こんばんは。今日はnobodyの頭の中、世界の構造を書きます。
信憑性ゼロ。私の中ではこれが世界です。


あのね、最初に、何もないとき、原初の世界で、
…なにかに気づいている、という感覚があったんです。これが虚空です。
私当初この虚空を透明な光という言葉で書いていたんですが、透明な光をときどき端折って光と書くと、「光属性」だってイメージを与えてしまう気がしてやめたんです。


「無属性」なんです。虚空はあらゆる表現の「否定」でしか表現できません。
意味がわかるのは、体験したときだけです。
この虚空は、宇宙の消滅後も生きています。
一段違う場所にあるからです。
スクリーンであり、その上に上映される映画とは何も本質的な関係がないんです。
これが、わたしたちが「わたし」と深いところで呼ぶ感覚であり、境界線のない全員共通の下地なんですね。


この虚空が真我です。アートマンでありブラフマンです。
※この虚空が最初に、一つだけ球体を生み出したんです。


それが源球「皇(すめらぎ)」です。
(ビッグバンの始点となった光点ではないのかと予想してます)


※虚空は単なる気づきじゃないんです。ありとあらゆるものを生むことができる、引き出すことができる、創造のキャンバスなんです。虚空に集中意識(気づきを特定方向に向けること)で方向を指定すると、何もない空間から料理が出現するように、何かを生み出すことができます。創造の力は皇ではなく、虚空にある力なんです。


この皇は、存在するすべて(虚空以外の動くもの、かたちあるもの)の親玉なんです。
文字通り、親の玉です。あらゆる神様の親です。虚空の願いの顕在化したものと言ってもいいかもしれません。
西欧では世界樹と呼ばれ、古代エジプトの太陽信仰や、日本ではアマテラスオオミカミなどと呼ばれてきたんだと思います。球体です。


虚空(無)が父親、皇(動)は母親です。
フィオラはこの皇を「一(いつ)なるもの」と呼びます。


この親玉が、星(個人化している魂)を無数に生み出したんです。虚空の力を利用して。ですがデザインしたのはこの母親です。
その星とは宇宙の星(地球)のような物理的なものももちろんですが、肉眼では見えない、わたしたち人間の魂(これも星と呼んでます)を生み出したということです。


わたしたちはもちろん虚空なので、不死で永遠なんですが、一時的なかたちと入れ物をつくり、違いのある世界、差異のある世界で創造行為を始め、皇が生み出した舞台で遊びはじめたわけです。


たくさんの惑星があるんですが、この地球は、
N極とS極という二極の間をどのように「ある」かを学ぶための星です。出自はバラバラで、違う星の学びの後でここに来た魂(星)もたくさん混じってくるため、すごく地球のルールを生きにくく感じる人、人間社会のルールに染まれない人が現れます。
内と外。男と女、善と悪、自分と他人。何もムダになりません。


全体像が見えているのは、皇なんです。
皇以下の星(神様を含めて)には、状況の全体像と感覚は見えないんです。
いつでもだれでも虚空の感覚と皇の感覚まで戻れるように設計されています。
そしてその必要がないようにも設計されています。
ありのままの今この瞬間が、必要なすべてであるように設計されているんです。
その運命のようなものはすべて、源球のデザインです。
でね、わたしたちの個人化している魂の本質は丹田(へそ上4センチ)にあり、ハートチャクラ胸の奥にあるのが、源球だとフィオラは言うんです。だから答えは愛なのだと。最初で最後はそれなのだと。自分の星とみんなの星、すべての星星は親玉の愛で結びつき、光のオーケストラ「炎」として燃え上がっているんです。


私が思うのは、こういうことです。


あらゆる人間の苦しみは、必ず絶対報われます。大事な人と死に別れた人も。
神様は人間を見捨ててない。
人生って苦しいこと多いけど、みんなで励ましあって、生きていっていいんです。
今を信じて、いいんです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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