒のようなトランプ菌の作用を「上」は知っていたのでしょうか。意図してのものかどうかはともかく、どの陣営もこれを利用しないで待つことはありえない選択です。上(向こう側)も下(地上)もあらゆる団体、個人が、この突風のような環境変化を利用して目指すべき方向を決め直している最中です。n
(20180406)


攻撃欲
多くの欲望のなかで攻撃欲という棚(分類)は有用だと感じたんですよね。人のせいにしたい病というか、誰でも日常的にあります。正当な理由がある場合は攻撃でも攻撃欲でもありません。自分のせいなのに不当に人のせいにしたくて仕方ない場合が攻撃欲です。そういう場合は往々にして正見(しょうけん)から離れています。クリシュナムルティの言い方なら「観察者なしに、見ること」です。重心が神ではなく、自分にあればあるほど自分の誤りを認めるような心境にはなれません。当たり前でしょう、自分が破壊されたらもう後がないのですから。n
(20180406)


今日発見したんですが、ちあきなおみさんの東京の花売娘の動画をフルで上げてくださった方ありがとうございます。探していました。美空ひばりさんよりうまいという評価が一部にありますが、同感です。特にこの曲は一度聞いてから忘れることができずにいました。n
(20180406)



ちあきなおみ



美空ひばり


こういう見解を教えてくれる学校、学問所はないと思います。ですから貴重です。n
(20180406)





マハルシ 無教養は無知ですが、教養は学問を修めた無知なのです。そのどちらも真の目的に気づいていません。一方、賢者が無知でないのは、彼に目的というものがないからです。

(対話355)


もしあなたが継続したエゴだとしたら、誕生以来あなたに起こった考えや信念、アイデアや体験、記憶や気づきなどのすべてが脈々とこの瞬間に生きてあふれ返っていなくてはなりません。自分が継続した実体だと思い込もうとすることで、本当に継続しているものが体験できなくなっています。


本当に継続しているものはこれまでもずっとありましたし、いまもあります。それは<我在り>と言うときの”我”です。それはあらゆるものが流れ出る”源”です。それは始まりの前にあり終わりの後にあるもので、意識の本質です。それは純粋な意識そのものです。それが継続するもので、それ以外には何も継続しません。それ以外のものであなたがこの瞬間にもたらすものはすべて、目に見える、継続した有限の人間として自分が存在すると思い込みたいがためにあなたがもたらしているものです。


そうした自己像で自分を縛ってしまわないでください。自分を無力でちっぽけな存在だと信じて、『ああ、人から嫌われたらどうしよう』、『太りすぎじゃないだろうか』、『お金に困ったらどうしよう』などと心配するのをやめてください。あなたのまわりにはいたるところにあなたの本質が実在していて、細胞の一つひとつ、意識のすみずみまで雷鳴のごとく激しい音を立てて流れています。あなたは持っているものを使わずに損をしているのです。でも損をする必要はありません。これまでに話した方法のひとつを使えば、その習慣はやめられます。思考をやめて、いまの瞬間にいましょう。何か特別のことを聞こうとしないで、ただ耳を傾けましょう。見ている物を判断せずに見ましょう。ゆったりとした意識で呼吸しましょう。物事を評価したり選んだり受け入れたり拒否したりすることなく、いまこの瞬間に意識を向けましょう。いまこの瞬間に安らぎ、完全に心を開いて、意識を完全にいまの瞬間に向けていると、それが起きます。純粋な意識がその姿を現します。いまやっても、後でやってもいいですが、どちらにしてもあなたはいずれ実行します。


あらゆるものの中を息づくただひとつの現実があるだけです。それ以外はすべて幻影です。あなたは自分が考えているものとは違います。あなたはいつどう変わるともしれない短い命を、あてもなくおびえながら生きる意識のかけらではありません。あなたは広大無辺の完全に目覚めたすばらしい意識であり、それを充分に体験するのはあなたの持って生まれた権利です。これからのあらゆる瞬間にそのことを完全に完璧に知るようになってほしいというのが、わたしの願いです。


あなたが自分自身と呼んでいるあの慣れ親しんだ感覚、間違って<自分>と呼んでいるあの感覚に気づくように、ここでまたお願いしたいと思います。実際のところ、あの慣れ親しんだ感覚というか、歓喜の絶頂から憂鬱のどん底まで、愛から憎しみにいたるまで、不安から喜びにいたるまで、あらゆる過程に存在する感覚こそがあなたの本質です。あなたは”わたし”を間違って<自分>と呼んでしまったのです。生まれたり消えたりするのは有限の<自分>です。あなたといつもいっしょにいて、朝目覚めた瞬間からもっとも深い夢の瞬間までいるのが”わたし”の本質です。


あなたは”わたし”の本質をいつも感じているのですが、それをいままでは間違った名前で呼んできました。これまであらゆる瞬間に感じてきた感覚があなたが求めているものです。ほかのあらゆるものはその上に反映されます。こうしてここにすわっているときも、常に変わらず存在するのはその純粋な意識です。わかりますか。あなたは自分がすでにそうであるものを求めているのです。あまりに明らかで、不変で、強く、なじみが深いので、それがわからなかったのです。どうか見過ごさないでください。


神ではなく、人間が人間に審判を下すのだ。自分の兄弟たちから表現の自由を奪うために、人間はその創造性の中で善悪のバランスというものを考え出した。宗教の教義や政府の法律にしたがわない者に対する刑罰への恐れは、長い間、さまざまな国家を統治し、支配するための剣となってきた。だが、もしあなた方の言葉で「悪」と呼んでいるものがあるとすれば、それは、ある存在が自分の内面にある神を表現する自由をその人間から奪ってしまうものである。そして、誰かほかの人間に対してそのようなことをするたびに、それは自分自身に対しても同じことをしていることになる。しかも、より深刻な形で同じことをしているのだ。なぜなら、あなたが他人に対して下す審判や、他人に課す制限は、どんなものであろうと、あなた自身の意識の内面においてもひとつの法となるからだ。そしてその法によって、あなた自身も制限され、自分自身に審判を下すことになるのである。


あなたに知ってほしいこと、そしてすべての者に理解してほしいことは、あなた方が「カルマ」と呼んでいるものは、神の法ではないということだ。つまり、カルマはそれを信じている者たちの法なのだ。残念ながら、この教義を信じている者は大勢いて、彼らは「完璧さ」と呼ばれる架空の理解を達成するために、懸命に格闘している。そして彼らは、自分が人生でどんなことをしようと、その代償を支払うために次の人生に戻ってこなければならないと信じているのだ。自分の身に起きることはどんなことでも、「カルマの成就」のせいにしてしまうのである。だがマスターよ、人生の説明としては、これはきわめて不十分なものだ。人生はこの説明を遥かに超えたものである。


カルマの法則は確かにひとつの現実だが、それはその法則を信じる者たちにとってだけ、現実なのだ。法として存在するのは、あなたが自分の王国の中で有効だとしたものだけだ。真に法を与える者は、それぞれの至高の存在である。というのも、それぞれの存在が、真実を受け容れる自我を持っているからだ。そして、その人間がどんなものを真実と呼ぼうと、つまり自分の存在の中でどんなものを法として創造しようと、それはそのとおりになる。したがって、多くの人間が「バランスと完璧さの法則」を自分たちのために法として据えてきたのは、信念や変質した理解を通してである。


マハルシ 身体の底辺にはムーラーダーラ(脊柱の底辺に位置する一番目のチャクラ)、中心にはハート、頂点にはサハスラーラ(頭頂部)などという想像をすることはすべて誤りです。一言で言えば、「考えることはあなたの本性ではないのです」

(対話184)


気づくことから始めましょう。自分の罪悪感、恐怖心、攻撃欲に気づくようにします。それらを見て見ぬふりをしたり、否定したり、あいつのせいだと別の人に投影したりしないように。ただあなたの意識の中にわきおこってくる、その現象を見つめます。


あらゆる経験は、真実を受けいれて、思いこみの幻想を拒絶するための機会です。この観点からみれば、どんな経験もそれ自体でいいとか悪いとかはいえません。あらゆる経験には、同じように力があります。すべてはただ、あなたの神聖さの生まれるべき土壌として存在しています。


どのような人生の状況も、他人とより親密になり、かつ、より自由になるという機会を与えてくれます。あなたは愛すれば愛するほど、そして多くの人をより深く愛するほど、個々の人に執着しなくなるでしょう。


定義したりコントロールしたりしない親密さの中に入っていってください。



エドワード・ジョーンズ証券の教訓


今年に入ってしばらくの間この教訓話が頭から離れませんでした。何度も反芻して、社会を支える真の力と表層の塵芥(ちりあくた)を区別することの価値を考えていました。n


◯『マネジメント』が感動を与えるわけ


今回取りあげるピーター・F・ドラッカーの「マネジメント」ですが、これほど注目されたのは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社刊、以下『もしドラ』)のヒットがきっかけでしょう。
一昨年の十二月に発売された『もしドラ』は、累計二五〇万部以上を売り上げただけでなく、マンガ化やアニメ化や映画化もされて、ビジネスマンだけでなく若い学生の間にも、ドラッカーブームともいえる社会現象を巻き起こしました。
私も『もしドラ』を、発売前のゲラ(校正刷り)の段階で読ませていただきましたが、電車のなかで読みながら、思わず感動して涙を流してしまいました。読んだとたんに「これこそが、私がずっと求めていたものだ」と思ったのです。
以前から私のなかには、ドラッカーの著書はビジネスマンだけでなく、できるならば組織社会のなかで生きる人々すべてに読んでもらいたいという気持ちがありました。ドラッカーの著書はただの経営学の本ではなく、そこには人と人が一緒に働くことの喜びや、社会的存在としての人間の幸せの意味など、普遍的なことが多く書かれています。それを誰にでも分かるスタイルで書いたものは、今までどこにもなかったから、すごくうれしかったのです。
さらには、何度読み返しても『もしドラ』のストーリーのなかには新しい発見があるのです。本になってから読んでまた泣いて、さらに三回目に読んでまた泣いて……。恥ずかしながら読むたびに、私の涙の量はどんどん増えていっています。
「マネジメント」という言葉をそのまま訳せば「管理」「経営」などの意味ですが、ドラッカーのマネジメント論をひと言でいえば「人と人とが成果をあげるために工夫する」──ということです。人と人が一緒に働いていれば、必ずしやそこには仕事をやり遂げた感動の種が存在する。だから、小説やマンガ、アニメ、映画になってもその部分をきちんと伝えることができれば、読んだ人や見た人が感動するのは当たり前のことなのです。
『もしドラ』の作中テキストとなったドラッカーの著作『マネジメント[エッセンシャル版]』やその原本である『マネジメント』が、多くの人々の間で今も読み継がれているのも、単に経営や組織作りのノウハウが書かれているのではなく、そこに人の心を動かさずにはおかない「感動」があるからです。
『もしドラ』の著者である岩崎夏海さんも『マネジメント[エッセンシャル版]』を読んで感動したからこそ、あの作品が生まれたと語っています。コピーライターでエッセイストの糸井重里さんとお会いした時も、南の島に推理小説とドラッカーの両方を持っていって読んだら、ドラッカーの本のほうが遥かに面白くて、それを機に大ファンになったといっておられました。
『マネジメント』というと、金儲けのための企業をいかに運営していくか——について書かれたハウツー本だと勘違いしている人もまだまだ多いようです。でも、決してそうではありません。根底には「人間の本当の幸せとは何か?」という大きな命題が横たわっている。それをふまえた上で、よりよい社会を作っていくための組織、企業の有り方について書かれたのが『マネジメント』なのです。
たとえばこんな例があります。アメリカにエドワード・ジョーンズという証券会社があるのですが、昔、そこの幹部たちが『マネジメント』を読んで感動し、「この本に書かれているような会社を作りたい」と思ったそうです。手紙を何通も書いてコンサルティングをお願いしたのですが、最初に会った時、ドラッカーは彼らにこうアドバイスしたそうです。
「お金を儲けるためにやってくるお客を相手にしてはいけません」
常識で考えると、このアドバイスは理不尽ですよね。相手が経営しているのは証券会社です。証券会社の顧客というのは資産を上手く運用して儲けたいと考えて当然です。それを相手にしちゃいけないというのは、証券会社としての仕事を放棄しろと言っているようにも聞こえます。
しかし、改めて証券会社の存在意義に立ち戻って考えてみると、ドラッカーの言うことは間違っていません。私たちの多くは「証券会社=資金をうまく運用して儲けさせてくれる会社」と思いがちですが、本来の証券会社というのは、お金がある程度貯まってそれを運用したいと考える一般のお客と、資金を必要としている企業を繋ぐパイプ役を確実に果たすために存在しているのです。
つまり、証券会社の役割は、世の中が必要としている「財サービス」を提供することであり、儲けさせることが目的であってはならない。「儲けるためにやってくるお客を相手にするな」—— と言ったドラッカーの言葉の真意はそこにあるというわけです。
このエドワード・ジョーンズ証券は、素直にドラッカーの言葉を実践することになりました。具体的に何をしたかというと、怪しげな金融商品は一切扱わないと決め、お客に投資先を相談された際にも、表向きは華やかであっても内情がしっかりしていない企業の株は絶対に薦めないようにしました。さらにはそういう株や債券を含んだ金融商品は開発しないと決めたそうです。
その結果、どうなったと思いますか? エドワード・ジョーンズ証券は、全米で最大の店舗数と信用を誇る証券会社に成長し、働きたい会社ベスト10に毎年ランキングされる超優良企業になったのです。なんだかいい話ですよね。心がきれいになるような素敵な話です。
ドラッカーの著書『マネジメント』には、お金儲けのための方法ではなく、今述べたような、人と人が一緒に働きながら、まっとうな社会を作っていくための方法が書かれています。だからこそ、それを読んだ人は感動するのです。
『もしドラ』を読んでドラッカーに少しでも興味を持たれた方は、本家であるドラッカーが書いた『マネジメント』や『マネジメント[エッセンシャル版]』の読破に、ぜひチャレンジしてみてはいかがでしょう。経営に興味がない人にとっては、多少、難解な部分もあるかと思いますが、そういうところは読み飛ばしていただいて構いません。経営者やこれから起業したいという人だけでなく「自分が何のために働いているのか分からない」「就職することに希望が見出せない」なんて悩んでいる学生の皆さんや、仕事に行き詰まっている人にも『マネジメント』は必読です。人と人が一緒に働くことの意味や、会社がこの世に存在している理由が分かれば、悩みもスッキリ。新たな気持ちで明日からの仕事に取り組めるようになると思います。

「マネジメント」ゲスト講師 上田惇生



質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らないのです。ですが、ともかくあなたを忘れることができないのです。


マハラジ ある人は忘れ、ある人は忘れない。彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンスと呼ぶかもしれない。


質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。


マハラジ あなたのマインドのなかにだけだ。事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。運命とはあなたの無知を包みこむ言葉の毛布でしかない。チャンスとはもうひとつの言葉だ。


質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?


マハラジ 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。すべてがすべてに影響を与えるのだ。この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉大な力があるのだ。


質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げたということです。しかしそれでも、世界は以前と変わらないままではありませんか。


マハラジ 私の世界は完全に変わったのだ。あなたの世界は同じままだ。なぜなら、あなたが変わっていないからだ。


質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。


質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤにいくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うのです。それは避けられないことなのでしょうか?


マハラジ 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。ほかの誰もあなたを必要とはしてはいないのだ。あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。


質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。


マハラジ そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、そして計り知れない誠実さが必要だ。いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。


質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?


マハラジ 絶対的にそうだ。人生を起こるがまま受け入れなさい。そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。


質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして他者が生きているような人生を受け入れることができるでしょうか?


マハラジ どちらにせよ、あなたは受け入れているのだ。他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とうの昔に利己主義を放棄し、唯一それだけが本当に人を救うことのできる生き方をしていただろう。


質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラムをつくるかもしれません。


マハラジ アーシュラムはつくり出すものではない。それは起こるのだ。川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたにはそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わりあい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為すことは何であれ灰と帰するだろう。グルを模倣して無事にすむことはないのだ。すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。


質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのような害があるというのでしょうか?


マハラジ 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。それは完全に正しい。もし何の功績も言いふらさなければ。


質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てられるかどうかを知ることができるでしょう?


マハラジ あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをもち、生命の流れから分離し、己の意志をもち、己の目的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけであり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなければならない。あなたの価値とは何だろうか?


質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドの中身を見てみなさい。あなたとはあなたが考えていることだ。あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要とするもので忙しいのではないだろうか?
規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、あなたはあなたが信じこんでいるようなものではないと思い起こさせることにある。だが、思い起こすことさえ充分ではない。行為が確信に沿わねばならないのだ。詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金持ちのようになってはならない。


質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?


マハラジ いいや、そうではない。準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくことはない。あなたには手放す勇気が必要なのだ。


質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。


マハラジ なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。完全な得心が欲望と勇気を生みだす。そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考する。明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。確信と行為は不可分なものだ。もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。勇気のないことで自分を非難してはならない。自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?


質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。明晰性だけでは充分ではない。愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であれ、行為するためには愛さなければならない。明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、それが何だというのだろうか?


質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだということがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに行動してはならないのでしょうか?


マハラジ もちろん、そうするがいい。ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。冒険には勇気が必要なのだ。


質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急がせないでください。私を行為へと成熟させてください。


マハラジ 取り組み方全体が間違っている。遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。だが、現在の瞬間は失われた。取り戻すことができないほどに失われたのだ。すべての準備は未来のためにある。あなたは現在のために準備することはできないのだ。


質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでしょう?


マハラジ 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけではない。明晰性は今にある。行為は今にある。準備について考えることが行為を妨害するのだ。そして、行為は実在の試金石なのだ。


質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?


マハラジ 行為なしに生きることはできない。そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。結局、あなたの為すことはすべて、世界が現実のものであり、あなたから独立しているという確信に基づいているのだ。その反対の視野に得心したなら、あなたのふるまいもまったく違ったものとなるはずだ。


質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行動は環境によって形づくられているのです。


マハラジ 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世界の実在性に得心させられているということだ。世界をその源までたどり直してみなさい。すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、あなたは残ることを見いだすだろう。あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。あなたはそれを見いだしただろうか?


質問者 いいえ。


マハラジ では、それ以外の何をするべきだというのだろうか? 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。あなたがすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されないままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはできない。ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではなくなるのだ。だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存しているものすべてを手放すことで試さなければならない。真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。彼の智慧、愛、勇気は完全なものであり、相対的なところはどこにもないのだ。それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練を通して彼自身を証明しなければならないのだ。試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面にある。それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。


質問者 磔(はりつけ)、死、復活。私たちはなじみ深い土台の上に立っているようです! 私は際限なくそれについて読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれをする能力はないと知ったのです。


マハラジ 静かにしなさい。揺らいではならない。そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。それを熱望することはない。マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。静かにすることはとてもやさしいことだ。ただ、進んでそうしようという意志がまれなのだ。あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。野望なしに在りなさい。わずかな欲望もなしに、露わになり、壊れやすく、無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在り、すべてがあなたの物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。


質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはどうすればいいのかが見えないのです。


マハラジ もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっただろう。あらゆる試みを放棄しなさい。ただ在りなさい。努力してはならない。闘ってはならない。すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。それ以外のすべてを払いのけなさい。それで充分だ。


質問者 この払いのけるとは、どのようになされるのでしょうか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと現れてくるのです。


マハラジ 注意を退けなさい。ものごとが去来するにまかせなさい。欲望や思考もまた、ものごとなのだ。それらを無視するがいい。遥かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆われてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を露わにしていくだろう。それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。ただそれだけだ。無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマインドの状態だ。結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。


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