みんな、お元気ですか?パリから手をふる我輩。
これパリにゃんⅡって言う猫の写真集みたいです。大好き!こういう写真テンションあがってしまう…



あの勘違いに満ちた松果体訓練…。
あれから7ヶ月たって、自分なりに思うところを今日は書いてみます。



正解が何かという答えはない。


松果体接触にこだわってしまったのが私だけだろうと思うので(普通はもっとちゃんと人の話を聞いて冷静にやるね…)


その後の経過観察を含めて
松果体接触がどこへつながるかを書きます。私のいるところは…もう混乱のるつぼです。掃除する習慣のない部屋みたいな…。


方法論やテクニックなんて何の意味もない。意味があるのはエネルギー。
尽きないエネルギーの方が、人が本当に頼れるものだと思う。


呪文とか、質問、言葉をトリガーにする方法は、意識を集中するのに邪魔になるという人は結構多いかもしれない。
どんな短い呪文も詠唱時間が必要なのはご存じのとおり。
だから2音節の「だれ?」を推奨した時もありました。
トリガーが何かではなくて、あくまでトリガーを引いた回数です。


私がやっていたのは、もっとこう、原始的な方法で、頭がい骨の中の特定部位、松果体に意識の焦点が接触し、接触し続けたままにすること。常にプッシュ感がありました。それが力抜いた時とまったく同じだと気づいたのは定着後のことです。不要な力みでした。


大きな異変に気づいたのは胸の熱源が、
松果体接触時にじんわりと熱くなる、そういう反応と因果関係があることに気づいた時だった。思考観察をはじめて、1ヶ月強経過していた頃だったと思う。


だから私は、やまがみさんが4月1日と2日時点でとりあげた記事で、思考観察の説明としては完成したと思いました。私も言葉を尽くそうと努力したつもりだったけど、あれほど簡明に切れなかった。やっぱり人に伝えるには理解の深度が影響します。



4月1日と2日の記事に隙はなかったと思います。あれが呼吸につながれば、尚更です。
二つの意識状態とは便宜上の区別にすぎないものの、地図としての役割は見事にはたしていて、あとは実践、たゆまぬ反復実践だけでいい。やるのは面倒です。でもね、結局やるかやらないかで言ったら、やるしかない。方法論はどうでもよくって、「いま」に向かう「回数」を激増させる。これをできるかぎりリラックス方向でとらえたほうがいいと思いました。


だけど、その感覚は、思考観察を学ぶ一人の方の公開記録でガラリと変化しました。私の中では、決定的な弱点が生まれました。


気づいている意識をより上位の意識として考えることは、「それ以外」の今や、日常を送る人が自己無価値感による自己軽視から、思考に引き戻されてしまう結果につながる可能性があると思うようになったんです。


訓練前の時点から持っている自己批判・自己憎悪・自己蔑視・自己防衛が訓練の前提となる足元を砕いてしまう可能性があるという本当に大きな教えをいただきました。


誤解を招かないように言います、これはやまがみさんの弱点ではないです。思考観察を方法論として捉えた場合の弱点。やまがみさんは方法論はどこにも導かないと説明するくらいだし、そう捉えていないんですが、訓練する人が自然にそう捉えてしまうのは至極当然で仕方がないという意味です。


うまくできない。
その声に改めて耳を傾けるべきだと感じました。


ここにきて改めて、バーソロミューの優しさが身に染みました。すべての人の今は完璧です。苦しみを感じているなら、無意味に苦しみ続ける必要はどんなときもないんです。無意味に苦しむことは死とおなじです。魂の成長に苦労はいらない。喜びを通して成長できるし、わたしたちはいつも心を変えられます。


前面に押し出す価値があるのは、愛。言葉ではないです。特に愛を装った言葉では断じてないです。どんなに完成度が高くても特定の方法論ではない。だからこそ愛の放射ができている人物にしかサポーター役は果たせない。わかりきっているが、私は自覚しなければならない。


誰だって、価値がある。誰だって今がある。
その今に優劣など最初からないです。特定の教義がその他より勝ることもない。対等性を感じてもらえない説明の仕方は、おおざっぱに「説明者が悪い」んです。
人のなかに神をみていないからそういう結果になります。


みんなが求めているのは「愛」であって、何かに恐怖や怒りを感じる人間は、とてもとても兄弟のサポーター役にはなれない。誰かの自己無価値感を刺激してしまうから。これは私のことだけを言っています。どこかの兄弟の話ではないです。それが、私が感じていた違和感の正体でした。私は私を、批判していました。私は私の怖れに気づきませんでした。


だから諦めようではなくて、
だから、この自分を宥そう。


抱えている怖れに気づき、その下地の愛に気づく。


久しぶりにとってもフィオラに会いたくなりました。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody