機械系と自然系


鳥が原因で飛行機に深刻なトラブルが起こっている事例を最近よく耳にして、感じることがありました。どんなに高度な機械技術を積み上げても、人間は自然との関わりから生じる生物の勘のようなものを失っては危険だということです。一人の人間が、それはパイロットに限らずともそうなのですが、機械や技術やマニュアルのみを信じ、頼るような状態になると非常に危ない。両方(機械系の勘と自然系の勘)を一人の身に備えていることがいざというときの一瞬の判断を分けるかもしれません。ギムリー・グライダーの奇跡は機長のピアソンがグライダー乗りだったから起こりました。





それは知識ではなく、風を「身体で」(数限りない失敗とともに)知っていなければできませんでした。ナウシカのような飛行機乗りの利点は機械系のマニュアルには書かれていません。一人の男の趣味が乗員乗客69人の命を救いました。タイタニックが出来上がった時、安易に不沈船と口にした設計者はその時点でバランスを欠いていたのです。n


2020年6月~ 軍事攻撃
精度がわからないため荒い記録(一応記録しておこうという程度)になりますが、東京オリンピックの直前とも言えるこの時期に、いま向こう側の住人たちが警戒している大規模な軍事攻撃があるとの「噂(一般の霊と、守護職についている霊の間で囁かれている)」があるようです。それは人間の軍によるものなのか、人外の軍のため怯えているのか、そもそもそこからわかりません。かつて私はリオ五輪の閉会式の日に「核爆発と同等の新型爆弾が人のいるところで炸裂するビジョン」を見せられたことがあるため、東京五輪までの期間の核攻撃を非常に心配していました。中国と北朝鮮の密約が裏にないかも警戒していますし、怪しいと言えばすべてが怪しいので少し混乱してもいます。n


まるで別の生物


光の存在である自分を思い出すとは、そう言えるぐらい現在の自分とは完全なる別人です。本当の自分はこっちにいたのか、こんな穏やかな気持ちなのか、空より心が広いのか、個我が死滅してオーケストラの奏(かなで)の喜びに満ちます。これが全員そうなのですから、地と天とはずるいぐらい照明が違います。ここまではっきりわかる照明に照らされていれば、物事の理解に苦労することもなかったのにと感じます。天ではすべてが簡単に理解できるからこそ、地に降りて地を這う立場の実際の勇気も忍耐も決してわかりません。距離と構造の見えている人の我慢と、光源が見えていない人の我慢では、まったく根性が違うのです。圧倒的に上なのは光源が見えていない中で人を思いやれる人や一線を越えることのないように歯をくいしばれる人です。ですからきっと本当の自分、別の生物の自分が一番気づいてほしいことは、小さな自分だと思い込んでいる自分は決して小さくないこと、一人ではないこと、実は照らされていること、いつまでも一緒にいるから気づいてほしいこと、そういうことなのかもしれないと思います。本当の実力を試すというのは、神を忘れること、それでも誇りを捨てない自分かどうか見ること、そういう挑戦なのかもと思ったりします。n
(20180405)


詐欺師を知らないのはダメ


人を騙そうとする人たち(それが悪いとは言いません)の生態を知らない、存在を知らないことは決して褒められたことではありませんとフィオラは私に指摘したことがあります。私はそれから日本で発生した死刑囚のエピソードを一つ一つ読んでいた時期がありました。彼らの共通する特徴が少しずつ「誠を曲げる」ものとして表に現れてくることが印象に残りました。彼らは真、事実、透明性を嫌います。その特徴を少しでも感じたら警戒段階は引き上げなければなりません。「真実は嘘つきが使う言葉であり、大切なのは事実のみ」と糸井重里さんがおっしゃってましたが、「ほんとはこう思っていたんです」などの言い訳は確かに信用なりません。大事なのはいつも行動や言動に一貫していた事実の重みです。n
(20180405)


森羅万象いかなる処にもわたしを見
わたしのなかに森羅万象を見る人を
わたしは必ず見ている
彼は常にわたしと共にある

バガヴァッド・ギーター 第6章30節


質問者 私の年齢でもハタ・ヨーガを遂げることはできるでしょうか?


マハルシ なぜそのようなことを考えなければならないのですか? あなたは真我があなたの外側に存在すると考えるため、それを求めて努力するのです。しかしあなたは常に存在しているのではないでしょうか? なぜ自分自身を離れて、外側にある何かを追い求めるのでしょうか?

(対話619)


マハルシ あなたは純粋意識なのです。グリハスタ・ダルマも世界も純粋意識の上に現れた単なる現象にすぎず、それは影響を受けることなくとどまります。


疑いが誰にとって起こるのかを見なさい。疑う者とは誰でしょうか? 考える者とは誰でしょうか? それは自我です。それをとらえなさい。
自我がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。それが純粋意識なのです。


「私は実現できるだろうか?」という疑いや、「私はまだ実現していない」という感覚自体が障害なのです。

(対話251)


マハルシ ヨーギーは脳の中枢、あるいは千の花弁の蓮と呼ばれるサハスラーラに達することを最重要視しています。
事実は、身体は心の中に存在し、心は脳をその座としています。
その源に直接向かいなさい。借り物の源泉に依存してはならないのです。


集中とは一つのことを考えることではありません。その反対に、それは私たちの真の本性のヴィジョンを妨げるすべての想念を取り除くことなのです。

(対話398)


質問者 どうすればアートマンを見いだせるでしょうか?


マハルシ アートマンの探究ということはありえません。真我ではないものだけが探究の対象となり、それを排除することだけが可能なのです。

(対話78)


あなたはそれがどんなものであっても、自分が選んだものに意識を集中する能力を持っています。どんなものにでも──無にでさえもです。とにかく、あなたはあらゆる瞬間に、何らかのものに意識を集中することを選んでいるわけです。光を望むのでしたら、自分の純粋な目覚めた意識を内側の光のあるところに向けてください。たえず変化しつづける外側にあるものに意識を集中しようとするのではなく、内側にある絶対的に安全なところ、現象界のエゴの波の満ち引きに引っ張られたりすることのない場所を見つけてください。



エドワード・ジョーンズ証券の教訓


今年に入ってしばらくの間この教訓話が頭から離れませんでした。何度も反芻して、社会を支える真の力と表層の塵芥(ちりあくた)を区別することの価値を考えていました。n


◯『マネジメント』が感動を与えるわけ


今回取りあげるピーター・F・ドラッカーの「マネジメント」ですが、これほど注目されたのは、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社刊、以下『もしドラ』)のヒットがきっかけでしょう。
一昨年の十二月に発売された『もしドラ』は、累計二五〇万部以上を売り上げただけでなく、マンガ化やアニメ化や映画化もされて、ビジネスマンだけでなく若い学生の間にも、ドラッカーブームともいえる社会現象を巻き起こしました。
私も『もしドラ』を、発売前のゲラ(校正刷り)の段階で読ませていただきましたが、電車のなかで読みながら、思わず感動して涙を流してしまいました。読んだとたんに「これこそが、私がずっと求めていたものだ」と思ったのです。
以前から私のなかには、ドラッカーの著書はビジネスマンだけでなく、できるならば組織社会のなかで生きる人々すべてに読んでもらいたいという気持ちがありました。ドラッカーの著書はただの経営学の本ではなく、そこには人と人が一緒に働くことの喜びや、社会的存在としての人間の幸せの意味など、普遍的なことが多く書かれています。それを誰にでも分かるスタイルで書いたものは、今までどこにもなかったから、すごくうれしかったのです。
さらには、何度読み返しても『もしドラ』のストーリーのなかには新しい発見があるのです。本になってから読んでまた泣いて、さらに三回目に読んでまた泣いて……。恥ずかしながら読むたびに、私の涙の量はどんどん増えていっています。
「マネジメント」という言葉をそのまま訳せば「管理」「経営」などの意味ですが、ドラッカーのマネジメント論をひと言でいえば「人と人とが成果をあげるために工夫する」──ということです。人と人が一緒に働いていれば、必ずしやそこには仕事をやり遂げた感動の種が存在する。だから、小説やマンガ、アニメ、映画になってもその部分をきちんと伝えることができれば、読んだ人や見た人が感動するのは当たり前のことなのです。
『もしドラ』の作中テキストとなったドラッカーの著作『マネジメント[エッセンシャル版]』やその原本である『マネジメント』が、多くの人々の間で今も読み継がれているのも、単に経営や組織作りのノウハウが書かれているのではなく、そこに人の心を動かさずにはおかない「感動」があるからです。
『もしドラ』の著者である岩崎夏海さんも『マネジメント[エッセンシャル版]』を読んで感動したからこそ、あの作品が生まれたと語っています。コピーライターでエッセイストの糸井重里さんとお会いした時も、南の島に推理小説とドラッカーの両方を持っていって読んだら、ドラッカーの本のほうが遥かに面白くて、それを機に大ファンになったといっておられました。
『マネジメント』というと、金儲けのための企業をいかに運営していくか——について書かれたハウツー本だと勘違いしている人もまだまだ多いようです。でも、決してそうではありません。根底には「人間の本当の幸せとは何か?」という大きな命題が横たわっている。それをふまえた上で、よりよい社会を作っていくための組織、企業の有り方について書かれたのが『マネジメント』なのです。
たとえばこんな例があります。アメリカにエドワード・ジョーンズという証券会社があるのですが、昔、そこの幹部たちが『マネジメント』を読んで感動し、「この本に書かれているような会社を作りたい」と思ったそうです。手紙を何通も書いてコンサルティングをお願いしたのですが、最初に会った時、ドラッカーは彼らにこうアドバイスしたそうです。
「お金を儲けるためにやってくるお客を相手にしてはいけません」
常識で考えると、このアドバイスは理不尽ですよね。相手が経営しているのは証券会社です。証券会社の顧客というのは資産を上手く運用して儲けたいと考えて当然です。それを相手にしちゃいけないというのは、証券会社としての仕事を放棄しろと言っているようにも聞こえます。
しかし、改めて証券会社の存在意義に立ち戻って考えてみると、ドラッカーの言うことは間違っていません。私たちの多くは「証券会社=資金をうまく運用して儲けさせてくれる会社」と思いがちですが、本来の証券会社というのは、お金がある程度貯まってそれを運用したいと考える一般のお客と、資金を必要としている企業を繋ぐパイプ役を確実に果たすために存在しているのです。
つまり、証券会社の役割は、世の中が必要としている「財サービス」を提供することであり、儲けさせることが目的であってはならない。「儲けるためにやってくるお客を相手にするな」—— と言ったドラッカーの言葉の真意はそこにあるというわけです。
このエドワード・ジョーンズ証券は、素直にドラッカーの言葉を実践することになりました。具体的に何をしたかというと、怪しげな金融商品は一切扱わないと決め、お客に投資先を相談された際にも、表向きは華やかであっても内情がしっかりしていない企業の株は絶対に薦めないようにしました。さらにはそういう株や債券を含んだ金融商品は開発しないと決めたそうです。
その結果、どうなったと思いますか? エドワード・ジョーンズ証券は、全米で最大の店舗数と信用を誇る証券会社に成長し、働きたい会社ベスト10に毎年ランキングされる超優良企業になったのです。なんだかいい話ですよね。心がきれいになるような素敵な話です。
ドラッカーの著書『マネジメント』には、お金儲けのための方法ではなく、今述べたような、人と人が一緒に働きながら、まっとうな社会を作っていくための方法が書かれています。だからこそ、それを読んだ人は感動するのです。
『もしドラ』を読んでドラッカーに少しでも興味を持たれた方は、本家であるドラッカーが書いた『マネジメント』や『マネジメント[エッセンシャル版]』の読破に、ぜひチャレンジしてみてはいかがでしょう。経営に興味がない人にとっては、多少、難解な部分もあるかと思いますが、そういうところは読み飛ばしていただいて構いません。経営者やこれから起業したいという人だけでなく「自分が何のために働いているのか分からない」「就職することに希望が見出せない」なんて悩んでいる学生の皆さんや、仕事に行き詰まっている人にも『マネジメント』は必読です。人と人が一緒に働くことの意味や、会社がこの世に存在している理由が分かれば、悩みもスッキリ。新たな気持ちで明日からの仕事に取り組めるようになると思います。

「マネジメント」ゲスト講師 上田惇生



質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らないのです。ですが、ともかくあなたを忘れることができないのです。


マハラジ ある人は忘れ、ある人は忘れない。彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンスと呼ぶかもしれない。


質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。


マハラジ あなたのマインドのなかにだけだ。事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。運命とはあなたの無知を包みこむ言葉の毛布でしかない。チャンスとはもうひとつの言葉だ。


質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?


マハラジ 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。すべてがすべてに影響を与えるのだ。この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉大な力があるのだ。


質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げたということです。しかしそれでも、世界は以前と変わらないままではありませんか。


マハラジ 私の世界は完全に変わったのだ。あなたの世界は同じままだ。なぜなら、あなたが変わっていないからだ。


質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。


質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤにいくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うのです。それは避けられないことなのでしょうか?


マハラジ 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。ほかの誰もあなたを必要とはしてはいないのだ。あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。


質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。


マハラジ そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、そして計り知れない誠実さが必要だ。いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。


質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?


マハラジ 絶対的にそうだ。人生を起こるがまま受け入れなさい。そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。


質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして他者が生きているような人生を受け入れることができるでしょうか?


マハラジ どちらにせよ、あなたは受け入れているのだ。他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とうの昔に利己主義を放棄し、唯一それだけが本当に人を救うことのできる生き方をしていただろう。


質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラムをつくるかもしれません。


マハラジ アーシュラムはつくり出すものではない。それは起こるのだ。川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたにはそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わりあい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為すことは何であれ灰と帰するだろう。グルを模倣して無事にすむことはないのだ。すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。


質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのような害があるというのでしょうか?


マハラジ 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。それは完全に正しい。もし何の功績も言いふらさなければ。


質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てられるかどうかを知ることができるでしょう?


マハラジ あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをもち、生命の流れから分離し、己の意志をもち、己の目的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけであり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなければならない。あなたの価値とは何だろうか?


質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドの中身を見てみなさい。あなたとはあなたが考えていることだ。あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要とするもので忙しいのではないだろうか?
規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、あなたはあなたが信じこんでいるようなものではないと思い起こさせることにある。だが、思い起こすことさえ充分ではない。行為が確信に沿わねばならないのだ。詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金持ちのようになってはならない。


質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?


マハラジ いいや、そうではない。準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくことはない。あなたには手放す勇気が必要なのだ。


質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。


マハラジ なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。完全な得心が欲望と勇気を生みだす。そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考する。明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。確信と行為は不可分なものだ。もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。勇気のないことで自分を非難してはならない。自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?


質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。明晰性だけでは充分ではない。愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であれ、行為するためには愛さなければならない。明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、それが何だというのだろうか?


質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだということがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに行動してはならないのでしょうか?


マハラジ もちろん、そうするがいい。ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。冒険には勇気が必要なのだ。


質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急がせないでください。私を行為へと成熟させてください。


マハラジ 取り組み方全体が間違っている。遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。だが、現在の瞬間は失われた。取り戻すことができないほどに失われたのだ。すべての準備は未来のためにある。あなたは現在のために準備することはできないのだ。


質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでしょう?


マハラジ 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけではない。明晰性は今にある。行為は今にある。準備について考えることが行為を妨害するのだ。そして、行為は実在の試金石なのだ。


質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?


マハラジ 行為なしに生きることはできない。そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。結局、あなたの為すことはすべて、世界が現実のものであり、あなたから独立しているという確信に基づいているのだ。その反対の視野に得心したなら、あなたのふるまいもまったく違ったものとなるはずだ。


質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行動は環境によって形づくられているのです。


マハラジ 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世界の実在性に得心させられているということだ。世界をその源までたどり直してみなさい。すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、あなたは残ることを見いだすだろう。あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。あなたはそれを見いだしただろうか?


質問者 いいえ。


マハラジ では、それ以外の何をするべきだというのだろうか? 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。あなたがすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されないままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはできない。ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではなくなるのだ。だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存しているものすべてを手放すことで試さなければならない。真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。彼の智慧、愛、勇気は完全なものであり、相対的なところはどこにもないのだ。それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練を通して彼自身を証明しなければならないのだ。試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面にある。それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。


質問者 磔(はりつけ)、死、復活。私たちはなじみ深い土台の上に立っているようです! 私は際限なくそれについて読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれをする能力はないと知ったのです。


マハラジ 静かにしなさい。揺らいではならない。そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。それを熱望することはない。マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。静かにすることはとてもやさしいことだ。ただ、進んでそうしようという意志がまれなのだ。あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。野望なしに在りなさい。わずかな欲望もなしに、露わになり、壊れやすく、無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在り、すべてがあなたの物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。


質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはどうすればいいのかが見えないのです。


マハラジ もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっただろう。あらゆる試みを放棄しなさい。ただ在りなさい。努力してはならない。闘ってはならない。すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。それ以外のすべてを払いのけなさい。それで充分だ。


質問者 この払いのけるとは、どのようになされるのでしょうか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと現れてくるのです。


マハラジ 注意を退けなさい。ものごとが去来するにまかせなさい。欲望や思考もまた、ものごとなのだ。それらを無視するがいい。遥かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆われてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を露わにしていくだろう。それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。ただそれだけだ。無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマインドの状態だ。結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。


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