雷(かみなり)について。
雷は雲の粒がこすれ合うことで静電気が発生して起きるそうなんです。
人の怒りもそうだと思います。
何かがこすれていて、その摩擦が静電気という名の思考になる。
それが溜まって大きく成長すると、雷が落ちる。


その静電気は、批判や分離思考なんじゃないかなと思います。


別に静電気も、雷も悪いものではなくて、ただ摩擦というか、影響し合う、こすれ合っている
事実は事実です。いいえ、わたしはこすれてませんよ。こすれたのはあなただけですよというのは、嘘だと思います。


長期間船にのっている人が、閉鎖的な人間関係の息苦しさに息が詰まるのも、やっぱりどこかこすれているからです。苦しくなるのは意外なことですが、あいつの顔はもう見たくないと離れようとするときです。逆に近づいてじろじろと観察し始めた方が楽になると思います。私はこの人を知っているというのは大抵の場合、思い過ごしです。


それは人間観察でも、思考観察でも一緒かもしれません。



勝海舟の名言を載せたくなりました。


いわゆる心を明鏡止水のごとく、研ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うてきても、それに対処する方法は、自然と胸に浮かんでくる。いわゆる物来たりて順応するのだ。おれは昔からこの流儀でもって、 種々の難局を切り抜けてきたのだ。それからまた、世に処するには、どんな難事に出逢っても、臆病ではいけない。さあ、なにほどでも来い。おれの身体が、ねじれるならば、ねじってみろという料簡で事をさばいてゆくときは 難時が到来すればするほど、おもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。


上がった相場は、いつか下がる時があるし、下がった相場も、いつか上がる時があるもの。その間十年、焦らず屈んでおれば、道は必ず開ける。


事を成し遂げる者は、愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。


外交の極意は、誠心誠意にある。ごまかしなどをやると、かえって、こちらの弱点を見抜かれるものだ。


功名をなそうという者には、とても功名はできない。戦いに勝とうという者にも、とても勝ち戦はできない。何ごとをするにも、無我の境に入らなければいけない。


生業に貴賤はないけど、生き方には貴賤がある。


自分の価値は、自分で決めること。つらくて貧乏でも、自分で自分を殺すことだけは、しちゃいけないよ。やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。


その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時に、どのように過ごしているかで図れる。日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。


何でも大胆にかからねばならぬ。難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。


人はみな、さまざまに長ずるところ、信ずるところを行えばよい。社会は大きいのだから、それでなんの不都合もない。


敵は多ければ多いほど、面白い。


功名をなそうという者には、とても功名はできない。きっと戦いに勝とうという者にはなかなか勝ち戦はできない。これらはつまり無理があるからいけないのだ。せんじつめれば、余裕がないからのことよ。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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